※この作品はR-18です。

月のわらう世界(マーリン夢小説)   作:ゆんぎつね

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星に眠る光

❃

 

魔術師は夢の中を彷徨(さまよ)います。あるものを探しているのです。

それは、少女の夢でした。

 

少女自身の見た夢は、もう失われてしまいました。どこを探しても、見つかることはありません。

魔術師が探しているのは、誰かが少女に見た夢でした。

 

少女はこの世界にとっての希望でした。

英雄たちは、今を生きる少女の為にこそ、その力を揮うのです。少女が愛すべき「人間」であったから、皆少女を、少女たちの世界を、守ろうと戦うのです。

 

魔術師は、そうして少女の為に戦う者たちが、少女に見た夢をひとつひとつ、身の内に納めていきました。どれもこれも、魔術師にとっては眩しく、美しく、素晴らしい夢でした。

誰かの隣に立つ彼女は、こんなにも美しい。

 

魔術師には分かっていました。少女は世界の中にいる姿こそが、最も美しいのだと。

閉じ込めたり攫ったりしては勿体ないと、彼らの夢に触れるたび、そう強く思いました。

 

同時に痛感してしまいます。

皆の前では強く美しくあった少女が、自分の前で見せる顔は、泣いている顔ばかりであったことを。

 

魔術師は、少女の泣き顔を苦手に思っていました。だって、悲しいことは辛いことです。魔術師は心をほんの少ししか持っていませんでしたが、辛いのは嫌ということくらいは分かっていました。

 

それでも――ほんのちょっとだけ。誰も知らない泣き顔を知っていることは、素敵なことのようにも思えたのでした。

 

❃

 

「マーリン、おかえりなさい!」

「……ただいま。一人で登ったのかい?」

 

花園に戻った私を出迎えた彼女は、そこに一つだけ佇む巨木の上にいた。

一面花畑のみではつまらないだろうし、背もたれ代わりにでもしてくれればと、私が用意した樹だ。

やはり一人では退屈だったのか、どうやらその樹に登ってみたらしい彼女は、得意満面に上空から私を見下ろしていた。

 

「いまおりるね!」

「迎えに行こうか?」

「だいじょーぶ!」

 

言いながら彼女は躊躇うことなく枝を伝って下へと降り始めた。

何となく予感がしたので真下で身構えていたら、ずるりと彼女の腕が滑って、その身体が勢いよく降ってくる。ああ、やっぱり。

 

「わあああっ!」

「おっ、と」

 

葉を散らしながら落ちてきた彼女をしっかりと抱き留める。

そのままゆっくり降ろすと、楽しそうな顔が私を見つめた。

 

「いまの、ちょっとおもしろかった!」

「落ちるのが?」

「うん、ビューッてなってすごかったよ」

 

なおも楽しそうに告げる彼女にやんわりと笑みを返す。

樹の上から落ちて楽しかった、か。

 

「マーリンもいっしょにやろうよ」

 

ローブの袖をつまんでおねだりされる。

樹の上から落ちたって、私はちっとも楽しくは無いのだが、落ちたからと言って怪我をすることも無いこの場所では彼女にとっては娯楽となるのかもしれない。

……実を言うと、わざわざ樹の上に登らなくたって、ここは彼女の夢なのだから、望めば空を飛ぶことだって出来るのだけど。

 

「私は良いよ、やりたいのならやっておいで。私も一緒に登ったら、キミを抱き留められないだろう?」

「そっかぁ」

 

特に疑問に思うことも無く、彼女は頷くとまた樹をよじ登り始めた。ひょいひょいと確実に登っていく。

 

現実世界で、彼女がこんなにも軽快に動くことは無いだろう。

だけどここは夢の中。

彼女が出来ると思ったことは、基本的には何でも可能だ。

 

先ほどのように、私が用意したオブジェクトに動きが合わず落下することは有り得るが、「樹に登る」という動作に対して何の疑問も抱かないのであれば、体力や体重や運動力を無視して、「樹に登れる自分」が再現される。

 

本当は私が受け止めなくたって、彼女は痛くも痒くも無い筈なのだ。

だって今の彼女は痛みなど知らないのだから、この夢の中でそんなものが再現されることは無い。

「落ちれば怪我をして痛い思いをする」ことを知らないのなら、いくらでも樹の上から飛び降りたって平気だし、先述の通りわざわざ登らなくても空を飛ぶことだって、出来ると思えば出来てしまう。

 

受け止めた彼女の身体はとても軽かった。

現実の彼女にあんな軽(・)さ(・)は無い。彼女の中にはたくさんの重(・)さ(・)が詰まっている。

なんてことを言ったら、デリカシーが無いと怒られてしまいそうだけど。

 

「いくよぉー」

「いつでもおいで」

 

腕を上げてそう言うと、彼女が嬉しそうに手を振って、「えいっ!」と言いながら落ちてくる。

 

ふわりとその身体を捕まえる。

羽根のようだった。

どこにも飛んでいけない羽根だ。

 

今度は抱き下ろさず、そのままぎゅうと抱き締める。

 

「……?マーリン?」

「何だい」

「おろしてくれないと、のぼれないよ」

「そうだね。でも私は木登りより、キミとこうしている方が好きだなぁ」

「それは、わたしもそう」

「……本当に?」

「うん。マーリンといっしょがすき!」

「……そうか。お揃いだね」

 

そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

私への恋心だって、彼女はもう無くしてしまっている。

いつだって感じていたあの熱を、ここでは露ほども見出せないから、痛いほど分かっていた。

今の言葉も、ただ樹に登るよりは私と過ごす方が好きだ、とそう言っただけで、燃えるほど熱く、私の身体を貫くほどに真っ直ぐだったあの熱は、ひとかけらも感じられなかった。

 

そっと彼女をその場に降ろし、手を握ったままその場に腰掛ける。

つられて座った彼女の膝に寝転ぶと、きょとんとした顔で私を見下ろしていた。

 

「なに?」

「これ?膝枕」

「ひざまくら?すきなの?」

「好きだよ。女の子の脚って柔らかくて気持ちがいいから」

「そうなんだ」

 

納得したように頷いて、彼女は私の髪に手をかけた。

指先でつまんではぱらりとその指から髪が逃げるのを、ただぼうっと眺めている。

 

「撫でておくれよ」

「うん」

 

ねだると、彼女は素直に私の頭を撫で始めた。

 

その目がゆっくりと細まって、柔らかな顔になる。

人の頭を撫でながら、自分が癒されているのだろうか。

 

「あたま、なでられるの、いいよね」

「そう?」

「え?ちがうの?」

「キミに撫でられるのは心地がいいよ。キミもそうなのかい?」

「うん。あのね、マーリンになでられると、なんだかすごく……あったかくなる」

「そう。……じゃあそれも、お揃いだ」

「おそろいかぁ」

 

嬉しそうに言うと、彼女はさらりと私の前髪をかき上げて、ふふと笑った。

 

「そうか、わたしね、おもったの」

「何を?」

「いつもマーリンにうれしいことをしてもらうけど、マーリンもうれしいと、もっとうれしいなって。だからね、マーリンにされてうれしいこと、わたしもする」

「僕はキミといられるだけで嬉しいんだけどね」

「うれしいことはもっといっぱいあるよ」

「たとえば?」

 

尋ねると、うーんと考えるそぶりを見せる。

何か思いついたような顔をしたかと思えば、すっとその顔が近づいてきた。

 

「目とじてー」

「何だい?」

「はやく」

「はいはい」

 

笑いながら目を閉じると、瞼に柔らかな感触が押し付けられる。

その感触が遠ざかるのと同時に目を開くと、にこにこした彼女の顔が離れていくところだった。

 

「うれしい?」

 

尋ねる彼女に、素直に頷く。

彼女の笑みが深まって、ぎゅっと頭を抱き締められた。

 

「えへへっ、いまのね、されたのもうれしかったけど、するのもうれしかった。マーリンもうれしいから、わたしにしたんだね?」

「そう――なのかな。そうだね」

「うふふふ」

「こらこら、喋れなくなっちゃうよ」

「ごめん、でもだっこしたくなった」

「抱き締めたくなった、と言ってほしいなぁ」

「それー」

 

なおも嬉しそうに彼女は笑う。

 

キスをされて嬉しかったから自分もキスをして、それも嬉しかったから、マーリンも嬉しかったんだね、なんて。

本当に、随分真っ直ぐと突き付けてくるものだ。

 

私に触れられると嬉しいと、この子はかつてもそう言っていた。

その言葉は嘘では無かったと思う。

でも、触れている私も嬉しかったのかなんて、思っても期待してはいけないと否定していたことだろう。

 

なまえに触れるのは、楽しい。触れられるのも。

本当に、嬉しい、のかもしれない。

 

満足したのか、ぎゅむぎゅむと抱えていた私の頭を離した彼女を見上げ、尋ねてみた。

 

「傍にいたいとか、触れたいって思うのはどうしてだと思う?」

「すきだからじゃないの?」

 

間髪入れずに返ってきた言葉に、私もまたすぐに返した。

 

「好きってどういうことなんだい?」

「はぁ?」

 

私の問いに、彼女はぱかりと口を開けて首をひねった。

眉にしわを寄せ、うーん?んー、んん?と唸りながら更に右に左に首をひねる。

 

「だから、そばにいたいなーっておもうこと……でしょ?」

 

ちがうの?と言いながら首を傾げられ、私もまたうーんと唸ってみせる。

 

「花は好きかい?」

「うん」

「それはどうして?」

「きれいだから?」

「どうして綺麗だと思うんだい」

「えっ。きれいだとおもうのに、りゆうってないでしょ」

 

至極当然のようにそう言われ、尤もだと私も頷いた。

綺麗だと思うことに理由があるのならキミにこんな質問はしていない。

 

「傍にいたいのは、綺麗だからってことかな」

「うーん?」

「僕は綺麗なものが好きだ。だからキミのことも好きだよ」

「ありがとー、わたしもマーリンすきだよ。きれいだから」

 

頭を撫でながら言われ、目を伏せる。あ、でもと続けられ、そっと目を開けると、

 

「さわりたいから、そばにいたいのかも。すきなものはさわりたいよ」

 

そう言われて、ぱちくりと僕は目を瞬いた。

 

「……だからこうして僕を撫でまわすんだね」

「マーリンもそうでしょ?」

 

わたしのことなでるしくっつくし、と言われ、ふむと頷いてみせる。

 

「見ているだけで良い、という好意とはどう違うのかな」

「んー?さっきからなぁに?」

「ずっと考えてるんだけど、分からないから」

「マーリンにわからないことってあるんだ」

「分からないことばかりだよ」

 

綺麗なものが好きで、綺麗だからキミのことも好き。

これは確かにそうなんだと思う。

 

だけど、美しいものを傍に置きたいと思う感覚は、私には無いものだった。

だって世界はいつでも私の目の中にあるのだから。

 

私を見下ろす顔へと手を伸ばす。

その頬に指先が触れると、知らず私は目を細めていた。

するりと柔らかな頬を撫でてみる。

彼女がくすぐったそうに身をよじった。

 

「こういうことかなぁ……」

「なぁに?」

「私に触れられて表情を変えるキミがかわいいなぁと思って」

「あーわかるー」

 

マーリンもわたしがさわってるとすごくうれしそうだからきゅんきゅんする、と彼女は無邪気に言ってのけた。

そんなに顔に出ていたのだろうか。

 

キミが傍にいたからって、何が変わるわけでも無い。そう思っていたし、なまえにそう言いもした。

 

当然泣かせた。

 

私にキミは必要が無いと、そうも言った。

 

私が召喚に応じたのは、それが楽しそうだったからなのだけど、突き詰めると「なまえにとって必要だったから」だ。

 

彼女は鬱いでいた。

世界を救い大団円を迎えた後にする顔では無かった。

 

それが気に食わなかった。

 

私が手を出さずともどうにかなるならそれで良かったのだけど、私が介入した方が手っ取り早かったし、折角なら存分に楽しもうなんて思って、私は実に気軽に楽園を出て、なまえのサーヴァントとなった。

 

だから私は、私の心を求めるなまえに、そのままを伝えた。

 

「私にキミは必要無いが、キミには私が必要だ。だから存分に私を使うと良い。私はキミに捧げる者。なまえのサーヴァント、キャスターのマーリンだ。私はキミを消費しないし、キミを受け取らない。キミに私が必要無くなるまで、キミを導きサーヴァントとして仕えよう」

 

必死に堪えるなまえの努力も虚しく、ぼろり、ぼろりと涙が溢れては零れ落ちていく。

見たくない顔だ、と自分で言っておきながらそう思った。

 

「じゃあ私、いつまでもダメなままでいてやる」

 

負け惜しみのようにそう言って私を睨んだ後、何故かなまえはにやりと笑ってみせた。

そう言えば私が困ると分かっているからだろうか。

 

「困った子だな」

 

私がそう言うと、零れ落ちる涙をぐしぐしと拭ったなまえが、ふぅと息を吐いて「マーリンが必要無くなる予定はまだ無いよ」と、不器用に笑いながら言ってみせた。

 

――あのときは、苦笑して誤魔化したのだったか。

 

「ダメなままでいてやるなんてよく言うよ」

 

ぼそりと呟くと、上機嫌で私の髪をいじっていた彼女が不思議そうに首を傾げる。

何でも無いよと告げて、私は静かに目を閉じた。

 

キミはダメになんてならない。

 

共にいてそう感じた。

 

実際、私が去った後も、なまえは上手くやっていた。

安堵した。

 

でも――こ(・)う(・)なってしまってから思う。

 

多分私は、面白くないと思っていた。

いつまでも、私の掌の上で転がされているなまえでいてほしかった。

 

なまえが私の面影を求める姿は不思議に私を癒した。

こうして、私にしか出来ない方法で保護している今も。

 

「ねぇ、僕に傍にいてほしい?」

「うん」

「いなくても何も困らないだろう?」

「こまるよ!すきなひとがいなくなったら!」

「……ははっ」

 

好きな人。

そう言われて、自然と笑っていた。

「自然と笑う」という行為が不思議でくすぐったくて、また笑ってしまいそうになる。

 

「そうだね。僕もキミがいなくなったら困るな」

「そうでしょ?」

 

唇を尖らせながら言う彼女に、うんと素直に頷いてみせる。

でなければ今私はここにはいないのだから、嘘では無い。

 

でも。彼女がいなくなると困る理由は、自分で思っていたのとは、ちょっと違うのかもしれなかった。

 

「ねぇ、そういえばいつもどこにいってるの?」

 

いじっていた私の髪をつんと引っ張りながら、彼女がそんな問いかけをする。

説明したところできっと理解しないと思いながらも、だからこそ、私は素直に口を開いた。

 

「夢の中」

「夢の?」

「そう、サーヴァントたちの夢」

「サー……ヴァント」

 

ぼんやりした顔のまま、彼女が鸚鵡返しに言った。

 

サーヴァントが何であるのか、彼女は知識としては分かっている。

だけど自らが従えた者たちのことは、一つも覚えていないのだ。

そのことについては触れずに、ただ真実を一方的に語った。

 

「――サーヴァントの夢をマスターが見るように、サーヴァントもまたマスターの夢を見る。

少し違うな。マスターに夢を見ると言った方が良いのかもしれない。僕が探しているのはそういうものだ。

彼らがキミに見た夢を、集めてまわっている。

 

夢というのはね、繋がっているんだ。

キミとサーヴァントたちはまだ契約を交わしたままだから、より強固なラインが通じている。キミから消えたものでも、彼らの中にはキミの結晶が残っている。

キミは……キミという存在は、取るに足りない一人でしか無いけど。誰かに乞われ、震える脚でそれでも前に進む姿が、誰よりも美しい。

皆、そんなキミのことが大好きなんだ」

 

ぼんやりとした顔で私の話を聞いていたが、そこまで話すと彼女は首を傾げた。

 

「みんな、って?」

「みんなは、みんなだよ」

 

なおも彼女は不思議そうに首を傾げた。

私以外の存在を知らないのだから、みんなと言われたって分からないのは当然だ。

 

なまえに忘れられてしまった者たちのことを思う。

何の感慨もわきはしないが、忘れられてしまったことには少しばかり同情を覚えた。

私自身も忘れられてしまっているのだが。

 

誰かに忘れられることは、あまり気持ちのいいものでは無い。それは私も知っている。

「思い出」という概念を持つ人間たちであるならば、その悲しみも一入(ひとしお)の筈だ。

 

集めた夢の中のなまえは、いつだって一等輝いて見えた。

それは、彼らの中の彼女が輝いているからに他ならない。

 

よく「マスターを独り占めにしている」なんて言われていた私だけれど、独り占めなんてとんでもない。

皆マスターと好き好きに関係を結んで、各々楽しく過ごしていた。

ずっと見ていたから知っている。

 

なまえに恋をしていた者もいたし、そうでなくとも好いていた者はたくさんいた。

私が離れている間にも、なまえに惹かれた者たちがいたことだって知っている。

 

キミは誰とどんな恋をするんだろうと、一人胸躍らせていた日々を思い返す。

相手は誰だって良かった。

私が相手でも、それはそれで面白いと思ったことだってあったけれど。

 

――面白かったかと言われると、どうだろう。

 

向けられた心の熱さに驚いて、でも、それはとても拒みがたい色をしていた。

指先だけ沈めたつもりだったのに、気づけばその腕を引かれ、私の方が溺れてしまいそうだった。

二人で共に沈んでしまえば、或いは彼女は幸せだったのかもしれないけれど。

暗い海の底で、輝きを損なったなまえを見たくはなかった。

 

あの星々の中に在れば、キミはこんなにも美しいのに。

 

そう思って、手を離した。

星の中に在るなまえは、やはり美しかった。独り占めなんて出来る筈も無い。

 

集めた夢を掬い上げる。

人を通せば、色も変わる。

けれどやっぱり、そのどれもが美しい。

 

こんなにも、彼らの中にキミが溢れている。

 

この手にあるのは、皆の希望だ。

なまえという存在を閉じこめた光だ。

 

「マーリン?」

「うん?」

 

目を閉じて思考に耽っていた私の頭を撫でながら彼女が問うように名を呼んだ。

そっと目を開けてその顔を窺うと、「きゅーにだまるから」と首を傾げながら言われる。

 

「皆のことを考えていたから」

「わたしをだいすきなひとのこと?」

「そう」

 

答えると、彼女は再び首を傾げて、

 

「それって、マーリンのこと?」

 

と、何の惑いも無く問うてきた。

 

「――いや。違うよ」

「そうなの?」

「うん」

 

そんな返答にも、彼女はやはり不思議そうにするだけで、何の不満も戸惑いも、その顔には現れない。

 

きっと私は、なまえのことが好きなんだと思う。

 

失って初めて気が付く、なんてよく言うけれど、まったく私という男は愚かに過ぎる。

だって二度も同じことを繰り返している。

 

一度目の喪失は取り返しのつかないものだった。

二度目の今は……さて。どうだろう。

 

なまえを取り戻す為に、私は最善を尽くすつもりでいる。私は自分の欲の為ならいくらだって足掻いてみせる。

世界がどうとか、そんなものは関係無い。

 

私はなまえ自身を欲している。

 

 

 

僕は、キミに恋をした。

 

キミの物語を好いた。キミの心の色を好いた。

でも僕が恋をしたのはなまえ自身だ。

だってそうでなくちゃ、こんな世界に囲う意味も無いから。

 

僕は、なまえに触れていたかった。

だから懐にしまうのでなく、こんな偽りの箱庭に、なまえという影を再現して戯れている。

 

今の彼女は、僕が大好きだと言っても、言わなくても。それに何を思うことも無い。

ここには嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことしか無い。

彼女の好きなものしか、ここには存在しない。

 

それでも熱は灯らない。鮮やかさは見る影も無い。

それが悲しいと、そう思う。

 

――それでも。

ここにいるキミは、僕だけのキミだ。

そう思ったら、何だかとても、今このときが惜しく思えた。

未来を夢見る夢魔の子である私には、発生する筈の無い感情だった。

 

戯れに愛を囁いてみようか。

ふとそんな考えが浮かんで、――やめた。

 

愛してると囁けば、きっと彼女は素直に喜んだのだろうけど――嘘も本当も無い彼女の無垢な色に触れるのは、冷たい水辺に手を差し入れた瞬間の凍みるような心地がして、――あの熱さを思い出してしまうから、躊躇われた。

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