S.E.A.L.D.s'本部の照明は、夜更けを過ぎても白々と明るかった。
だが廊下を歩く龍斗の足取りは、いつもよりわずかに重い。
(……役に立ちたいだけなのに)
胸の奥に、言葉にならない焦りが積もっていく。
ブラックアーチとの任務失敗から一週間。
仲間を守れなかった現実が、静かに、しかし確実に心を削っていた。
その夜、フューリー長官の執務室に呼び出された。
軽くノックすると、低い声が返る。
「入れ、龍斗」
執務室の空気は張りつめている。
フューリーはホログラムを操作し、ひとつの施設図を映し出した。
「ブラックアーチだ」
多重防壁、複雑な内部構造。
そして、その隅に浮かぶ――見覚えのある紋章。
「……ヒドラ」
「確実に動いている。
そしてどうやら――お前を探している」
龍斗の指先が、わずかに強張った。
「……自分を?」
フューリーは頷き、椅子を回して真正面から龍斗を見る。
「龍斗。力というものは、人間の本質を拡張する。
優しさも、恐怖も、迷いもだ」
龍斗は言葉を失う。
「お前は優しい。
だが同時に、まだ脆い」
白い部屋。
冷たい金属。
拘束具と、針。
記憶が、否応なくよみがえる。
(……やめろ)
息が詰まり、視界が一瞬歪んだ。
「血清の話が出ているのは知っているな」
龍斗の肩が、わずかに揺れる。
「安心しろ。
今すぐ使えとは言わない」
フューリーの声は淡々としていた。
「だが覚えておけ。
力から目を背け続けるのも、また一つの逃げだ」
龍斗は唇を噛みしめる。
「……自分は、まだ分からない」
それが、精一杯の本音だった。
「それでいい」
フューリーは短く言った。
「答えを急ぐな。
夜明け前は、人間が一番揺れる時間だ」
龍斗は小さく頷き、部屋を後にした。
廊下で、レイヴンとすれ違う。
「フューリーのところ?」
「ああ」
彼女は龍斗の顔を一瞥し、すぐに理解したように息を吐いた。
「眠れてない顔ね」
「……まあな」
「焦ると、視野が狭くなるわ」
静かな声だった。
「強くなりたい理由を、見失わないで」
龍斗は答えず、ただ頷いた。
作業室では、ミアがひとりモニターに向かっていた。
「龍斗? どうしたの、こんな時間に」
「……少し、頭を冷やしに」
ミアは椅子を回し、まっすぐ彼を見る。
「無理してない?」
「してるかもな」
その言葉に、ミアは少しだけ驚いた顔をした。
「でも……立ち止まるわけにもいかない」
ミアはゆっくり近づき、柔らかく言う。
「答えが出てないなら、それでいいよ。
考え続けてるってことだもん」
龍斗は目を伏せた。
「……ありがとう」
「ううん」
短い沈黙のあと、ミアは微笑む。
「私、信じてるから」
その一言が、胸に静かに落ちた。
夜明け前の訓練場。
空が、わずかに白み始めている。
龍斗はひとり、砂地に立つ。
(自分は、まだ足りない)
(でも……目を逸らすつもりもない)
拳を握る。
血清に頼るかどうか。
その答えは、まだ出ていない。
だが――
「考えることから逃げない」と、決めた。
夜風が吹き抜ける。
「……行くか」
その声は小さく、しかし確かだった。
夜明けは、もうすぐそこまで来ている。