人間の青年・累(るい)が家に帰ると、ボロボロで首輪を着けた見知らぬ鬼の青年・絡斗(らくと)に襲われる。
 なんとか獲得した夕飯分の猶予。そこでの短い交流の中で、累は少しだけ絡斗を知る。
 やがて始まる、捕食にも似た行為。その最中、累は思い出す。自分には、絡斗と過ごした日々があったことを……。

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第1話

 錆に染まった階段が調子を外して鳴る。今更不安がることは無いが、じっとり湿った今晩は特に気にしていられない。

 

 不快な汗を吹き飛ばす扇風機に思いを馳せながら、静かな廊下を歩いていく。夕飯を食べたら、買っておいたアイスでも頂こうか。バニラが残っているといいな、と思いながら、俺は鍵を回した。

 

「ただいま」

 

 俺は誰もいない部屋に言った。

 

 暑さと疲労で鈍っていたのだろう。部屋の電気が点いていることに気づいたのは、扉が完全に閉まってからだった。

 

「おかえり」

 

 首輪の鎖を床に垂らした、見知らぬ青年が答えた。

 

 ボサボサ髪の左右に生えた角は折れており、ボロボロの服には大きな黒い染み。十中八九、血液だ。どちら側から付着したものだろうか。

 

 扇風機よりも強い風に、暑さはすっかり吹き飛ばされた。

 

 咄嗟に外へ逃げようとしたが、青年に腕を掴まれ、俺は玄関に倒された。青年が俺に覆い被さった背後で、独りでに施錠音が鳴った。

 

 剥き出しの四肢で押さえつけられ、身動きが取れない。らんらんと光る琥珀色の目が、乱れた呼吸の奥から覗く鋭い牙が、俺を喰らわんとしているというのに。

 

 青年が顔を近づけてくる。湿った息が顔にかかり、生温い鎖が首にのしかかる。

 

 一滴の汗が、俺の頬を滑り落ちた。

 

 鞄は足元にある。手元にあったからといって、どうにかなりそうも無いが。

 

 せめてもの抵抗として、顔に伸ばされた手を払い除けた。

 

「……変態か? 幽霊か?」

 

 払われた手から視線を戻すと、青年は微笑んだ。

 

「変態だよ」

 

 頭の角を見る限り、少なくとも人間ではない。鍵が勝手に閉まったのも、そういう術の類だろう。

 

「そうか。勝ち目は無いようだし、降参する。けど、飯を食べてからでもいいか?」

 

「――は? 飯って、ぼくがきみを喰おうとしてるんだけど」

 

「逃げるつもりは無い。アイスまで食べ終わったら、大人しく据え膳になってやるよ」

 

 青年は怪訝な顔を向けると、警戒心を露わにしながら俺を解放した。

 

「約束。それまでは我慢してあげる。安心してよ、鬼は嘘を吐かない。そして、嘘が嫌いだ」

 

 それを聞いて、俺は安堵した。変態の鬼相手とは言え、約束を破るつもりなど毛頭無い。

 

 俺が立ち上がるとすぐに、彼は部屋へ歩いて行く。その後を、長い鎖が引きずられながら追っている。

 

 なんとなく気になって手に取った。鉄っぽい金属製なうえ、太い輪が連なっているので、ずっしり重い。こんなに重いものに繋がれて、苦しくないのだろうか。なんて考えていると、鎖が引かれた。見れば、青年が首輪を押さえて睨んでいた。

 

「あ、悪い」

 

「持ってていいよ」

 

「いや、返すよ」

 

 俺が鎖を手渡すと、青年はすぐに床に捨てた。ガシャン、と夜中にふさわしくない音。隣も下も空き部屋でよかった。

 

     ◇

 

 扇風機のおかげで、まとわりついていた熱は幾分かマシになった。

 

 部屋着に着替えている間も、青年は部屋の隅に立って俺を監視していた。その表情は威嚇する犬を彷彿とさせた。

 

 彼の服の血痕が気になったので、俺は部屋着を貸した。彼にはどれも大きく、文句を言いながらも彼は着替えた。

 

「……きみの匂いがする」

 

「あんまり嗅ぐな、変態」

 

 落選した服をしまう。こんなに引っ張り出したのは久々だからだろうか、隙間が妙に広く思えた。

 

 その間も、青年はずっと隅にいた。

 

「そこ、座りなよ。なんか食べるか?」

 

 冷蔵庫を漁っていると、机の前に腰を下ろした青年が困惑した声で言う。

 

「警察とか呼ばないの?」

 

「鬼には無力だろ」

 

 ピー、と冷蔵庫が鳴く。

 

「……アイス食べたい」

 

「おう」

 

 冷凍庫からカップのバニラアイスを取り出して、スプーンと共に青年の前に置いた。青年の目が少しだけ輝いたように見えた。

 

 夢中でアイスを頬張る青年を背後に、俺は台所に立った。作るのは野菜炒め。ベーコンも混ぜて、塩胡椒で味付けする。冷凍ご飯を解凍して、夕食のできあがり。

 

 数口食べたところで、空のカップを置いた青年が呆れたように皿を指す。

 

「きみ、そればっかり食べてるの?」

 

「まあな。よくわかったな」

 

「冷蔵庫に同じ食材しか並んでなけりゃ気づくよ。飽きない?」

 

「飽きないな。美味いし」

 

 もちろん休日には他の料理を作ったり、コンビニとかで買ったりする。これは節約だ。機械的に繰り返すなら、使うエネルギーや時間が最小限で済む。

 

「……あぁ、そう」

 

 よくわからないが、へそを曲げてしまったようだ。

 

「まあ、がいいならいいけど」

 

「あれ、名前教えたか?」

 

「わかるんだ、鬼だから」

 

「そういうもんか。なんか不公平だし、あんたも教えろ。人間はわからないんだ」

 

「はあ? なんで…………絡斗(らくと)」

 

 捨て台詞のように言うと、立ち上がってカップとスプーンを台所に持っていった。初対面の印象とはアンバランスな律儀さだった。

 

     ◇

 

 皿を片付けると、俺はソファで膝を抱える絡斗の隣に腰を下ろした。据え膳とは言ったものの、具体的にどうすればいいのか全くわからない。煽情的な所作とか見当もつかないので、とりあえず手を出しやすいよう隣に並んだ。

 

 けれど、絡斗が出したのは疑問だった。

 

「アイス、食べないの?」

 

「一個しか買ってなかった」

 

「ふぅん。優しいんだ」

 

 絡斗は膝の上で組んだ腕に顔を埋めて、こちらに目を向けた。

 

「何か期待してる?」

 

 心当たりを探していると、隣から失笑の声。

 

「あはは、大丈夫、わかってるよ。……アイスが無いなら、もう約束の時間だね」

 

 早速押し倒されるかと思いきや、絡斗は俺の汗ばんだ首筋に顔を近づけた。犬のように匂いを嗅いで、ぺろりと一度舐めた。生温い感触に、心臓が一瞬跳ねた。

 

「……平然としてるね。慣れてるの?」

 

 俺の肩を掴んだまま、睨むように見上げた。

 

「そういう経験は無い。もちろん、喰われたことも。けど、どうなるかわかってるんだから、怖がることは無いだろ」

 

「肝が据わってるなぁ。……え、ぼくが初めてなんだ。かっこいいのに、もったいない」

 

 ぼすん、と絡斗は隣に脚を伸ばして座った。無邪気な仕草をしながらも、濁った視線だけは俺を捉えている。

 

「尚更、なんで嫌がりもしないのさ。命の危機で脳がイかれちゃった?」

 

「かもな。あんたが凄く可愛く見える」

 

「……重症じゃん」

 

 剥き出しの軽蔑までもが子猫のように見えて、俺は自嘲気味に笑った。

 

 ふと、猫耳――ではなく、折れた角が目についた。何故、折れているのだろう。断面をよく見ると、力に任せて折られたようだった。となれば服の血は、傷こそ無いが恐らく彼のもの。

 

 視線の変化に気づいたのだろう、絡斗は怪訝な目を向けた。

 

「何さ」

 

「それ、痛くないのか?」

 

 絡斗は息を詰まらせた。視線を逸らした後、俺の腕に手を触れ、弱々しい声で言う。

 

「……うん……痛いよ。痛いんだ。すごく、ね」

 

 俺の腕に縋った手が、指先へと滑っていく。

 

 見上げる瞳は底無しの渦。

 

 ――この色を知っている。

 

 倒れつつある身体を見過ごすわけにはいかない、と焦燥感に突き動かされた。

 

 受け止めたつもりになっていた。

 

 けれど、本当は呑まれていたのだ。

 

 その瞬間――感覚だけが置いてけぼりで、扇風機の音を聞いていた。

 

 下唇を軽く噛まれて、感覚が引き戻された。鋭敏になった神経は、その微かな感触にも反応し、侵入を許してしまった。

 

「――――!」

 

 捕食者は真っ先に、獲物の舌を絡め取った。薄く柔らかい舌で、翻弄するように先端を撫で、根元を押さえつけた。獲物の舌から力が抜けると、今度は執拗に口腔を犯し始めた。

 

「――ッむ、ぐ……!」

 

「……ふ……んぅ」

 

 呼吸なんてできない。僅かな隙があったとて、吐息と呻きが逃げるだけ。たまに溢れた唾液が枕を汚す。

 

 苦しいのに、身体が動かない。四肢は杭を刺されたかのように押さえつけられている。それが無くても、溶けた筋肉は動けない。無力感は甘美に巡って、神経を撫でるスパイスになった。

 

「……ふ、ぅ……ッうぅ……」

 

「……んふ……は、ぁ」

 

 暑さも相まって脳が茹り、理性が融解していく。

 

 ここにいるのは、二匹の獣。快楽しかいらない、おんなじ獣。違いといえば、食物連鎖の上下だけ。

 

 味なんてどうでもいいようで、ただ、腹を満たすために貪っている。だが、いつまで経っても空腹は満たされない。永遠に続くかのように思える捕食行為。

 

 快楽すらわからなくなってきた頃、やっと口が離された。

 

 右腕が力無く床に垂れた。

 

 舌から滴る糸を飲み、薄く瞼を開かせて、陽炎に揺れる瞳で絡斗が俺を見据えている。

 

「あは、犬みたい……」

 

 涎を零す口でぼんやりと呼吸する俺の頬を撫でた。

 

「頑張ったね。えらいよ、累」

 

 細い手と甘い言葉が、俺の空いた腹に触れた。安堵、陶酔、多幸感――そういった名の感情が、間欠泉みたいに湧き上がる。ずっと前の失せものがやっと帰ってきたような懐かしさが、眠気を連れて下りてくる。

 

 微睡みの隙間に見えた慈しむ姿は、二人になったあの日と似ていた。

 

 ――出会ったあの日。それから過ごした数日間。

 

 思い出した。

 

「らく、と」

 

 痺れた舌では、この発音が精一杯だった。

 

 絡斗は一瞬目を見開いた。そして、すぐに細めた。

 

「ごめん、累」

 

 いつに無く低い声で言った。

 

 首筋にいくつかキスを落とされた。まるで、注射の前のアルコール。

 

 俺は視線を遠くへやり、思考を更に遠くへ投げ飛ばす。だが、身体は確かにここにあるのだった。

 

 荒い息が当たる。あるだけだった四肢の感覚が消えていく。代わりに消毒された部分が熱くなる。

 

 そして、息を吸う音。

 

 知覚したのは、一本の高音だけだった。もしかしたら、心臓が止まっていたのかもしれない。

 

 やがて視界が晴れる。絡斗は口角を歪に上げて、俺の首筋に視線を落とした。

 

 そこに何があるのかを教えこむように、あるいは単に慰めるように、まだひりひりと痛む痕に舌を這わせた。そして、もどかしそうに喉元を舐めると、そのままじっくりと首筋を伝い、耳まで辿り着くと、吐息混じりに囁く。

 

「ごめんね」

 

 指先で俺の胸から腹をなぞりながら上体を起こす。下にも上にも、今にも溢れそうな雄の色。

 

 目が合った直後、絡斗は反った形に添わせて腰を揺らしだす。動く度に首輪から垂れた鎖がカチャカチャ鳴って、行為を強調する。

 

「ん、硬……っ」

 

 前後する感触が妙に柔らかい。そうだ、両方付いているんだった。俺が染めてしまえるんだった。そして、俺も――

 

「――だめ、だ」

 

「きもちいい、でしょ? ね……我慢しなくていいんだよ」

 

 絡斗が持つ雌雄の欲は、全て俺に向けられている。丸ごと呑みこんでやりたいが、今応えることは自傷行為への加担となる。だというのに、血潮はお構い無しに熱暴走している。

 

「嫌なら……さ、殴り飛ばしでも、すれば?」

 

「んなの、でき、ッ……わけ」

 

「……ふ、そう、そうなんだ……は、んぁ……きみも、へんたいだったんだねぇ」

 

 絡斗は俺の左手を取り、中指を口に含んだ。とろけた表情で、粘ついた水音を鳴らしながら弄ぶ。微弱な快のはずなのに、息を漏らして愛おしそうに味わう様子が一層俺を煽った。

 

「や……め、放せ……ッ」

 

「はぅ、んん……はぁ……」

 

 抵抗するべき手は成すがまま。右腕も、見せたくない表情を隠すだけ。

 

 絡斗が俺の上で恍惚として身をよじる様。絡斗の吐息に近い嬌声。絡斗の、匂い。

 

 腕程度じゃ防げないそれらは、馬鹿になった脳みそには劇薬だった。

 

 がり、と強く噛まれた瞬間。

 

 ――耐えなきゃ、いけなかった、のに。

 

「ら、くっ――――!」

 

 彼の下。どくどく、吐き出されている。べとりとした濁りが気持ち悪い。

 

 跳ね上がった熱が、それに侵された思考が、生温く沈んでいく。

 

 右腕が退かされ、見えたのは愉悦に紅潮した笑顔。満たしてやりたい雄であり、胎を空かせた雌の顔。

 

「あはは……かわいい。そんなに気持ちよかった? いいよ。もっと気持ちいいの、あげる」

 

 いくらか明瞭になった視界は、その内の怯えを捉えた。

 

 俺は脱力した腕をなんとか動かし、ズボンに手をかけた絡斗の手首を掴んだ。動きが止まった。

 

「絡斗、それ以上は、駄目だ。先に、話を」

 

 ――連れ戻された後、何があったのか。

 

 その角と首輪、あの血は何なのか。

 

 どうして俺と交わろうとしているのか。

 

 何故、記憶を消したのか。

 

「やめろ……頼むから」

 

 絡斗は辛そうに表情を歪めた。それを見て、頭の奥が冷えていく。

 

 ――――――怖い?

 

 拒絶したわけじゃない。絡斗が本当に望むのなら、このまま身を委ねるつもりだ。けれど、自分の首にナイフを突き立てようとしているなら、止めるしか無いだろう。

 

 俺が本当に優しかったなら、ナイフを手にする前に拒絶できていた。でも、欲を抑えられなかった。未知への興味。生への退屈。捕食を求める被虐心。罪悪を願う加虐心。今だって、快楽に負けたばかり。

 

 だから、自業自得と言えば、そうなのだ。

 

 突如、腕が勝手に頭の上へ。何の感触も無いのに、手首を縛られたかのように動かせない。

 

「――嫌だ。絶対に、逃がさないから。きみが拒んでも、嫌いだと言っても、消えない痕さえ付けられればいいんだ。……少し、痛いかも」

 

 四つ足の獣のように、絡斗が迫ってくる。その掌には、青白い薄光。見覚えがある。あの時、この光に呑まれて、俺は――

 

 ――今度は、間違えない。

 

 俺はゆっくり膝を立て、硬くなっているそこに押しつけた。絡斗の呼吸が跳ね、手が引っ込められた。

 

「――っう、累?」

 

 まっすぐ言えばいいだけのことだった。

 

「俺にも付けさせろ」

 

「……でも、きみは」

 

「嫌ならいい」

 

 呆然とした後、絡斗は少しだけ不安そうに目を細めた。青白い光は塵と消えた。

 

「じゃあ、そのまま付けて」

 

 頭の後ろで手首を縛られたまま、俺は絡斗の上に乗せられた。これから、無様な格好を晒すことになるらしい。……案外悪くないと思っている自分に驚いている。

 

「どこがいい?」

 

 笑顔の下、ごくりと上下した喉に目が行った。白く細い、けれど確かに隆起のある喉。生物の急所。鬼とはいえ、形は殆ど人間と変わらない。ここを壊せば、絡斗は死ぬ。

 

 だが、邪魔がいる。金属質の首輪。窮屈そうなそれは、あまりに不相応で気に食わない。

 

「なに、首噛みたいの? でも残念。これがあるからね」

 

「外せないのか、それ」

 

「自分で外せたら意味無いよ。ってことで首は諦めて、他のとこにしなよ。お腹とかどう?」

 

 そう言って、絡斗は裾をたくし上げた。すべすべで可愛いが、今の俺は喉しか眼中に無いのだった。

 

 どうやって外そうか。口で外そうにも、きっと先に歯が折れる。切断する道具なんて無いし、そもそも手はこんな状態だ。

 

 すると、一本の線が視界に映った。それは首輪の繋ぎ目。素粒子一つ通さない程に組み合った、歪な線。

 

 ――それでも、全力で引っ張ったら外れるんじゃないか?

 

 ああ、そうしよう。それしかない。となれば、話は早い。俺は手首に思いっきり力を入れる。失敗して手が落ちるのは嫌だけど、怖くはない。絡斗なら、その前に放してくれるから。

 

「――え」

 

 皮膚が裂かれる痛みの直後、手首は自由になった。

 

 間髪入れず、首輪を掴む。すると、スナック菓子を折るぐらい簡単に、首輪は真っ二つになった。手放すと、床を殴る前に鎖の先まで塵となって消えた。

 

「外、れた……外れた! 累――」

 

 自覚の間も無く、俺は絡斗の喉元に噛みついていた。

 

「く、ぅ――」

 

 か細い、呻き。

 

 肌に触れた舌先から、仄かな塩味が沁みた。

 

 口を離し、身体を起こす。残っているのは赤い痕。俺がつけた痕。俺が絡斗に刻みつけた、印。

 

 なるほど。これは結構、よくない。

 

 絡斗を見れば、焦点を彷徨わせて、震える息を上げていた。まさか、鬼的に駄目なところだったのだろうか。形が同じでも、弱点は違うのか。

 

 俺の心配を余所に、絡斗は真っ赤な顔で、ふ、ふ、と喘ぐような笑いを漏らした。

 

「……首輪、ありがと。それでその、言ってなかったけど、ね。ここ噛むの……ぼくらにとっては、求愛なんだ。生涯を誓う、って。あの、ごめん。先に言っておけばよかったね。やり直そうか」

 

 そう言って印に触れようとする手を阻み、俺は顔を寄せた。

 

「俺の喉も噛め」

 

「――は、え?」

 

「生涯、誓ってくれないのか?」

 

 ぽかんと開けた小さな口から、絡斗は混乱の声を漏らす。

 

「そんな、うそ――いや、ほんとに脳がイかれたんだ。だって、そんなわけ無い。きみは襲われたんだよ。その前だって、ずっと、ぼくは――ほんとは嫌なんでしょ、拒んでよ……」

 

 饒舌に俺を離そうとする手には、殆ど力が篭っていない。

 

「らく――」

 

「嫌……やめて…………」

 

 両腕で、顔と首を覆った。

 

 ――鬼は嘘が吐けない。絡斗の言葉と行動は、どちらも本音だ。矛盾しているようで、一貫している。

 

 俺を求め、拒絶を願う。痛みに苦しみ、癒しを避ける。分厚い守りの最後の砦が、この腕なのだろう。

 

 ――強行突破しか無いか。

 

「絡斗」

 

 俺は絡斗の両手首を掴み上げ、そのまま抱き起こした。そして、彼の不安に曇った目をまっすぐ見つめる。

 

「諦めろ。お前がどれだけ嫌だと言ったって、俺は拒んでなんかやらない」

 

 ポロポロと大粒の涙を零しながら、絡斗は頷いた。

 

 俺は絡斗を抱きしめた。しばらく放心していた絡斗も、やがて恐る恐る腕をまわした。

 

 高鳴る音と高まる熱を共有する。暑さはちっとも気にならない。むしろ、このまとわりつくような熱が心地よい。

 

 名残惜しくも腕を緩めて、俺達は抱き合う形で座った。

 

 頭を撫でると、澄んだ琥珀色の瞳が潤んだ。

 

「痛い時は……治せはしないけど、こうやって撫でるくらいはできるから」

 

 目を細めた絡斗の顔は、甘えん坊の子犬と、いつかの姿を彷彿とさせた。

 

 一緒にゲームをした時。

 

 彼の料理を俺が食べた時。

 

 窓辺で星空を見ていた時。

 

 優しい、と笑った時――

 

「絡斗。おかえり」

 

「……ただいま、累」

 

 絡斗の手が俺の後頭部を優しく支える。

 

 もう一方の手はぎゅっと繋いだまま。もう離さないと約束するように。

 

 そっと開かれた口から、小さな牙が覗いた。




前日譚はまた、いつかどこかで

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