魔鍵師協会。それは端的に言えば魔鍵師を管轄する機関であり、育成から選出、配置から運用までを一手に仕切っている。
その一角を、一人の美女がヒールを鳴らしながら歩いていた。
ブラウンのロングヘアに翡翠色の切れ長な瞳が知的さを醸し出し、歩を進める度に漂う香りには気品すらあるように思える。
「おい、あれ……」
「ああ……神城の姫だ。なんで協会に……」
すれ違う職員たちがその美貌に目を奪われながらも、誰かを認識した途端に目を反らして密談へと切り替える。
その態度は、彼女が魔鍵師としてそれほどまでに名を轟かせている故であり、尚且つ纏う怒気に気圧されてのモノだった。話しかけるどころか、近づくことも難しいほどの圧に道が開いていくと、その行く先に一つの影が立ちふさがる。
「これはこれは、神城特級魔鍵師殿。どのような用向きですかな?」
「……小鉢か。どの面を下げて私に話しかけてきた」
彼女、神代千空へと声をかけてきたのは、少ない白髪を軽く整えた初老の男だった。
背丈は低く、手入れもされていないのか肌荒れなども酷い。それでいて瞳にはぎらついた性欲が隠れることなく千空へと向けられ、下卑た笑みが向かい合う相手へと不快感を誘発する。
その証拠とでも言うように、千空も舌打ちをしながら眉間に皺をよせ敵意を向けているのだ。
「まぁまぁ。過去のことは良いではないですか。貴方が協会に来るのも珍しいのですから」
「それを言っていいのは私側だけだ。貴様が私たちを囮に使ったことは一生忘れん」
剣呑な空気が漂い、今にでも一戦交えようとばかりの気配だ。周囲を通る職員たちは恐怖で離れようとするが、持ち場を離れる訳にもいかないもの達は留まり、心音を早めるしか出来ない。
しかし、張り詰めた空気はやがて弛緩し、千空の深い溜息で一旦の収束を得たようだ。
「私が聞きたいのは、貴様が寄越したアレのことだ。どうなってる」
「アレ……ああ、竜凪和馬のことですか。どうも何も、単なる人材補充ですよ・お役に立てればと思いまして」
小鉢が喉の奥を鳴らすような、薄気味悪い笑いを零す。侮っているのかどうかは定かではないが、どちらにしても長続きしなかった。舌打ちと共に、千空が何かを投げつけてきたからだ。
影は二つ。
直撃させようとする鋭さを持っていたが、小鉢は危なげなくそれを受け取る。見た目以上に動けるようだ。
「おやおや、これは?」
「見ればわかるだろう。撒き餌と、増強剤だ」
千空が投げつけたのは、数本がセットになったアンプルと小瓶に詰められた灰色の球体だった。
魔鍵師ならば、その二つが言われた通りのものであると瞬時に理解できる。
しかし、そのどちらもが警戒をするべきものであることも、同時に理解できてしまったのだ。
「おやおや……どちらも非常時以外では禁止されていますが、なぜこれを?」
「保管庫の記録を見た。一定の期間から在庫が合わない。言いたいことは分かるだろう」
苛立ちを隠さず、殆ど怒りをぶつけるような声音で千空が言う。
彼女が投げ渡した二つの物質は、隊長に発生した魔妖を狩るために行う大規模作戦時にのみ、使用を許されたものだ。
アンプルは魔鍵師の能力を一時的に高め、球体は魔妖を引き寄せ発生率を高めるために使われる。
しかし逆を言うならば、小鉢が言った通り、普段使いは認められていない。
「記録を見れば、とある魔鍵師が実績を積み始めた頃と、在庫のズレが出始めた時期が一致する。ダレ、とは言わなくても分かっているだろう?」
千空の凛とした声によって行われる追求には確信が宿っていた。
偶然も二つ重なれば点と点が繋がってしまう。その繋がった線の筋が通ってしまえば、先にいる相手を疑わざるを得ないのだ。
小鉢はとぼけたように千空を見つめ、口元に歪んだ笑みを浮かべている。まるで正解だとでも言うかのような態度が、千空の神経を逆なでしてきた。
「もし、そうだとして……例の彼が、貴方の管轄にいるのが問題でも?」
「……なに?」
「たかが一人、違反者が何かをシようとしているだけです。大したことは出来ないでしょう」
小鉢の侮るような口調に、怒りが冷たく研ぎ澄まされていくのを感じ取った。この小男は、どこまで自分を小ばかにすれば気が済むのか、と。千空は心中の激情を殺意へとかえ、魔力を回す。魔鍵を開ければ、即座に薄汚い脳天を撃ち抜ける構えだ。
もし、あと一度でも失言すれば、この廊下を血の海にしてやろう。
確固たる意志を持った視線の先で、小鉢が歪んだて笑みと共に言葉を紡いだ。
「それに、見たいでは無いですか」
「なに?」
千空の手が止まる。小鉢の発言に思考が繋がらない。一体何を、何が見たいというのか。
その問いかけをするよりも先に、小鉢は怪しげな笑みを絶やさず口を開く。それはまるで、子供が昆虫を戦わせるときのような、無自覚の邪気が宿っている。
「新進気鋭の竜凪殿と、貴方のお気に入り……玉藻の前に見初められた彼。どちらが強いのか……その結果が見たいのですよ」
**********
魔妖の大群、その隙間を青白い一筋の閃光がかけぬける。
煌めき、太刀音が響くと共に異形の体躯が刻まれていき、やがて中心部に立ち止まった人影が、携えた打刀を払う。
数にして九つ、刻まれた魔妖が霞へと消え、生き残った群れの注意が襲撃者へと向けられた。
「まだまだ先は長いか……そりゃそうだよな」
口元に呆れた笑みを浮かべた剣客、九朗は打刀を構え、息を整える。
狙うのは襲いかかってくる人型擬きの個体だ。
群れを成した魔妖に様子見という概念はない。元から無い理性を本能で消し去り襲ってくる。
ならば、刈り取るには格好の獲物と言えるだろう。
迫りくる剛腕は脅威にすらならず、脱力からの斬り上げが関節へと吸い込まれ、二の腕から先を跳ね飛ばす。
血の代わりに黒い霧が噴き出し、それに隠れた九朗が一歩を踏み出した。
返す一刀が、巨体を袈裟懸けに斬り倒し、それを踏み越え二匹、三匹と魔妖を斬り伏せていく。
体は軽く、研ぎ澄まされた思考は一手の誤りも起こさない。
「迅意――」
魔力を回し、加速すれば、瞬きの間に三匹の魔妖が斬り伏せられ黒い塵へと消えた。
その光景すらも、今の九朗には緩慢に見える。
背後からの奇襲すらも意味をなさず、身を屈め、飛び上がりながら獣型の魔妖を両断した。
止まない大群の攻撃に舌打ちをしながら、九朗は息を整えながらさらに加速する。
休む暇はない。
袈裟斬り、逆袈裟、振り下ろしからの横薙ぎの一閃。
一秒でも速く、一匹でも多く、魔妖の大群と同じように、止まることを知らず九朗は打刀を振るった。
やがて両手ではとうに数え切れないほど斬り捨てた時だ。
「くたばりやがれぇ!」
荒々しい怒声と共に、極大の閃光が抜き放たれた。
それは紛れもなく九朗を狙っており、巻き込まれ消し炭となった魔妖を見れば、命を刈り取るだけの威力を持っているのは明らかだ。
襲いかかる極光を避け、逆手に持った打刀を滑らせ射線を逸らす。
「ようやく、きやがったか……!」
金属同士が擦れるような音と、刀身を焼き切らんとする熱に九朗が舌打ちをする。
打刀で弾き、魔妖を盾にしながら魔力を回して警戒心を引き上げた。むやみやたらに放たれる閃光は、ある一点から出鱈目に魔妖を掻き消し、そこにはあわよくばという打算が見てとれた。
間違いなく自分を狙う斬撃はどこから来るのか、それを認識すると、打刀を担ぎ、再び駆ける。
見つけた先にいる相手が誰かなどは見るまでもなく分かっている。
「竜凪……っ、カズマァ!」
「っ、クソモブぅ!」
ひとつ、ふたつと魔妖の影を斬り捨て、薙ぎ払い辿り着いた先へ、溜め込んでいた淀みを乗せ、怨敵の名を叫ぶ。振り下ろされた一刀が光を纏った長剣とぶつかり合い火花を散らす。だが、九朗を激情が支配したのはほんの一瞬だけだった。
やるべきことは決まっている。鍔競り合った長剣へと打刀を絡め、巻き取り、詰めた距離からの袈裟斬りで竜凪和馬の胸板を浅く切りつけた。
「こ、の」
「遅い」
悪態をつかせるつもりもなかった。
突き出される長剣を巻き取り、たたき落とし、刀身を滑らせた横薙ぎの一閃が喉を狙う。恐れが出たのだろう。竜凪和馬の端正な容姿が歪み、情けなく下がりながら長剣を振るってくる。
以前に斬り結んだ時のような鋭さや硬さは無く、手に入れたばかりのおもちゃを振り回している子供のようだ。
「舐めてんじゃねえ!」
「ッ、今度はなんだ……」
僅かな距離が空いたとき、長剣の纏う光が質を変えた。初めて対面した時とも違う。
何が来るのか、と警戒を強め打刀を下段に構える。同じように遠距離攻撃ならば避ければ良い。それ以外でも正面から捻じ伏せるつもりだ。
目をそらさず、息を整えた刹那――
「こ、れは……っ」
竜凪和馬の姿が、視界から消えた。比喩ではなく、文字通りの意味で眼前から消えたのだ。一秒にも満たず、瞬きもしていない。隙の一つも見せなかったはずだ。
未知の現象に戸惑いながらも剣筋は乱さず、次にくる何かを待ち構える。
魔妖の威嚇とうなり声が聞こえるが、不思議と思考は冷たく冴えていた。
吸って、吐き、止める。当たり前な動作の一つ一つと研ぎ澄まし、神経を過敏にさせる。
余計な音を排除し、色を消し、強張る肉体から力を抜いていく。
脱力と緊張の二つが織り交ざり、風のさざめきが魔妖の奇声に紛れた、その時だ。
「ッ――!」
下腹部から脳天へと駆け抜ける獣性が、九朗に危険を察知させた。
聴覚や嗅覚などという明確なものではない。直感的に、直情的に何かを感じ取ったのだ。
下段に構えていた打刀を逆手に持ち替え背中へかざす。
直後、割り込んできた刀身が不可視の斬撃を受け止め、九朗の身体をわずかに浮かす。
居ると認識してからの動きは速かった。宙で身をねじり、回転に合わせて一刀を振るう。
地面を裂く刃が捉えたのは、自分を襲ってきた敵。切り裂いたのは、愚かにも剣によって勝負を挑んできた怨敵の腕だ。
「ひっ、ぎゃああああ!!」
吹き出す血を抑えながら、竜凪和馬が姿を現した。
手甲ごと腕を切り裂かれ間抜けな奇声をあげる姿は滑稽で、魔妖ですらその無様を嘲るように鳴いている。
出血が地面を汚し、傷口から断裂した筋肉が垂れ下がった。
顔色が悪くなり、脂汗と涙で顔を汚す竜凪和馬を見ながら、九朗は血糊を払いながら観察する。
「なるほど、透明化か……光の屈折でも使ったか?」
恐らく、この長剣が持つ異能は全てが
種が分かれば、原理が開ければそう怖いものではない。
「ふざけんな……なんだよ、なんなんだよテメエは!!」
一人理解を深めている九朗に、竜凪和馬の怒声がぶつけられる。出血を止めようと傷口を握りしめ、しかしてそれが余計に血を滴らせていることに気が付かない。
興奮が痛覚に作用し、麻痺させているのだろう。そんな具合だからこそ、こうなった原因に気が付かない。
「……そんなことも分からないのか、あんたは」
溜息をついた九朗は、一つの小瓶を取り出し、見せつける。
魔鍵師ならば誰もが見たことがあり、現場ではその危険性を一番に教えられる代物だ。
さすがの竜凪和馬もその意味を理解したのか荒らげた息を止め、ギリりと奥歯を食いしばる。
「朱音のフードに隠されてた。隠匿の術つきで、な……状況証拠的にはあんたを仕留めても、処罰はされないと思うけど?」
「だ、だったらなんだ!朱音に撒き餌を持たせたことに、どんな問題が」
それを言い切る前に、九朗は駆けていた。
下段から放つ抜き打ちの二連。
長剣が自動的に反応し、角度をつけて受け止める。
だが無事な訳もなく、その負荷が斬られた腕を攻め立てた。
鮮血が飛び散り、地面と九朗の頬を汚す。
しかし、血よりも紅く、鮮烈なまでの殺意を纏うのは、九朗の血走った眼光だった。
「その、身勝手が……欲望が!朱音を死に追いやると、どうして想像できない!」
怒声が響く。魔妖すらもたじろぎ、襲うことを躊躇うほどの剣圧が竜凪和馬を襲った。九朗の打刀が滑り長剣を巻き落とすと、柄頭で裂傷へと追い打ちをかける。肉が裂ける音と絶叫が響き、よろめいた先へ袈裟の斬撃を叩き込んだ。
「誰かの未来を、信念を潰すと、どうして考えない!いつだって、犠牲になるのは毒牙にかけられた側だ!」
倒れ込む竜凪和馬へ九朗が刃を突き立てる。地面をうがち、咄嗟に避けた首を跳ねようと剣閃が斬り上げる。転がった怨敵を見下ろせば、視界を憎悪が赤く染め、脳裏へと獣の囁きが流れ込んできた。
殺せ、食い荒らせ、惨めに捩じ伏せろ。
これが九朗自身からくる欲望なのか、それとも別の何かから来ているのかは分からない。
だが関係ないのだ。鼻息を荒くしていた呼吸を深く吸い、ゆっくり吐く。
幾分かの冷静さを取り戻し、今やるべきことをする。そのために、持っていた撒き餌を地面に落とし、踏みつけて叩き割った。
魔妖たちが唸り、狂ったように狙いを定めてくるのが分かる。
そして、それこそが開戦の狼煙だった。
「終いにしよう。お前に
バチ切れ九郎くん……
次回戦闘決着予定です。