褐色の残り香 作:自棄ノ原
原作5巻まで読了後推奨
三月二十八日。
総軍は、第一軍の司令部と主要指揮官をネヴラス市に集合させ、会合を持った。
ほとんどの指揮官は自分の参謀長を伴っているが、ディネルースはイアヴァスリルを旅団に残し、かわりに作戦参謀のラエルノアを随行させてきた。アンファングリアには副旅団長がいないため、旅団長不在時は参謀長がそれに代わるためである。
将官会議の主題は、今後の作戦構想にあった。広大なネニング平原を舞台とし、その中央に陣取る敵主力に攻勢をかける。オルクセン軍のほぼ全てを動かし、両翼包囲するという。
総軍作戦部長のグレーベン少将がそう説明すると、ディネルースをはじめ、第一軍の諸将は息を飲んだ。そして沸々と闘志が湧き上がるのを感じた。誰もが想起した一つの言葉があった。
――決戦だ。
皆は、作戦部長の流れるような説明をますます熱心に聞きつつ、大机の首座に位置する国王にそっと目をやった。
諸将の幾名か、とくに軍歴が長い者たちは「宿将たるツィーテン閣下を失われては、さすがの王も」と案じつつ、この会議に参集した。
しかし、彼らはすぐに自らの不明を恥じた。
会議場に姿をあらわしたグスタフ王は、気落ちするどころか、平素に倍するほどの威厳と力を感じさせた。いまも泰然として威風を放ち、議論する諸将を見渡している。口を挟むわけではないが、誰もが王の真剣な眼差しを密かに意識せざるを得ない。
その眼差しの強さ、厳しさが――
この大作戦こそ、この戦争の死命を制す
――という、王の判断を無言のうちに伝えて、常にない熱気と緊張感を会議に与えている。
さすがは我が王だと、心中で敬意を新たにした者が少なくなかった。
(……よくないな。やはりか)と感じていたのは、ディネルースだけだった。
その後の質疑応答は当然に活発に行われた。ディネルースも挙手し、総軍の判断に対してかなり批判的な質問を投げかけた。
幾名かは、彼女とグレーベンの関係を案じたかもしれないが、彼女自身にはそのような意趣はない。
グレーベンは自信をもって作戦の万全を論じ、ディネルースも確たる材料を持たなかったので、この場は引き下がった。
(しかし、少しく危ういな)とも思っている。万一の時に備えて、柔軟に動けるようにしておかねばなるまいと、内心の帳面に書きつけた。
やがて質疑が果てると、王は諸将に訓示を述べた。
「諸君。待ちに待った、決戦だ――」
そう決意を述べ、将兵への信頼を語る王の姿は堂々として、まさしく八十万の大軍を親率する軍国の大王らしい威があった。
会議の後、王は将官たちとの昼食会をもった。ディネルースも参加している。戦況の話題、各自の武功にと、話題は尽きない。全局優勢の高揚感もあり、楽しい昼食となった。
しかし誰もが気を遣っており、ツィーテンの名には触れない。王もまた、そうであり、終始上機嫌に見えた。
昼食会には、ただひとり軍人以外の参加者として、王の友人の人間アストンもいた。キャメロット人だが、今は王の外交諮問官として仕えている。
「近頃の陛下のご様子は……?」とディネルースは問うた。アストンは、王にとって数少ない、気の置けない友人といっていいのだ。
アストンは礼儀ただしく応じた。陸軍少将への態度というより、キャメロット人らしく、貴婦人に対するような柔らかい丁重さがある。
王の近臣のひとりだけあって、ディネルースと王の私的な関係についても、口には出さないまでも心得ているのであろう。
ディネルースの懸念もすっかり察しているらしく、アストンは答えた。
「なにぶん、戦陣のことですから、つい先日はいささか……お疲れのご様子もありましたが」
しかし、と王の外交顧問は言う。
「今ではすっかりご快復のご様子で。お食事もよくお召し上がりです。ええ、昨日も――」
と、仔細はぼやかしつつ、王が雄大な戦後構想を描いていると教えてくれた。
ディネルースは、安堵の声で言った。
「それは何より。国王陛下は、ますますご健勝のようですな」
王は元気を取り戻し、だから仕事に打ち込めるようになった――と、アストンは解しているらしい。
首肯しつつも、ディネルースの見解は異なる。
完全な間違いとは思わないが、王はむしろ、仕事に打ち込むことで立ち直ろうとしているのだろう。牡が喪失を埋める、一つの方法であるに違いない。
昼食会場では、弾む会話の中心から、王の快活な笑い声が聞こえてくる。
国王は、実際、快復しつつある。案じる必要はない。
残る問題はグスタフ・ファルケンハインの方だけだと、ディネルースは思った。
彼女だけが、王の元気さに、彼の努力を感じたからである。