深夜帯の照明は落とされ、最低限のライトだけが床を白く照らしていた。
広いフロアの中央に立つ龍斗は、無意識のうちに周囲を見渡していた。
――これから、自分が並ぶことになる人間たち。
まず目に入ったのは、少し離れた場所に立つ男だった。
黒髪を後ろに流し、腕を組んだまま微動だにしない。
彼の名はベルナルド・クロウ、S.E.A.L.D.s’隊長である。
戦う前から、すでに戦場を支配している。
視線一つで空気が締まる。
この男がいる限り、部隊は迷わない――そんな確信があった。
視線を横にずらす。
高所の手すりにもたれ、スコープ越しにこちらを見下ろす女がいた。彼女は無表情で瞬きすら少ない。
ソフィア・ハーツ――コードネーム《レイヴン》。
撃つより先に、すべてを見ている目。
龍斗は本能的に、「この人には嘘が通じない」と感じた。
その下では、腕を組んで立つ長身の女がいる。
鋭い眼差し、無駄な動きは一切ない。
ラシード・アル・ファーリス――《サンドヴァイパー》。
近接戦闘と追跡の専門家。
静かだが、間合いに入った瞬間、逃げ場はない。
少し離れた位置から、陽気な声が飛んできた。
「おー、緊張してるか?」
巨大な体格。
分厚い防弾チョッキの下に詰まった筋肉。
それでいて、どこか人懐っこい笑顔。
彼はイーサン・ラング――《アイアン・ジャック》。
重火器担当。
前に出て、危険を全部引き受けるタイプだと、一目で分かった。
天井付近から、低い通信音が混じる。
「……映像、クリアだ」
落ち着いた声、姿は見えないが、確実に“上”にいる。
ルーカス・ビショップ――《バレットホーク》。
空から全体を見て、退路を作る男。
戦場を“帰れる場所”に変える役割だ。
最後に、作業区画のガラス越し…モニターに囲まれた席に座る少女と目が合った。
彼女はミア・カストロ《ゴーストワイヤー》。
こちらに気づくと、ほんの少しだけ手を振る。
戦場と本部を繋ぐ存在。
彼女がいなければ、誰も動けない。
(……すごい人たちだ)
素直な感想だった。
同時に、喉の奥が少しだけ乾く。
その中心に、クロウの声が落ちた。
「――揃っているな」
全員の視線が、龍斗に集まる。
「選考を始める」
クロウが前に出る。
距離が一気に詰まった。
「対人だ。俺が相手をする」
龍斗の心臓が、強く一度跳ねた。
「条件は一つ。勝敗は問わん」
クロウの視線が、真っすぐ刺さる。
「折れるか、立ち続けるか。それだけだ」
龍斗は、小さく息を吸った。(……逃げない)
仲間になるかもしれない人たちが、見ている。
だが、それ以上に――自分自身が、見ている。
「……お願いします」
構えた瞬間、
空気が変わった。
ここから先は、
もう“子供の場所”じゃない。
龍斗は一歩、前に出た。
影に招かれた少年
S.E.A.L.D.s'――表舞台には決して姿を見せない、国家連合直轄の影務特殊部隊。
その“影”に選ばれた最年少の兵士が、十三歳の少年・真神龍斗だった。
夜の訓練場は、風の音すら薄い。
砂の匂いだけが漂い、暗闇に細く照らされたのは、黒い訓練用のナイフを握る小柄な少年の輪郭。
龍斗はただ一点を見つめている。
深い呼吸の奥に、緊張と決意が微かに混じっていた。
向かいに立つのは、黒いT シャツを着た男――
S.E.A.L.D.s'隊長、ベルナルド・クロウ。
「――始めるぞ、龍斗」
声が落ちた瞬間、クロウの身体が前へ跳ぶ。
動きに無駄が一切ない。
その軌道を、龍斗は“自動的に”読み始めていた。
(右から来る……)
反射で身体が動く。
ナイフを横に構えて受け止める――しかし、受け止めた瞬間に違和感。
(……重い)
鍛え抜かれた大人と、十三歳の少年。
膂力は当然違う。
だが龍斗は、その差を計算に組み込みながら反撃に転じる。
「いい判断だ」
クロウが静かに言う。
その声の中に、攻撃の予告は一切ない。
次の瞬間、足払いが来た。
龍斗は半歩飛んでかわす。
そこにクロウの手刀が落ちる。
かわしたと思った軌道に、さらに二撃目が滑り込む。
(速い……!)
演算が遅れ、視界が揺れる。
それでも歯を食いしばって構えを立て直す。
「……いける」
呟きと同時に、龍斗も前へ踏み込み、ナイフを斜め下に走らせる。
クロウは刃を指先で弾き、逆に龍斗の懐へ飛び込んできた。
手首を掴まれ、回転させられ――
地面に背をつけた瞬間、ふと別の光景が脳裏を刺す。
白い部屋。
冷たい金属台。
眩しすぎるライト。
皮膚を突き破る針。
薬品の匂い。
在りもしない拘束具の感覚が、腕を締め付けた気がした。
(……やめろ)
勝手に蘇る、ヒドラに囚われていた日の記憶。
息が詰まり、視界が揺れる。
「龍斗」
クロウの声だけが、深く落ちるように響いた。
「大丈夫だ。戻ってこい」
その言葉で、ようやく龍斗は我に返る。
クロウは掴んでいた手を離し、静かに言った。
「動きは悪くなかった。……だが、心がまだ乱れる」
龍斗は地面に手をつき、悔しさを堪えるように立ち上がる。
「……見てたのか」
「最初から気づいていた。
お前は、傷を抱えたまま強くなろうとしている」
クロウの表情は厳しく、それでいてどこか柔らかい。
「今日付けで、お前は正式に第七隊員だ」
龍斗は目を丸くする。
「……やっとか。長かったな」
「十三歳が“長かった”と言うな」
少し呆れたように肩をすくめた後、クロウは続けた。
「いい動きだった。だが龍斗。
戦場では技術だけでは足りない。
迷いも恐怖も……全部、お前自身が乗り越えるんだ」
「分かってる。俺は……強くない」
「強くない?」
クロウは喉を鳴らすように、短く笑った。
「十三歳でこれだけ動ける奴は、世界に二人といない」
龍斗は目をそらす。
照れとも、不満ともつかない表情。
その横顔はもう“子供”ではなかった。
幼さの奥に、研ぎ澄まされた戦士の影が宿っている。
(……血清なんて、二度と御免だ)
胸の奥に、冷たい痛みがまだ残っていた。
S.E.A.L.D.s'本部・作戦室。
モニターの光の中、ミア・カストロが振り返った。
黒髪に大きなヘッドセット。
天才ハッカーらしい集中した目つきだが、龍斗を見た瞬間だけ表情が柔らぐ。
「龍斗くん! ついにデビューだ!」
「“くん”はやめろ。龍斗でいい」
「じゃあ……龍斗。緊張してる?」
「別に。任務をこなすだけだ」
「ふふ、クールだね。そこがいいんだけど」
モニターを操作しながら、ミアの声はどこか嬉しそうだった。
「任務の内容は?」
「はいはい、真面目モード入りました」
武器密売組織のデータが映し出される。
「小規模だけど……裏に“ヒドラ”がいる可能性が高いって」
「……ヒドラ」
龍斗の顔が曇る。
ミアは一瞬で察した。
「大丈夫。龍斗はひとりじゃないよ」
「……分かってる」
その声は、ほんの少しだけ柔らかい。
作戦前室。
「よーし来たな新入り!!」
イーサン・ラング――《IRON JACK》が豪快に笑いながら近づく。
「今日から俺の弟分だ! よろしくな!」
「痛っ……やめろ」
「照れてんのか? かわいいな〜!」
「可愛くない」
隊員たちが笑う。
龍斗はむくれながらも、どこか安心していた。
クロウが前へ出る。
「作戦を開始する。
ゴーストワイヤーは電子支援。
ジャックは突入口破壊。
龍斗は先行偵察だ」
「了解」
無線が震える。
『龍斗、無茶しないでね。ほんとに』
「分かってる」
『今の、“ちゃんと帰ってきてね”って意味だから』
胸が少し跳ねる。
「……必ず帰る」
『うん。それならいい』
ミアの声に、胸の奥がわずかに熱くなる。
「うちのチビは心配いらねぇよ!」
ジャックが割って入る。
「……チビじゃない」
笑いが広がり、緊張が少し和らいだ。
だが龍斗はまだ知らない。
この任務が、彼の過去を狂わせた“闇”へ続く入り口であることを――
そしてその闇は、ヒドラという名の影と深くつながっていることを。
龍斗の物語は今、静かに幕を開けたばかりだ。
S.E.A.L.D.s'本部の休憩室。
任務後の喧騒も去り、薄い照明だけが漂っていた。
龍斗は長椅子に腰を下ろしたまま、俯いて動かない。
強靭な身体を持っていても、その肩は小さく震えていた。
(……思い出したくなかったのに)
任務の途中で見た器具――
ただそれだけで、龍斗の頭に“あの部屋”の映像が勝手に再生される。
冷たすぎる金属台。
動けないよう固定された手足。
無表情のまま近づく白衣の影。
視界の端で光る注射針。
(……やめろ……)
喉がひきつき、呼吸が浅くなる。
思考が“あの日”へと引きずられそうになったその時、コン、と控えめなノックがした。
龍斗は少し驚き、とっさにドアの方へ顔向ける。
「……ここにいたのか」
ジャックが扉から顔を覗かせた。
片手にはラベルの剝がれたウイスキーボトルがある。
豪快でも優しすぎでもない、ただ“心配はしているが踏み込みすぎない大人”の表情だった。
「隣、いいか?」
「……ああ。」
ジャックは横に座り、キャップを外してそのまま一口。
アルコールの香りがふわりと広がった。
「……さっきの顔、気になった」
「……別に……。」
「そう言うやつほど、だいたい“別に”じゃない」
からかうでもなく、淡々とした口調。
龍斗は言葉に詰まり、視線を落とす。
「……少し……思い出しただけだ」
「ヒドラのことか?」
鋭くはないが、確信を持った声だった。
龍斗の指先がわずかに止まる。
「……ああ。
冷たい部屋と……あの針と……匂いも」
ジャックは驚かず、否定もせず、ただ静かに受け止めるように息を吐く。
「……あそこから“無事に戻ってきた”だけで、凄いことだ」
「無事なんかじゃない……。
今でも、たまに……勝手に思い出す」
「思い出して当然だ。
あそこは……子どもが耐えていい場所じゃない」
その台詞は優しすぎず、でも確かに龍斗の胸に落ちる“肯定”だった。
「ジャックは……そういうの、分かるのか?」
「俺も昔、似たような状況を経験した。
軍にいた頃だが……“逃げられない部屋”ってのは、覚えてるだけで息が詰まる」
語り方はあっさりしている。
過剰に自分の話を広げもせず、ただ“同じ種類の痛みは知ってる”と伝えるように。
「龍斗。
フラッシュバックが来るのは弱いからじゃない。
生き延びた証拠だ」
「……生き延びた、か……。」
「そうだ。
ヒドラがどれだけお前を壊そうとしても……“壊れなかった”」
龍斗はゆっくり息を吸い直す。
ほんの少しだけ、胸の圧迫が和らいだ気がした。
「……いつか、平気になると思う?」
「平気にはならないさ。
でも――“飲み込まれなくなる”日は来る」
ジャックは立ち上がる前に、短く言葉を残した。
「お前の過去は消えない。
ただし――今の龍斗は、ひとりじゃない」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ジャックはそれ以上言わず、休憩室を出て行った。
静かになった部屋で、龍斗は胸に手を当てる。
(……ひとりじゃ、ないか)
まだ答えは出ない。
それでも――
先ほどより少しだけ、呼吸が深くできた。