「……君が、大きな鍵の少年か」
黒いハンチングを深くかぶった青年が、路地の入口に立っていた。
白シャツに黒のベスト。
ただの若者にしか見えないのに、その場の空気が一瞬で張り詰める。
「だ、誰なんだ……!?」
思わず声を上げると、青年は小さく肩をすくめた。
「まあ、ただの“解決屋”だよ」
「解決屋……?」
聞き慣れない言葉に戸惑う僕に、青年はニヤリと笑った。
「詳しい話は後でだ。――今は、後ろだ」
「……え?」
振り返った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
黒服の集団が路地を塞ぎ、その奥から白スーツに黒い仮面をつけた男がゆっくりと現れる。
「……逃げ場はないぞ、少年」
その声に、全身が竦む。
「ちっ……面倒なタイミングで出てくるな」
青年――トウマはため息混じりにハンチングを押さえ、前へと歩み出た。
「おい、坊主。下がってろ」
僕が一歩退いた瞬間――
――パキン、と鋭い音が路地に響いた。
地面に薄氷が走り、瞬く間に黒服たちの足元へ広がっていく。
驚く間もなく彼らの脚が凍りつき、悲鳴を上げた。
「な、なんだこれ――!?」
「足が……離れねぇッ!」
トウマは片手を軽く払う。
それだけで氷は一気に分厚く膨れ上がり、黒服たちを包み込んだ。
「……凍れ」
一拍。白に塗りつぶされた彼らは、音もなく沈黙した。
だが、まだ数人残っていた。
黒仮面の男の号令と共に、怒声を上げながら突っ込んでくる。
その瞬間、頭上の虚空が裂けた。
暗い穴の中から、無数の剣がギラリと輝きを放ちながら突き出てくる。
「――串刺しだ」
トウマが指先を弾いた。
剣は一斉に落下し、突進してきた黒服たちを次々に貫いた。
ドスッ。鈍い音が二度。
静寂が戻る。
(こいつは……いったい何者なんだ……?)
僕はただ呆然と、その背を見つめていた。
仮面の男
路地に残ったのは、白スーツの仮面の男ひとり。
「やはり、噂は本当だったか」
低い声が静かに響く。
その声音には焦りも驚きもなく、確信めいた響きだけがあった。
「お前は……“解決屋”の――照嶽透真」
「ん?俺の事知ってるのか?」
トウマが片眉を上げる。ハンチングの影に隠れた瞳が、不快げに光った。
「俺の名前を知られてるようで光栄だな。」
「ふん。貴様は“境界”にとって異物だ。数多の異常を踏み潰してきた存在……」
「へぇ、よく知ってるな。」
トウマは小さく笑い、片手をポケットに突っ込んだ。
「で? そんな俺に向かって突っかかってきた理由は何だ」
仮面の男はじっと僕を見据え、低く告げる。
「決まっている。我らは“大きな鍵”を求めている。少年、お前が持っているはずだ」
(やっぱり……こいつらの狙いは、あの鍵……! でももう……ミリアに……!)
血の気が引いた瞬間、トウマが鼻で笑った。
「質問だ。……お前らは、その鍵が何なのか、本当に知ってんのか?」
「……何だと?」
「ただの道具じゃねぇぞ。欲望丸出しで掴みに来れば、命を削られることすら知らないのか」
仮面の奥で男がわずかに沈黙した。苛立ちの気配が滲む。
「……貴様は、知っているのか」
「内緒♡」
軽い調子でそう言って肩をすくめる。
冗談めいていながら、その笑みは背筋に冷たいものを這わせる。
「……ここは退く。場所と時機を改める。我らは“鍵”とその器を必ず回収する」
次の瞬間、仮面の男の気配がふっと薄れた。
残滓のように姿が掻き消え、路地に残されたのは俺とトウマだけだった。
「いったい……何なんだ、あいつは」
震える声を絞り出す僕に、トウマは軽く肩を竦めた。
「さあな。けど――面倒な連中が動き出してるのは確かだ」
解決屋の事務所
「なあ、君。名前は?」
路地の血の匂いがまだ漂う中、青年が僕に問いかけた。
「……僕は、レオン。レオン・アルヴェインです」
「レオン、ね」
青年――トウマは小さく頷き、口の端を上げた。
「よし、決まりだ。君、俺と一緒に来い」
「え……ど、どこにですか?」
「心配すんな。危ねぇ橋は渡らせねぇよ。一人で歩いてたら、さっきの連中にすぐ潰されるぞ」
その言葉に、喉がひゅっと鳴った。
確かに、僕一人じゃ到底生き延びられない。
「……わかりました。お願いします」
「素直で助かる」
トウマは肩をすくめ、路地を抜けて歩き出した。
* * *
街外れの石造りの事務所。
中へ入ると、魔導端末の光と整然とした書類の山が目に飛び込んできた。
「ボス、おかえりー……って、ええっ!?」
金髪ロングの少女――アイリが振り向いた瞬間、目を見開いた。
鋭い目つきとギャルっぽい雰囲気。
「ちょ、マジすか!? 依頼の子供、捕まえてきたんすか!?」
「捕まえたってより、保護だな。今回どう見ても訳アリだし、放っときゃ確実に殺される」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
アイリが机をドンと叩いて立ち上がった。
「依頼でもないのに抱え込むとか、リスクしかないじゃないっすか! しかもタダ働きで!」
「わかってる。けど――見捨てりゃ後味悪ぃだろ」
トウマは軽く笑って肩をすくめる。
「だから一時的に保護。それでいい」
「ボス、甘すぎっすよ……!」
アイリは苛立ちを隠さずに腕を組んだ。
僕は胸を締めつけられる思いで二人のやり取りを見守っていた。
だが、トウマの視線がこちらに移る。
「それで――レオン。お前が抱えてた“大きな鍵”。あれを見せてくれ」
「……その……」
言葉を詰まらせ、視線を逸らす。
「実は……盗まれてしまったんです」
沈黙。
アイリが絶句し、目を見開いた。
「は、はぁぁ!?」
トウマはしばらく黙って僕を見ていた。
やがて盛大にため息を吐き、頭をガシガシとかいた。
「マジかよ……最悪だな」
ラフな口調のままなのに、その顔には心底うんざりした色が浮かんでいた。
「せっかく助けてやったと思ったら、余計面倒が増えやがった……」
(助かった――でも、鍵を盗まれたのは僕だ)
胸の奥が重く沈んだまま、僕はこの人たちに縋るしかないと思った。
トウマ視点
「……マジかよ」
俺は額を押さえ、深いため息をついた。
――はぁ、何だこの状況。
依頼でガキを探してこいって言われて、正直ただの人探しだと思ってたんだよ。
それが蓋を開けてみりゃ、追っ手に囲まれてるわ、妙な仮面野郎までしゃしゃり出てくるわで、面倒くささマシマシ。
しょうがねぇから助けてやった。
氷と剣でモブどもを蹴散らすのなんざ一瞬だ。
で、やっと連れて帰ってきて、鍵を見せろって言ったら――
「盗まれました」……だとよ。
……いやいやいや。
「ったく……依頼通りにガキを保護したら変な奴らに追われて、命張って助けて、鍵を確認しようと思ったらこの有様かよ」
俺はハンチングを深くかぶり直し、机に肘をついて項垂れる。
「厄介ごとばっかだな……」
心底からの本音が口をついて出た。
「厄介じゃねーっすよボスぅぅ!!」
横から轟音のような怒声。
アイリが椅子を蹴飛ばし、目を血走らせて立ち上がっていた。
「この状況、どー責任取るんすか!? 依頼は半端、報酬はゼロ、鍵は盗まれて、敵はわんさか追っかけてきて――これ、マジで詰んでんじゃないっすかぁぁぁ!」
机の上の書類をバサバサ叩きながら叫ぶ。
「ボスの“気まぐれ保護”のせいで! うちの経営も信用もガタ落ち! 下手したら組織ごと潰れますよ!?」
「うるせぇな……」
俺は片耳を塞ぎながら、半眼でアイリを眺めた。
ギャルは普段うだつが上がらないくせに、こういう時だけ無駄に元気だ。
「でもな、見捨てるわけにもいかねぇだろ? あの仮面野郎に殺されてたら寝覚めが悪い」
「寝覚めとかどーでもいいっす! うちは慈善事業じゃないんすよ!」
アイリの怒号に、レオンがオロオロと両手を振る。
「ご、ごめんなさい! 僕のせいで……!」
「謝って済むなら世話ないんすよォォ!」
……ダメだこりゃ。
俺は頭をガシガシ掻いて立ち上がる。
「おいアイリ。文句はあとで聞く。今は――盗んだやつを突き止める方が先だ」
「……また面倒増やすんすか」
「任せるっす! ――“アーカイブスキャン”展開!」
次の瞬間、空気がわずかに震えた。
目に見えない情報波が街へ放たれ、数百メートル先まで広がっていく。
範囲内の人物や生物の行動ログ、魔力反応、発した言葉の断片すら自動的に吸い上げられ、
彼女の意識に流れ込んでいった。
アーカイブスキャンは強力だが、同時に危険な術式でもある。
過去二十四時間分の“認識情報”を一気に拾い上げるため、膨大なデータが精神を圧迫するのだ。
さらに――味方のプライベートまでも丸裸。
ゆえに便利すぎて嫌われがちな能力でもあった。
俺は大きく息を吐き、レオンをちらりと見やる。
怯えた目でこっちを見返してきた。
――まあ、ここで放り出したら本当に死ぬだろうな。
「……ったく」
再び頭を掻きむしり、天井を見上げてぼやいた。
「面倒がどんどん増えてくぜ」
「……あ、そうだボス」
急にアイリが冷めた声でこちらを見た。
さっきまで端末を操作していた指がぴたりと止まる。
「昨日、私の風呂……覗いてましたね?」
「はあ!? 覗いてねぇよ!」
「ログに残ってたんすよ。“アーカイブスキャン”で。
視線の動きも、思考の断片も、ぜーんぶ」
「お、おい待て、それは誤解だ! 偶然通りかかっただけで――」
「……最低っすね、ボス」
ギロリと向けられた軽蔑の眼差しに、俺は言葉を失った。
レオンがオロオロと僕とアイリを交互に見ている。
……やっぱり、この能力は便利すぎて嫌われる。
心底からそう実感した。