盗人の少女を確保した俺たちは、事務所へ戻るため裏通りに足を踏み入れた。
腐った木材と酒の臭いが混じり、昼間でも陽が差さないスラム街。
そこを歩くとき、人は大抵懐に手を入れる。財布を守るためか、武器を抜くためか。
「……本当にここにいるんですか?」
レオンが不安そうに周囲を見回す。
「ああ、間違いねぇ」
ジークが煙を吐きながら頷いた。
「俺のツテが言ってた。裏通りで最近、妙な鍵を見せびらかしてる小娘がいるってな」
「妙な鍵……」
レオンの胸が痛む。あれは父の形見だ。絶対に取り戻さなければならない。
「おっけー。じゃ、行きますかー」
リリィがのほほんと両手を合わせ、アイリは端末を操作しながら鋭く言い放つ。
「全員、警戒っすよ。裏通りは教団のシマにも近い。派手にやったら即アウトっす」
「了解」
トウマはハンチングを軽く下げ、歩を進めた。
ミリア登場
狭い路地の奥、物陰に身を潜める影。
赤みを帯びたピンクの髪がちらりと覗く。小柄な少女――ミリア。
「ったく……クソ親父。ろくに金も残さねぇで死んで……」
ぶつぶつ文句を言いながら、懐から取り出したのは――レオンの“大きな鍵”。
手に握ると、微かに光が走る。
「これさえありゃ、しばらく食ってける……はず」
その瞬間。
「見つけたぜ」
氷が地面を這い、少女の足元を固めた。
振り向いたミリアの視界に、ハンチングをかぶった俺の姿が映る。
「ッ……!?」
「そ、それは……僕の鍵だ!」
レオンが叫ぶ。
「ちっ、ガキ……!」
ミリアは鋭い目で睨み、器用に氷を蹴って砕いた。身軽さは猫のよう。路地を駆け抜ける。
「逃がすかよ!」
トウマが指を鳴らすと、虚空から幾本もの剣が出現し、前方に突き刺さって行く手を塞ぐ。
「くっそ!」
ミリアは壁を蹴って跳躍し、屋根へ。
「屋根に逃げた!」
アイリが叫ぶ。端末を操作し、仲間の位置を共有する。
「ボス、右の路地に抜ける! ジーク、そっち回って!」
「了解だ」
ジークが煙を吐き捨て、コートを翻す。裏通りの構造を熟知しているジークは、迷いなく先回りしていた。
「リリィ、サポート頼む!」
トウマが声をかけると、リリィはにこっと笑って詠唱を始める。
淡い光が路地に広がり、足場を強化。崩れかけの屋根を補強して、レオンが追いやすいようにする。
「ありがとう、リリィさん!」
「がんばってね、レオンくん」
レオンは全力で走り、屋根を飛び移る。
振り返ったミリアの手には、大きな鍵が握りしめられていた。
「しつこいんだよ!」
ミリアが小刀を抜き、氷を切り裂きながら突っ込んでくる。意外に腕が立つ。
「レオン、下がれ!」
俺が前に出て氷の壁を展開。火花のように霜が散った。
「ちっ……!」
ミリアは即座に飛び退き、別の路地へ。
しかし、その先にはジークがいた。
「行き止まりだぜ、小娘」
煙草をくゆらせながら、片手に短剣を構える。
「くそっ……!」
身を翻そうとした瞬間、俺の氷の鎖が両足を絡め取った。
「捕まえた」
転がった“大きな鍵”を、アイリがすばやく拾い上げる。
端末を操作しながら、冷静に告げた。
「……間違いないっすね。これはレオン君の鍵っす」
「おいおい」
ジークが眉をひそめる。
「便利なもんだな。どうやって照合してんだ?」
「ふふーん。私の能力っす。“トレースコード”。
体格や魔力の波長、思念のクセをコピーして、残留情報と照合できるんす」
「……そういやお前、そんな能力だったな」
トウマは苦笑してハンチングを押さえる。
「ちょ、ボス! 失礼っすよ!」
アイリが頬を膨らませた。
ジークは鼻で笑う。
「なるほどな。裏方で役に立つわけだ」
「うっさいっすねジジイ!」
「火ィついたな」
「やんのかコラ!」
二人が火花を散らす横で、リリィがぽやんとレオンの肩を叩く。
「安心してね。アイリちゃん、口は悪いけど仕事はちゃんとするから」
「は、はぁ……」
レオンは鍵を見つめて小さく安堵した。
だがその直後、ミリアが吐き捨てる。
「アンタらに渡すくらいなら……いっそ教団に売った方がマシだったのに」
空気が一変。
ジークの瞳が鋭く細まり、俺はハンチングを深くかぶり直す。
「……やっぱり、絡んでやがったか」
氷の鎖に絡め取られたまま、ミリアはギロリと睨みつけてきた。
小柄な体に似合わない強気。まだ諦めてない目だ。
ジークが煙草をくゆらせながら肩をすくめる。
「さて、どうするこのガキんちょ」
「そうだな……」
トウマは口角を吊り上げ、ゆっくり歩を進める。
「ちょっと脅してやるか」
「お、ボスも悪い顔してんじゃねぇか」
ジークもにやにやと並んで歩き出す。
「軽くビビらせときゃ、次からは変な真似しねぇだろ」
「や、やめろっての! 近寄んな変態ども!」
ミリアが必死に後ずさる。
「くくっ、怯えてるぜ」
「余計に燃えるな」
二人で悪役みたいに迫った――その瞬間。
ゴッ!!
「ぐはっ!?」
「おぶぅっ!?」
トウマとジークの後頭部に、アイリの鉄拳が同時に炸裂した。
星が飛ぶ勢いで前のめりに倒れ込む俺らを見下ろし、アイリは腰に手を当てて叫ぶ。
「エロおやじども! なにやってんすか!」
「ち、違ぇ! ちょっとビビらせてやろうと……」
「そうだ、軽い冗談だ!」
「はぁ!? 冗談で済むか! セクハラで訴えられても文句言えねぇっすよ!」
アイリはぷんぷん怒りながらミリアの前に立ち、しゃがみこんだ。
「アンタも安心しな。あんたも“保護対象”っす。組織に来てもらうから」
「はぁ? 誰がアンタらと行くかっての!」
ミリアは鎖に縛られながらも、舌を出して「べー」と挑発。
「どうせ私を利用する気なんでしょ? バッカじゃないの!」
「なっ……!」
トウマとジークは頭を押さえながら同時に眉をひそめる。
「このガキ……」
「イラつくなぁ……!」
空気がピリピリし始めた、その時。
「はいはい。おやすみなさい」
リリィがぽんと両手を合わせると、淡い光がミリアを包み込む。
「な、なにこれ……!?」
抵抗しかけたが、次の瞬間ぱたりと眠りに落ちた。
「……すげぇな」
レオンが呆然と呟く。
リリィはにこにこと笑いながら肩をすくめた。
「ちょっとした睡眠魔法だよ。強情な子にはこれが一番」
「助かったぜ。こりゃしばらくおとなしくしてもらうしかねぇな」
ジークが眠るミリアをひょいと肩に担ぎ上げる。
「重てぇ荷物だが……まあ、街の裏通りで転がしておくよりはマシだ」
トウマは帽子を深くかぶり直し、掌の上の“大きな鍵”を見下ろす。
淡く光を帯びたその姿に、無意識に息が詰まる。
「……一旦、この鍵は俺が預かる。放っておけばまた誰かに狙われる。
――少なくとも、今は俺の手の中に置くのが一番安全だ」
レオンは悔しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。
リリィが彼の背をそっと撫でて安心させる。
ジークの肩で眠っていたミリアが、半分夢の中のように顔をしかめて口を開いた。
「……お前らなんかに……負けねぇ……覚えとけよ……」
その小さな悪あがきに、ジークは苦笑しながら煙を吐く。
「口だけは一丁前だな」
こうして――盗人少女ミリアは確保された。
だが、これはほんの始まりにすぎなかった。
******
氷に縛られたまま眠らせたミリアを担ぎ、俺たちは夜の街を足早に歩いた。
石畳を踏む音と、時折吹く冷たい風だけが耳に残る。
「はぁー……やっと捕まえたと思ったら、ほんと面倒っすね」
アイリが端末を見ながらため息をつく。
「帰ったらすぐ取り調べっすよ。長引かせたら経費がかさむんすから」
「経費経費って、秘書は数字のことしか頭にねぇな」
ジークが肩をすくめ、眠るミリアを担ぎ直す。
「……おい、こいつ重てぇぞ」
「ふふ。よく食べてるんじゃない?」
リリィはレオンの手を引きながら笑った。
「レオンくん、大丈夫? 歩き疲れてない?」
「え、えっと……大丈夫です」
レオンはきょろきょろと辺りを見回す。
トウマは懐の“大きな鍵”を指先で弾き、鼻で笑った。
「……ここからは静かに帰れりゃいいんだがな」
――その直後。
矢が飛来し、俺の足元に突き刺さる。
「っち!」
咄嗟に氷の壁を展開。火花が散った。
路地の奥から白スーツに黒仮面の集団――深層教団の追っ手が現れる。
「……教団だけじゃねぇ」
ジークが舌打ちした。
「噂が回ったか、それとも――その鍵自体が呼んでやがる」
さらに別の路地から、黒装束の傭兵団まで現れ、剣を構える。
「全員、走れ!」
トウマの号令で、一斉に駆け出した。
「重てぇ……! ガキにしてはずっしりしてやがる!」
ジークが叫ぶ。
「愚痴は後っす! 走って走って!」
アイリが最短ルートを叫ぶが、すぐに顔を引きつらせる。
「右も左も塞がれてるっす!」
「どっちだよ!」
「こっち選んだ方がまだマシっす!」
レオンは必死に走りながら、小石を蹴り上げた。
石は追手の視界をかすめ、男の足を半歩もつれさせる。
――拙いが、確かに“自分の一手”だった。
「チッ、キリがねぇ!」
トウマは立ち止まり、魔法陣を半分だけ展開。冷気が路地を白く曇らせる。
「ここで一発――」
「やめろーボス! 半分でも区画ごと凍る!」
アイリが肩を掴んで絶叫。
トウマは舌打ちし、魔法陣を消した。
「……秘書のくせに強引だな」
「当たり前っす!」
リリィがふわりと立ち止まり、眠たげに手を広げた。
「みんな、つかまって。……だいじょーぶ、ちゃんと飛べるから。きっとね」
「“きっと”って言うなーー!」
アイリの悲鳴が風に攫われる。
次の瞬間、突風が渦を巻き、俺たちは一気に宙へ。
屋根と屋根の間を越え、追手の矢をすり抜けて別の路地へと吹き飛ばされた。
だが――。
「待ち構えてやがったか!」
着地先にも仮面の一団が壁のように立ちふさがる。
「チッ、ならこうだ!」
俺は掌を突き出し、冷気を迸らせる。
氷が地面から隆起し、即席の滑り台のように湾曲した道を作り出す。
「全員、乗れ!」
ジークがミリアを担いだまま飛び乗り、レオンはリリィに手を引かれる。
アイリは「保険おりなかったらマジ請求しますからね!」と怒鳴りながら、しっかりついてくる。
氷の斜面は敵陣を外れて横の狭い通路へと軌道をずらし、俺たちはそのまま滑り抜けた。
「今だ、飛び込め!」
トウマは懐の力ではなく、自分の魔力で空間を裂く。
虚空に渦巻く光が口を開き、逃走の道を照らす。
ジークが先にミリアを抱えて突っ込み、リリィがレオンを引っ張る。
アイリが最後に飛び込み、トウマは背後の追手を一瞥してハンチングを深くかぶった。
氷の滑り台が光の渦へと吸い込まれていく。
振り返りざま、俺は敵陣を一瞥し、口角を吊り上げた。
「――じゃあな~!」
その言葉と同時に、俺たちの姿は光に呑まれ、裏通りから完全に掻き消えた。