あのビデオを見てしまっても、表向きは、いつも通りの日々が過ぎた。
その日もマユは学校に行った。
あのミニスカートをはいていた。いやだと言っても、マコは出してくるのだ。
(まったく、もう)
もう夏休みまでカウントダウンが始まっている。今年は梅雨が早くに明けてしまい、もう炎天下の日々だ。
体育の授業前、更衣室。
マユは隣のロッカーで服を着替える同級生の波野玲子に、目が行ってしまう
シャツの上からでも、胸は大きく張り出しているのが分かるが、上着を脱いで露わになった上半身は、完全に大人のそれで、ブラジャーで支えられた乳房は見事な紡錘形だった。
「玲子、ロケットおっぱいじゃん」
口さがない同級生が指をさしてからかう。
「やだなあ」
玲子は胸を隠す仕草をする。
プールサイドでも、ついつい玲子の身体に視線が行ってしまう。
濡れた水着がぴったり張り付き、玲子の胸の形を否応なしに目立たせる。
びっくりするほど女らしい体つきに、マユはすこし妬ましく思った。
玲子は、自分の身体のことをどう思っているのか。
マユは訊いてみたい気持ちもしたが、憚られた。
(女の子同士なんだから、いいじゃん)
心の奥底で、誰かが囁く。
放課後がやってきた。
今日は部活動がある日だ。
学校では、マユは天文部に所属している。
興味があったわけでも、深い意味があって、入ったわけではない。
同級生の波野玲子に誘われたのだ。
玲子とは中学校は別だったが、1年の教室で隣同士になった。それから会話を交わすようになって、打ち解けた。
「玲子ちゃん。あなた、趣味は?」
「星を見ることかな」
「へえ、いいわね」
彼女は天体観測が好きだということを語った。
そして入部した天文部に部員が足りないことを打ち明け、マユを熱心に誘ってきたのだ。
「ねえ、マユは部活、どこか入ってる?」
「帰宅部よ」
「じゃあ、ちょっと覗いてみない? 活動日は週二日だし毎回出なくてもいいし、掛け持ちもできるよ」
部活に入るのは消極的だった。中学時代の部活で体験したことを思い出すからだ。
しかし、入ってみると、自分でも思いがけないほど、部活動に熱中しているのだ。
それも、部活の人間関係がいいからだ。
同級生の波野玲子、同じ1年の廣田真一、それに顧問の松岡先生。みんな仲がいい。
こぢんまりとした部活で、直接の上級生である2年生はいなかった。そのせいか、1年生がのびのび活動できる。
廣田真一も天文ファンだった。マユと同じ中学、同じクラスだったが、とくに話をすることはなかった。
彼が天文に興味があることも、部活に入って初めて知ったのだ。
真一はいつも玲子と話をしている。天文好き同士、玲子と話が弾んでいるようだ。
横で聴いているだけで楽しかった。
天文部は毎週、火曜と木曜に定例活動をすることにしている。場所は理科準備室だ。
この日は秋にある文化祭の展示内容についての話し合いを行うことになっていた。だがそれは建前で、ほとんどは雑談だった。
「今年もプラネタリウム?」
「まあ、定番だしね。機材も残っているし」
「台本が必要だよね。だれが書く?」
毎年テーマを違えて上映するのが恒例だ。
「去年は秋の星座。今年は冬の星座がいいんじゃない?」
「オリオン座とか? 定番だね」
「新味のあるやつ」
「流星群の紹介は?」
「賛成」
「教室の飾り物は星の写真?」
「はやぶさの模型作って、教室に飾らない?」
「いいねー」
「おう、盛り上がってるなあ」
顧問の松岡先生がやってきた。
松岡先生は、私立大学の文学部地学科を出て地学の教師になった変わり種である。
「入試科目に数学なくて理科の教師になったのは、おれくらいだろうね」
授業中に笑いを取る定番ネタである。
授業中の雑談でアニメの話になったり、図書館便りでSF小説を薦めたりと、オタクっぽい趣味を隠さないが、生徒の人気は悪くない。
話し合いの途中、突然、松岡先生は玲子を名指しした。
「波野さん、きみさあ、プラネタリウムの台本、書いてみない?」
「わたしですか?」
「自信がない?」
「いえ、やります。頑張ります!」
元気よく返事をした。
部活動が終わって、帰り支度をしていると、玲子が声をかけてきた。
「マユ、ちょっと寄り道しない?」
「いいわよ」
そしてふたりは、駅前にあるスーパー地下のフードコートに入った。
玲子はアイスクリーム屋の前に並ぶ。
「おごるよ」
「ほんと? ありがとー」
マユは、ぱっと笑顔になった。
玲子はチョコミントのアイスをふたつ持ってきた。そして、言った。
「プラネタリウムの原稿だけどさあ、よかったら、手伝ってくれない? あたしひとりじゃ不安だから」
「え……いいわよ」
「ありがとう」
玲子はにっこり笑った。マユは苦笑する。
「アイスクリームで、買収されたわけか」
「これは手付金。学祭が終わったら、もっといいものおごるよ」
「楽しみにしておく」
会話を交わしながら、しかしマユは、いつしかアイスクリームを一心になめる玲子の口元に、視線が行っていた。
軟体動物のように動き、アイスをなめ取る玲子の舌に、なにか、途方もなくエロティックなものを感じてしまう。
眼が離せないでいると、身体の芯に、奇妙にうずくものを感じた。
ぼうっとしていると、玲子に話しかけられ、我に返る。
「話変わるけど、マユってさあ」
「なあに?」
「彼氏はいる?」
「……いないよ」
「そうなの」
玲子はすこし意外そうな表情をした。
「ふうん。でも、興味あるんでしょ、あのこと」
「……ええっ」
コーンを囓りながら、玲子は話を続けた。
マユは目を丸くした。
「隠さなくってもいいのよ。みんなそうなんだから」
「玲子も……?」
うなずいた。
「じゃあ、玲子は、いるの?」
「どうかしら……」
意味ありげな含み笑いをした。
「それよりさあ」
玲子は話題を変えた。
「真一くん、マユのこと、気になってるみたいだよ」
「ええっ?」
「鈍感ねえ」
玲子は呆れたように言った。
「真一くんって、玲子が好きなんだと思ってた……」
「違うよ、うふっ」
また、意味ありげに微笑む玲子。
「頑張ってね」
玲子は別れ際、そういった。
帰り道。今日も、公園を横切ろうとする。
「おねえちゃん」
また、あの女の子に声をかけられる。
「今日もそのスカート? 見えてるよ」
マユはぱっと、前を隠した。
「い、いやな子ね。いい加減にして」
この前の少女だった。幼女といってもいい年頃なのに、ひどくませた女の子だ。
どういうしつけをされたら、こんなぶしつけな女の子になるのだろう。親の顔が見てみたい。
そんな思いをよそに、少女はマユに話しかけた。
「おねえちゃん、セックスに興味あるでしょ?
とんでもないことを聞かされて、マユは、へどもどした。
「ば、馬鹿なこといわないの!」
「おねえちゃんのパパとママだって、セックスしてるじゃない」
「な、なにをいうの」
「だからおねえちゃんも、はやく、したほういいよ」
「ばーか!」
付き合っていられない。マユはその場を足早に立ち去った。
(なにを言ってるのかしら)
胸のむかつきが止まらない。
「いやな子ね……」
歩きながら、ふいに思い出されたことがあるのだ。
それは、マユが中学に入った年のことだった。
ある真夜中、ふとマユが目を覚ましたとき。
喉が渇いて台所に行こうとしたとき、両親の寝室の前で足が止まった。
かすかに、甘やかな声が聞こえてきたのだ。
「いいかい……」
「ああ……もっと」
身体が金縛りに遭ったように動けなかった。聴覚だけが研ぎ澄まされたようだ。
聞きたくなくても、耳に入ってくる。
(ふたりは、とてもいけないことをしている)
押し殺していながらも、母親の声はどんどん高くなる。
そしてひときわ高くなって、途切れたとき、ことが終わったことがわかった。
心臓の鼓動が耳の中で大きく響いている。ふたりに聞こえてしまわないだろうか。
しばらくの間、身体がしびれたようになって、その場から動けなかった。
ばれてないだろうか。
その日の朝は、両親の顔を直視出来なかった。