まだエロは先ですが、よろしくお願いいたします。
異形のものから人型のものまで種類は多く、中には人間社会に溶け込んでいるものすらいるほど、日常の隙間に存在しているのだ。
それは、今こうして路地裏を這いずる個体も同じだった。
闇の中から向けられる瞳は、何も知らずに街を歩く人々を捉えている。光の中で、幸せそうに生きるモノたち。瞳の主は、ソレに舌なめずりをしながら獰猛な笑みを浮かべた。
アレは自分の餌だと定め、本能に従っているのだ。
きっと、何も知らない人間を引き裂くのは心地よいだろう。
逃げる女を嬲り、抑えつけるのは気分が良いだろう。
捕まえた男の前で、腸を食い荒らすのは胸がすく思いだろう。
ソレさえ為すことが出来れば、影の中に巣食っている心地の悪さはきっと消えてくれるのだ。そう信じることこそが、この魔妖を救ってくれるのだから。
一歩進む。
その身が日常の光に照らされる。
また一歩進む。
次第に輪郭が確かなものとなる。
あと一歩で、魔妖は自らの存在を知らしめることが出来るだろう。
「その辺にしとけ。派手なのは好きじゃあないんだ」
その歩みを止める声が聞こえた。低く、しかし少年らしさを残した男の声だ。
魔妖が振り返り、それと同時に異形と化した豪腕を振るった。血管が浮きでたソレは、壁を抉りながら不規則な軌道を描き空を裂く。当たれば容易く生物を肉片へと変えるだろう。
「っとと……いきなりとは、やる気満々だな」
だが当たらなかった。向かってくる拳を軽くいなした男は、壁を伝い魔妖の豪腕に飛び乗る。
軽やかな身のこなしに気を取られ、魔妖に隙ができると共に、身をかがめた彼が一気に駆けていく。
それは魔妖が拳を引き戻すよりも速い。ならばともう片方の豪腕を放つが、容易く避けられ、軽やかに宙を舞った男が身を翻した。
「はしゃぐな……っての!」
放たれるのは、鋭く、重く響く蹴り。体積で言えば倍近くある魔妖を、宙を舞う男が蹴り飛ばしたのだ。
身体が浮き、無防備になった所へもう一度回し蹴りが叩き込まれる。
転がりながら豪腕でなんとか体勢を立て直すと、その血走った目に彼の姿がハッキリと映った。
フードを被り、夜闇へ溶け込むような黒のジャケットに身を包んでいる。しかし、そんな怪しい風貌よりも、その左手首につけられたアクセサリーに目がいった。
「オマエ……魔鍵師カ……ッ!」
魔鍵師。
そう呼ばれた彼は、フードの奥で薄く笑みを浮かべた。
そのまま手を軽くあげ、チリンッとアクセサリーを鳴らすと、西洋の鍵を模した銀色が、月光に反射して魔妖の視界をチラつく。
いらだたしく、腹立たしく、忌々しく感じ、人をかたどっていた魔妖がその皮を脱ぎ捨てた。
豪腕を持ち、肉の鎧を纏った猿人類のような姿。だがどうしても異形だと隠せないのは、その顔が空洞になっているからだ。光を吸い込むほどの空洞は背後も見えず、不気味さと空虚さを見せつけ、虚空からノイズの混じった唸り声を響かせる。
「あらら……先に成っちまったなぁ……」
常人ならば怯むところだろう。だが彼は違う。
口元に悲し気な笑みを浮かば、フードを外して魔妖へと瞳をあわせた。
夜のように暗く、達観した色を宿した瞳だ。顔立ちは幼さすら感じるほどだが、纏う空気はより深く、より鋭く魔妖を突き刺してくる。
そして、翳した鍵を手に取り、小さく、低く、まっすぐ魔妖を見据えた襲撃者が、一つ言葉を口にした。
「魔鍵、開錠――」
空気を音が振るわせると、鍵から広がった鈍色の光が彼の身体を包んでいった。
輪郭がブレていく彼の姿が魔妖にはどう映ったのだろうか。
一歩踏み込み、空いていた距離を詰めると、一切の躊躇なく剛腕を握り締めて頭上から鉄槌を振り下ろした。
空気を震わせ、その風圧が両隣の建物へ亀裂を入れる。直撃すればトラックですら粉砕されるだろう鉄槌だ。
しかし、魔妖は脳天から肉を殴り潰した感触を得ていなかった。むしろその逆。硬く鋭いものが、自らの剛腕を斬り裂いたような悪寒が纏わりつき、そしてそれは現実となった。
「さぁてと……こっからが本番だ」
太刀音が二度煌めく。
直後に魔妖の腕が斬り飛ばされ、黒の霞が噴き出し宙を染めた。
それを祓い駆けてくるのは、黒衣を纏った件の魔鍵師。纏っていたジャケットは丈を伸ばし、影を引き連れたコートへと変容している。
その手には二尺八寸の打刀が握られ、鋼色の光を宿していた。
一息の間が空き、担いだ刃から放たれた袈裟斬りが、佇む魔妖を捕え、薄く裂く。痛みに引こうとした巨体を置いながら、返す刃が盾のように出てきた腕を斬り上げた。
黒い霞は勢いを増し、宙で消え去っていく。それは魔妖の存在が削られていくのと同義だった。恐怖で苦し紛れに拳を振るうが、魔鍵師は逆手に構えた打刀で受け止め、刃を滑らせ横薙ぎの一閃を放つ。
「シィ――ッ!」
裂帛の気合いが、吐ききった呼吸に乗る。
銀の剣閃が魔妖の胴を斬り裂き、吹き出した黒の霞を払いながら、 返す刃が胸板を逆袈裟に斬りあげた。
着実に、堅実に削り、魔妖の反撃を許さない刃が存在の核へと迫っていく。後退りする巨躯と一定の距離を保ち、脚を削ぎ、燕返しの容量で円を描くように斬り裂く。
「グギッ、グルァ!!」
苦し紛れの反撃だった。
刻まれた腕をそのまま振り回し、少しでも距離を取ろうとする。算段などなく、ただ消滅の恐怖から逃れようとする一心だった。
それは成功する。狙いも速度も拙い拳を避けた魔鍵師は数歩下がり、打刀を軽く払って構え直した。
「迅意――」
刹那、魔鍵師が小さくつぶやく。
それとほぼ同時に、黒衣を纏った身体が、青白い光を帯びた。
下段に構えた
空洞となった瞳が認識していたはずの魔鍵師の姿が、歪み、消え、そして、風圧を感じた頃には、巨体の背後にいた。
そこまで理解するのに一秒もかからなかった。
巨躯に刻み込まれた幾重もの斬撃が、何が起きたのか教えてくれたからだ。
「動かない方がいいぞ……って、聞いちゃいなかったか」
振り向き拳を握ろうとした魔妖だったが、太腿から下がズレ、巨体が地面に倒れ伏す。
何とか腕を再生させようとするが、身体のバランスが悪くなり上手くいかない。
やはり、餌が足りないのだ。そのせいで回復も満足に出来ていないのだ。
跪き、月明かりの下で魔鍵師に見下ろされることしか出来なかった。
「介錯くらいはするから、そこ動くなよ。もっとしんどくなるぞ」
打刀を軽く払いながら魔鍵師が近づいてくる。魔妖に向けられた瞳には怒りも、憎しみもない。ただ、そうあるモノなのだ、という認識しかない。
それが酷く腹立たしく、しかして事実なのだということが、魔妖には更に納得できないことだった。
「魔鍵師ガァ!!」
唸りを上げ拳を放った。今まで以上の苦し紛れに魔鍵師は構えもとらず刃を斬りあげた。ギャリンッ!と硬質な音が響き、即座に放たれた剣閃が豪腕を縦に裂く。陰に隠れていた魔鍵師の身には青白い光が宿り、再度加速し距離を詰めた。
しかし、辿り着いた先に魔妖はいない。
建物を伝い、脚より腕の回復に残りの力を割くことで、上へ上へと逃亡したのだ。無頓着に、無感情に自分達を狩ろうとする魔鍵師に、いずれ復讐するために、今はただ逃げねばと、建物の屋上へ手をかけた。
その時だ。
「言ったろ、もっとしんどいって」
その手が、どこからともなく撃ち貫かれた。
咄嗟に離してしまえばもう遅い。二発目と三発目が腕の残りを吹き飛ばし、最期の抵抗する許さなくしてきた。
霞を吐き、萎んで行った身体が宙に浮く。気がつけば変容する前と同程度の体格にまで落ちていた。
その隙に、黒衣の魔鍵師が漬け込む。壁を伝い、駆け抜け、青白い光を轟かせた刃が、一切の躊躇なく首を狩り取ったのだ。
三日月を描くような剣閃は、最期に見るには悪くない。
柄にもなく、魔妖はそう思ったのだった。
**********
着地と共に納刀し、直後に落下してきた魔妖の残骸を見ながら、彼は小さく息を吐く。つい数瞬前まで命のやり取りをした相手だと言うのに、結果だけしか残らないのはなんとも味気ない。
日も変わりかけた深い夜、その寂しさを抱えながら、彼は脳裏にザワりとした最悪を予感した。
目を閉じると、彼はあの悪夢のような日々を思い出す。
尊敬していた師匠を、悪意によって奪われたあの日。何も出来ずに連れ去られるのを見るだけだった、弱い日の自分の姿。
強くなったと思い込み、信頼していた幼馴染を嬲られ、知らぬ間に奪われてしまった、間抜けで愚鈍な自分の姿。
それが脳裏にこびりつくのは、きっとあの日の彼自身が忘れるなと言っているからなのだろう。
泥沼のような夢はリアルで、それが既に起きてしまった事なのだと理解できる。このまま沈み込めば、きっと戻っては来れないだろうことにも確信があった。
吐き気で視界が鈍る。魔鍵を使い、少しでも魔力の出力を上げればこれだ。今ではない別のどこかで実感した後悔と屈辱、敗北感と喪失感を綯い交ぜにしたような感覚に、フラリと身体のバランスが崩れる。
「っとと、なにやってんの九朗……ってうわ顔真っ青!」
倒れかけた彼、九朗を抱き留める手があった。柔らかで、心地よく、落ち着く香りを纏った女性の声だ。
驚き声量は大きくなっているが、宿っている感情は優しく、心配しているのがよく伝わってくる。
閉じていた目を薄く開けば、そこにいたのは赤みがかったショートヘアを軽く纏めた美少女だった。
「あぁ、なんだ……朱音かぁ……」
「ナンダじゃないでしょってば! また変なもん見たっての?」
「変なモノは見たけど……まぁ、うん、そうかもなぁ」
赤銅色の瞳は釣りがちながら大きく、呆れたような口元はしかして整っている。全体のバランスを一言で表すならば、少し強気な態度の美少女と言ったところだろう。
背は九朗よりも少し低いが、恐らく同年代の中では大きい方だろう。
髪色に近い赤のジャケットは前を締めれず、その下にあるインナーを胸元の肉果実が押し上げている。
少し動くだけでタプン♥と揺れるソレに、朦朧とした意識の九朗は釘付けになっていた。
「はいはい、どこ見てんのとか言わないからね、めんどくさい……」
「あはは……すんませんねぇ、ほんと」
ため息を吐き、腰に手を当てて呆れると、ユサユサ♥と乳肉が揺れた。下着をつけていてもソレなのだから、もしなければ……などと考えた所でやめた。どうやら相当つかれているようだ。
首を鳴らし、魔鍵を解く。すると纏っていた黒衣と打刀が鍵へ吸い込まれ、残ったのは何処にでもいる青少年の神崎九朗、ただ一人だ。
「さっきは助かったよ、危うく逃げられるとこだった」
「あんたねぇ……油断、というか、不注意減らせって言ってるでしょ?サポートするのはアタシとか先生なんだから」
仮にも、と言いかけたところで朱音はそれ以上の小言を辞めた。
九朗の顔色が良くないからだ。
言われたように援護はしたが、直接的に戦闘をしたわけではない。ならば、その疲労は単純計算で九朗の方が多いのだ。
なのに責め立てる訳にはいかない、と朱音はため息をして文句を飲み込んだ。
「ったく……さっさと帰るわよ。明日は報告やら何やらで忙しいんだから」
「忙しいのはしんどいなぁ……あ、深夜ラーメン寄ってく?」
「忙しいって言ってんでしょうが!」
さすがに寝ぼけたことを抜かす九朗へ蹴りを入れる。
ケラケラと笑う様から、不調は治ったのだろうと見える。だとしてもその横顔に、不安や恐怖といった色があるのを朱音は見過ごさなかった。
無理矢理にでも平静を装うと前を歩く九朗をみなから、朱音は空になっている彼の手を握る。
「うぇっ、あ、朱音さん?」
「あ、のさ……」
少し驚いたように振り返った九朗に、朱音は言葉を探した。何を言えば良いのか。何と言えば抱えているものを軽くできるのだろうか。
流れる沈黙の中、朱音は思考を巡らせる。しかし、どうしても上手い言葉が浮かび上がらない。
「あんま、無理すんじゃないわよ。
絞り出せたのは、これが精一杯だった。笑いかけたつもりだが、それが上手く出来ていたか朱音にも分からなかった。
心配の声を受け取った九朗にいたっても、不器用な作り笑いをするだけで朱音を更に心配させていく。
「大丈夫、大丈夫だよ……」
ヘラヘラと笑う九朗が朱音の手を握りながら前を歩いていく。
その背中に一抹の不安を覚えながらも、そのままついていくことしか、今は出来なかった。