任務報告のざわめきが消え、今は深夜の静けさだけが満ちていた。
ジャックは誰もいないソファへどさっと腰を落とし、
ウイスキーの瓶をそのまま持ち上げる。
ラベルを見る気もなくキャップをひねり、喉へ流し込んだ。
「……ふぅ。ま、今日も色々あったな」
独り言に近い声と一緒に、小さく笑う。
表情は軽いのに、その奥にある影だけはいつも消えない。
(……あー、染みる)
アルコールが喉を焼くたび、
視界の端が、少しずつ“あの頃”の色へにじんでいく。
――8年前(回想)――
砂埃。
黒煙。
爆発の残響で耳が震え続ける。
まだジャックが軍にいた頃。
爆弾処理班。
一歩間違えれば吹き飛ぶような場所を、毎日のように走っていた。
崩れた建物の奥で、仲間が叫んでいる。
「ジャック! 逃げろ!! 俺は……無理だ!!」
「バカ言ってんじゃねぇ! 置いてくかよ!!」
瓦礫をどかす腕が震える。
肺は砂で焼けるみたいに痛い。
それでも必死に仲間を引き上げようとした。
(間に合え……頼むから……)
だが次の瞬間、
白い閃光が視界を覆い、
世界が一度、音ごと途切れた。
気づいたとき、
目の前には動かない仲間の身体。
呼んでも返事はなかった。
その顔にこびりついた土と血だけが、妙に鮮明だった。
(……守れなかった)
胸に沈んだ言葉は、今も抜けずに残っている。
――現在(回想終わり)――
ウイスキーをもうひと飲み。
ジャックは額を押さえ、低く息を吐いた。
「……まいったな、こりゃ」
そこへ、柔らかな足音が近づいてくる。
「ジャック、また飲んでるの?」
振り向くと、サンドヴァイパーが入口に立っていた。
腕を組み、呆れ半分、心配半分のような顔で。
「いいだろ? 今日は特に頑張った日だしよ」
「アンタ、毎回そう言うじゃない」
サンドヴァイパーはため息をひとつつき、
ジャックの隣へ腰を下ろした。
「……昔のこと、思い出してたんでしょ」
意外なくらい静かに言われて、ジャックは目を細めた。
「おいおい、なんでわかんだよ」
「わかるわよ。アンタのそういう顔、何度も見てるもの」
冗談っぽい口調なのに、目だけはまっすぐだ。
ジャックは瓶を見つめながら、ぼそっと漏らす。
「なぁ……俺は守れてるのか?
それとも……また同じことを繰り返してんのか?」
飲み込むように出たその言葉。
本人が一番驚いているようだった。
サンドヴァイパーはすぐには答えない。
ただ静かにジャックの手から瓶を取り上げると、
残っていたウイスキーを軽くあおり、テーブルへ置いた。
「……アンタさ」
「ん?」
「ひとりじゃないんだから」
「……は?」
「仲間がいるでしょ。
それに……龍斗も」
「龍斗……?」
「そうよ。あの子を守るつもりでしょ。
アンタのその気持ち、ちゃんと伝わってるわよ」
ジャックは空になった瓶を見つめる。
さっきまで色を持っていたウイスキーは、もう何も残っていない。
(……そうかよ)
任務のためじゃなく、“誰か”のために動く日が来るなんて――
昔は想像もしなかった。
「……ヴァイパー」
「なに?」
「ありがとな」
「別に。礼なんかいらないわよ」
照れ隠しなのか、素っ気ない口調で肩をすくめる。
「で、いつまで飲んでる気? ほんとデカい子どもね」
「ははっ、なにそれ。褒め言葉か?」
「違うわよ」
ジャックは、さっきより柔らかい笑い声をこぼした。
胸の奥に積もっていた砂埃が、少しだけ払い落ちていく。
「よーし……明日は龍斗に爆発物の基礎でも教えて――」
「絶対ダメ。十三歳に爆弾の基礎を教えないで」
「いやいや、有望株には早めにだな――」
「却下。即、却下」
深夜の休憩室に、軽いやり取りが響く。
蛍光灯の冷たい光の下なのに、
さっきまで凍りついていた空気が、ゆっくりと解けていった。
ジャックの古い傷はまだ消えない。
それでも――今の彼はひとりじゃない。
仲間の声が、もう一度歩き出す力をくれる。
午前3時。
まだ夜明けの気配すら見せない街の空は、黒いガラスのように静まり返っていた。
S.E.A.L.D.s'本部の作戦室は、冷えた蛍光灯の明かりだけが天井から落ちている。
龍斗は椅子に座ったまま、じっと机に置かれた“蛇の紋章”を見つめていた。
金属片の中央に刻まれた蛇は、どこか生き物のように蠢いて見える。
(ヒドラ……。また、あいつらか)
喉の奥がじわりと熱くなる。
あの白い手術室、針、冷たい笑顔――すべての元凶が、この紋章の奥にいる。
扉が静かに開き、クロウ隊長が入ってきた。
鎧のような黒いコートを着たその背中は、誰よりも頼もしく、誰よりも傷だらけだ。
「龍斗、眠れてないな」
「……眠る気にならなくて」
クロウは何も言わず、彼の隣に立った。
代わりに机の上の資料をひとつ取り上げ、鋭い眼でページをめくる。
「昨日の倉庫で回収したデータ。あれは“輸送先のリスト”だった。
ヒドラは、国家規模の武器商人じゃない。
――“能力者を軍需商品にする連中”だ」
龍斗は無意識に拳を握った。
「ミュータントを……商品に?」
「そうだ。異能を兵器化し、国同士に売る。
お前のような子供ですら、“素材”として狙われる」
その言葉に、胸の中で何かが弾けた。
(また同じことを……)
龍斗は、あの日自分を救ったキャプテン・アメリカの姿を思い出す。
――お前は自由だ。
その言葉に嘘はなかった。
だがヒドラが生きている限り、自由はただの“幻”だ。
「……止めないと。俺たちで」
小さな声だったが、クロウはしっかり聞き取った。
「その通りだ。
――だから、次の任務を告げる前に“彼女”にも来てもらった」
足音が近づいた。
振り返ると、青いマントを揺らしたレイヴンが入ってきた。
その後ろには、眠そうに目をこするミアと、肩を回しながら入ってくるサンドヴァイパー。
ジャックはもう作戦室にいた。
テーブルにもたれて眠りかけている。
「全員揃ったな」
クロウが資料を広げる。
「ヒドラは“能力者密輸ルート”を三本持っている。
一つは南米へ。
一つはヨーロッパへ。
そして……一つは、この街の“地下都市エリア13”だ」
レイヴンが眉をひそめる。
「……最悪の場所ね」
エリア13。
表向きは廃工場群だが、実態はギャングと闇商人が支配する無法地帯。
政府も警察も立ち入れない“影の王国”だった。
ミアが震える声で言う。
「……そこに、ヒドラの“幹部クラス”が潜伏してるってこと?」
クロウは頷く。
「そして奴らの護衛は、“属性能力兵の上位種”だ。
炎や氷の単能力じゃない。“複合系”だ」
サンドヴァイパーが小さく舌打ちした。
「複合……面倒ね」
ジャックは腕を組んだまま、龍斗に視線をやった。
「大丈夫か、坊主。昨日よりヤベぇ奴らが出るぞ」
龍斗は深呼吸し、ゆっくりと頷いた。
「……やるよ。倒すためじゃなくて――」
「守るためだ、でしょ?」
ミアが、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
龍斗は、こいつには敵わないなと思いながら言葉を続けた。
「守りたいものがあるから……俺は戦う」
作戦室の空気が変わった気がした。
決して大きくない声だったが、確かに全員の心に届いた。
クロウは地図の上に指を置く。
「任務内容は一つ。
エリア13に侵入し、“ヒドラ幹部《アッシュ・コブラ》”を捕らえる。
奴は複合属性能力者。炎+毒。
失敗すれば、この街は地獄になる」
ジャックが小さく笑った。
「だってよ坊主。なかなか派手なデビュー戦だな」
「……初任務は昨日だ」
「じゃあ二戦目だ。十分ヤバい」
サンドヴァイパーがスナイパーライフルを肩に担ぐ。
「どうせ撃たなきゃならないんでしょ。
アンタは前。私は後。
――死なないでよ」
レイヴンは龍斗の肩に手を置いた。
「焦らないこと。
怖がること。
そして……自分を信じること」
龍斗はその手を軽く握り返した。
(……みんな、俺の味方なんだな)
ミアが急に龍斗の背中を押した。
「ほら、立って!準備しよ!
龍斗のスーツ、私が全部調整するから!」
「え、ちょ、ミア――」
「嫌なの?」
「いや……そういうわけじゃ……」
「じゃあ決まり!」
ミアに背中を押されながら、龍斗は知らずに笑っていた。
クロウが最後に一言だけ言う。
「全員、準備しろ。
――ヒドラを狩るぞ」
そして、S.E.A.L.D.s'は深夜の街へと出撃した。
龍斗の心臓はまだ速く脈打っていた。
けれど、その脈の中には恐怖だけじゃなく、確かな意志も混ざっていた。
(守りたい。
もう、奪わせない。
……あの日の俺のように誰かを泣かせないために)
そして少年兵・真神龍斗の“二度目の戦場”が始まる。
――その影の向こうで、アッシュ・コブラは笑っていた。
「新しい“素材”が来るって聞いたが――
まさか子どもとはな。
……面白い」
火と毒をまとう男の嗤い声が、闇へ溶けた。
次の一歩が、龍斗の運命をまた少し変えていくことを
彼はまだ知らない。