都内、高層ビル。
それは何時から、何処に、誰が建てたのかもわからない。名前を知る人間もいない。
雲を突き抜けるという高さ、重力に逆らうかのような逆錘形。
外の人間がこの建物を話題に上げたことも無い。多様な矛盾を孕んだ怪奇建造物である。
──その怪奇なるビルのあるフロアは、ごく小さな開口部を覗き、窓が無かった。
そこは上下への通用部を除き、全空間が
──このビルはある種の異世界となっていた。
「……ふぅ……」
「………………」
大便器の個室がずらり。小便器、手洗いに列が並び、利用具合はまちまちである。いくつかの便器には空きがあるのに、行列を形成するなど、いささか不可思議な利用形態だ。
フロアに居るのは男、男、男。
そこに居る彼らは、互いに干渉することもない。黙々と排泄し、去っていく。
「……」
「…………」
彼らは背丈も老いも若いも貧富、美醜も様々なようだ。
強いて言えば成人前の少年は見当たらない。若くは青年、老いは老人まで。
そしてもっとも不可思議なことは、彼ら全員が
大勢の男たちが恥ずかしげもなく素肌を晒し、列に並び、用を足している。
ここは、男子トイレなのだから。
「──はぁ〜い♡ そこのイケメンさぁん……♡ 良かったらおまんこ便器、つかっていきませんか♡」
異物が、居た。
建物が怪奇、フロアが怪奇であるなら、そこに居る
「
男子トイレに住まう少女……一人の便女が、男の列に話しかける。
背丈は150センチ、歳は中学生ほどだろうか。ミキと名乗る少女は、猫撫で声で男にコナをかけていく。
このような場、そのような仕草に見合わぬ、美しい小娘だ。発達途中のほっそりとした足腰は艶めかしい。肌は血色が通っていて、むっとした色気が漂っている。
扇状的な格好とセリフで男たちに魅惑を仕掛ける。
「
便女の役割を宣言するように、片手で自分の小さな乳房を掬い上げた。ヒモ同然の黒ビキニに包まれた美乳が柔らかく歪む。
もう片方の手には銀色のトレイ、その上には様々な
中央に張り付いた大きなディルドが存在感を放ち、銀盆は手のひらの上でバランスを取っていた。
「……」
「ほらほら、こぉーんな
「…………」
ミキは小便器に尻を嵌めるように腰掛け、満面の笑みで全裸の男たちに呼びかける。
輝くような笑顔の似合う、まっさらな肌。
小さな鼻口のはっきりとした顔立ちに、宝石のような紫の瞳。
腰まで伸びた銀のツインテールが、小生意気な美少女性をグッと高めている。
整いすぎてもはや人形のような女人。扱う日本語は年の割に流暢。
ミキは口の前で手の輪を作り、その間でちろちろ♡と舌先を遊ばせる。その仕草は、完璧に淫乱であった。
「ミキは今もとろとろぉ、貴方様の御希望次第で、
腰掛けた小便器の中で、かぱっ♡と股を開く。
股部分、ヒモ同然の黒い生地が愛液でてらてらと輝き、まっさらな陰裂に食い込んでいた。
ミキの背丈は道行く男たちよりずっと低く、男を誘う時は基本上目遣いだ。
「
ミキが肩紐に手を這わせ、ぱちんと弾く。
ミキの衣装は、
乳首を覆う薄手の生地は、乳首をくっきりと浮き立たせる。
彼女の体型にぴったりな水着は断じて子供向け、公衆向けの安全なデザインではない。
角度も面積も危険なそれは、変態が纏うに相応しかった。
「私、フリフリしてるのも可愛くて好きなんです」
肩から手首にかけてはフリルのついたスリーブ、脚にも薄い生地が張り付き、肌の紅潮を透かす。
ミキが腰を揺らせば、スカートのフリルが柔らかく波打ち、真っ白なプリムが頭頂部で可憐さを演出する。
このメイド衣装は特定の
「ミキ……ハメハメしたいなぁ……♡ お兄さん、便女は準備できてまぁす……よ♡」
スカートの内側に手を突っ込み、ガーターベルトをクイクイと引っ張れば、それに釣られてビキニに皺が寄る。
ベルトの先でハイソックスが浮き上がり、ミキが手を離せばぱちんと太ももを叩く。
ハイヒールのピンはとても長く、歩行性を無視していることがよくわかる。
男に媚を売ることに命をかけた衣装で、ミキは全裸の男の一人に声をかけている。
「ほらいかがですか♡」
……かけ続けている。
「……」
「どうですかぁ? どうですか!? ミキ、イけます!」
「……お嬢ちゃん、トイレからどいてくれる?」
「あっ、はい」
白けた声にすくみ、すごすごと小便器から立ち上がる便女の背中には哀愁が漂っていた。
それでもめげずに、次の男に声をかける。今度は背の高い男だ。
「あ、あの、便女
「いや……今いいかな。トイレ使いたいし」
「あっ……そっ、そんなことおっしゃらず……」
「悪いね。便女の人の言い分もね、わかるけど。悪いね」
「ああっ……」
便女が男の意に背くことがあってはならないため、立ち塞ぐことはできない。ミキは仕方なく見送った。
そのすぐ側の小便器で、黄色い液体をじょぼじょぼと垂れ流されている。
まるで勃起した様子はなかった。
「……ぐぬぬ」
ぶるぶると銀色の頭を震わせる。ツインテールをあらぶらせても、無しのつぶては変わらない。
今日一日、
「──あの! セックスできますよ!? お兄さんどう……あっ、おじさんでもいいですよ! ねえ! ちょっとぉ〜!」
……誘えども、絶世の美幼女たるミキのことを悉く素通りしていく。
列が流れ、新たな男にも健気に誘い続けるが、誰も彼もがミキに手をつけない。
「わり、トイレ」
「あー便女さん? そこのお皿、片付けといてね? 邪魔だから」
「別にセックス? 今じゃあないなあ……」
みな、ここには
そしてトイレが済めば用済み。ミキを振り返ることなく、下の階へと消えていく。
「くっ…………くぅぅ…………」
わなわなと震えるミキ。
────自分が恥ずかしかった。このままではタスク一つこなせない、便女としての恥晒しだ。
「……くそっ。……よし、切り替えよう」
パンと自分の頬を叩く。ここでへこたれるのはプロではない。
落ち着いたミキは、コンドームとアダルトグッズの載った銀のトレイをそっとタイルに置くと、呼吸を一つ入れる。
「タイム! ────助けて、
呼び声に合わせてミキは手を挙げた。
──────ぴたり、ミキ以外の動きが止まる。
世界は静止した。男も、トイレの水も、石のように。
「──────呼びましたね」
「マスタあ〜〜〜!」
掃除道具入れの陰から、ぬっと男が現れた。
皺の無いスーツを着こなす、異様に整った顔の持ち主だった。
この男とミキだけが時間停止の影響を受けていない。
この場で唯一まともな服を着ている男と、ほとんど全裸の便女。彼らはこの場での特別な存在だった。
「どうしましたか、ミキさん」
「今日の
年相応に駄々っ子をこねるミキ。足を振るたび、ふわふわとスカートの裾が持ち上がり、ビキニが食い込んでぐずぐずに熟れた女性器が覗く。
ぴら♡と無差別の誘惑は、しかしミキ自身も、マスターと呼ばれた男も、周りの男たちも──そもそも時間は止まっている──誰一人気にしない。
マスターはすべてを無視しつつ、やや考えてから切り出した。
「では、
「え……
「ないでしょうね。今、男たちの関心は女
「むむむ」
「私と貴女の唇に備わった
「むむ、むむむ〜〜!」
ミキたちは時間が止まった世界で数分、話し合い続けたが。
結局、ミキは口付け──
「……よーし、よし。覚悟キメた」
「では頑張ってください」
「任せて!」
「本当に頑張ってくださいね。チェンジした後、
「? まあ男の方から求めてくれるようになったら大丈夫っしょ! んじゃっマスターっ! キス一丁よろしく!」
マスターはミキのそのほっそりとした首筋に手を添えた。
無表情ながらも、マスターはスマートな風貌の年上お兄さんだ。
ミキは少しのときめきを感じていたが、目を瞑って頭を仕事用に切り替えた。
顎先を撫でるように、軽く持ち上げて、啄むようにキスを落として……
「ん……ちゅっ」
そして世界のルールが
このビルを包み込むような、不可知の、極彩色の、無音の、熱を持った、冷たくもあり……。
全てを内包し、物質ではない波動が通過し、世界を改変する。
──……。
予兆もなく、再び時間が動き出した。
動き始めた男たちには一見、変化がない。
彼らは相変わらず全裸で、なぜか最上階までわざわざトイレに並んでいて、そうした全てに疑問を抱くこともない。
「おい、あれ────!」
「……──おおおっ!?」
だが、フロアの一角は突如熱狂に包まれていた。
男たちが群れを形成する。まるでそこだけ温度が上がったかのような熱気が漂う。
「……おっ! なああんた、
そこには、主役がいるからだ。
群がられているのは、もちろん──ミキだ。
「なかなか、上玉じゃん、へへ」
「あーっ! こんなところにハメ穴いるじゃねえか、最高のトイレだな」
ミキへの反応は見違えていた。彼女はほとんど全裸の、美少女だ。
────少女は今、男たちを誘う誘蛾灯だ。
何より彼女は
「おい、みんな集まれ」
「なんだなんだ……うわめっちゃ可愛いじゃん!」
何事かと次々と男たちが集まり、彼女を一目見て色を変える。
股間を熱り立たせていく。
だらしない目つきでミキの顔を、銀色の髪を、胸を、短いスカートの奥を、ほっそりとした手足を見つめる。
淫猥なメイド服に身を包む少女は、今や注目と熱狂の中心だ。
白く硬いトイレなど、この雌便器の前には遠く及ばない。
つまりミキの希望していた通りに、価値観は改変されたのだ。
──熱狂の空間に、がらん、がらんと音が響く。
「あ……ひっ……!」
アダルトグッズを載せた盆が床に転がる。
「いや……いや……!!
一方、ミキも……変わっていた。
彼女は自分の体を掻き擁き、男たちから離れようと後ずさる。
施された洗脳が全て解け、元の……年相応、大人嫌いのオマセな女の子に戻っていた。
歯をカタカタと鳴らし、当然のように男の全裸に拒絶反応を示す。
「パパ、ままっ、たすけて」
この女は、すでに
彼女は日本の一般家庭の、ありふれた一人の子供だった。
髪も銀色じゃなかったし、苗字だってあった。幸せな家族、学校生活があった。
「おいどうした、便女なんだろ。相手してくれよ」
「ふーっ! フーッ! やだ、いやだ、ぅああ」
「なんだ、こいつ……?」
だが
記憶改竄。思い出はかき消され、便女としての知識と経験は決して忘れられない。いつ、どうやってここに来たのかも覚えていない。髪は伸ばすよう命じられ、いつの間にか色が変わっていた。顔や体、全てが美しく整えられた。
時には、性格すら
「ふぐっ、うぐっ。もうやだ、もうやだっ。
もとの彼女の
改変前の常識。家族と学校の記憶と、
彼女が心に抱く、僅かな
「う……たすけて……」
そしてこれらは、過去を想う度に傷をもたらす、
「かえりたい……かえりたい」
「家はここだろ、便女のミキちゃん」
「ちがうっ!! 私は
見ず知らずの男たちに自分の泣き顔を見られたくなくて俯く。そうすると自分の今の格好を見下ろしてしまう。
中学生らしい薄い胸に張り付くのは黒い布切れ、短すぎてろくに隠せていないエプロンスカート、どこか人形じみたデザインのバカげたハイヒール。
「もう……なんで……」
ミキは、膝から崩れ落ちた。
こんな衣装を身に纏って、ビルに閉じ込められて。
自分の意思すらいたずらに奪わる。
逃げ道はない。
目の前の男の生垣にも少女一人分の隙間はなく、このビル
「うう……ひっぐ……」
なんという、理不尽だろうか。
まだ年端もいかぬ少女は、文字通り訳もわからぬままここに連れてこられ、便女として
その姿、形、存在、全てがこの場の都合で上書きされた。
過去の尊厳、生活は、今を苛む荊の枷でしかない。
ミキはボロボロと泣きだす。心の底から湧き上がる絶望に身がすくみ、この場所に幸せな記憶など何もなく、悲哀の感情に抗うこともできない。
「ひぐっ、うぐっ」
「おら、しゃがんでたら使いにくいだろ? ほら嬢ちゃん、しっかりしな」
「いやっ!?! こないで、こないでっ」
男の一人──さっきから舌なめずりを繰り返す、気色の悪い中年──がミキの腕を掴んで引っ張り上げる。
拒絶のままに、その腕を振り解いた。
「なっ!? おい────」
「ぐ、ぅう」
もう、
無意識の底から刷り込まれた
男に刃向かったことで、本能的な
(はきそっ、はきそう、はきそう────くるしい、あたまがうるさい!)
早くも後悔しそうになるミキだったが、こうなってはもう止まれない。
悲しみと苦しみを怒りとして燃やし、ミキに怯んだ
(つらい、わたしをくるしめないで、うざい! ────もう、
先ほどまでのような
だがもはや、自分自身の限界だった。
禁忌を犯した衝動のままに、ミキは手を上げた。
恐らく勝てない。だがどのみち、逃げ道は存在しない。
「くそ、クソクソクソ! クソマスターっ!! ────タイム!!」
退路を断つ合図を叫んだ。
次回は明日投げると思います
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