夜というのは、魔妖が出現しやすくなる。
それは眠りについたものや、疲労によって深層心理に眠っていた負の感情が表層に出やすいためだ。
だからこそ、日中はその吹き溜まりを刈り取る作業に魔鍵師はあたる。人気のない路地裏や、空きテナントなどが狙い目だ。
「まぁこんなにやったからと言って、全部は潰せないよなぁ……」
ため息を吐いた九朗は、その手に魔鍵によって展開された打刀を握っている。斬り捨てたのは、廃墟で燻っていた魔妖の火種だ。一つ一つを処理するのは難しくない。棚の陳列や、掃き掃除と何ら変わらない作業だ。
しかし数が多い。都心から離れているとはいえ二人がかりではたかが知れてるというものだ。
『文句言わないの。アンタがはやく、その……終わらせてれば、もっと早くから出来たんだから』
「っとと……あぁ……すんませんねぇ、毎度毎度」
インカムから聞こえてきた朱音の声に、九郎は苦笑いを返すしかなかった。言っていることは事実であるし、反論の余地もない。
追撃が来ないのは、九郎が反撃できないと分かっているからだろう。インカムからは声ではなく、火種を刈り取る音だけが聞こえてくる。
本来ならば、昨日のうちに終わらせておく仕事だったのだ。それが九郎の呪いへ対処するために、一日時間を置く必要が出てしまった。
「だとしても……やっぱり増えてるよな、火種……」
刀を振るい、揺蕩う火種を斬り捨てた。
その刃には薄っすらと魔妖の気配がへばりつき、軽く払うだけでは消え切らないほど、相当数を狩ってきたことが分かる。
普段からば、昼時にはほとんどが消しきれているのだが、今では日が落ち始めているのに街中の火種はあちこちに散らばっているのだ。
『それもそうよね……やっぱり後で先生に……ッ、キャアッ!』
「っ、朱音!?」
軽い愚痴に帰ってきたのは、同意の言葉だけでは無い。
朱音の悲鳴が耳の奥に響き、九郎の心中を赤く染めた。魔鍵師は仕事の際、一般人には見えないよう術式を組み込まれている。
つまり、事故やら何かではなく、魔が関わり朱音に何かがあったということに帰結するのだ。
「朱音、おい朱音……クソっ!」
応答はない。ただ不穏なノイズが響くだけだ。
舌打ちをした九郎は、朱音のいる地点を目指して駆ける。
最悪の記憶が脳裏を満たし、最低な未来が思考を支配する。
それだけはあってはならない、
それが実現してしまえば、何のためにあの通路で、譲ってもらったの分からない。
「迅意――ッ!!」
唸るように魔力を巡らせ、加速する。
最悪の未来を振り払うため、不可視の悪意をねじ伏せるため。
ただ九郎は駆け抜けていく。
この後に起こる呪いなど知ったことでは無い。
ただ駆けていくしか、今の九郎には考えられなかったのだ。
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ラッキースケベというものがある。ラブコメなどでよく見られる、ヒロインと衝突した際に胸や尻を揉んでしまう、というアレだ。憧れる者は多い。それは全くもって普通なことだ。
しかし、許されるのはやはりフィクションの中でのみ、更に言えば、好ましい相手だからこそ許される。
「ってて……おっと、悪ぃな」
「くっ、んぅ……あんた、一体……っ」
そして今、朱音は現実で起きたラッキースケベとやらに巻き込まれている。火種を刈り取っていった廃墟の曲がり角で誰かにぶつかったかと思えば、そのままありえないような体勢から押し倒されていた。
突然の事態に動転しながら、朱音は状況の整理に脳のリソースを裂いていく。
「この、さっさと退き……んぃッ!」
手は朱音の胸元、しかもボディスーツ越しに乳肉をギュムゥッ♥と鷲掴みにし、そのままギュムっ♥ 二ギュッ♥と何度か感触を楽しんでくる。
もう片方の手と言えば、剥き出しになった肉厚な太腿を掴み、剰えそのままホットパンツに包まれた尻肉へと這い寄ろうとしてくるのだ。
自らの雌としての象徴を弄ばれる。その感触は何処までも不快で、殺意すら覚えてしまいそうだ。
「いやぁこれは中々……迷った甲斐ってのがあったもんだぜ……くひひ」
「こいつ……っ、くぅ……触るな、この……んっ」
下卑た笑いが聞こえ、朱音は激昂した。反射的に甘く、呻くような声を上げてしまう。
その屈辱を振り払うように、手に魔力を集め、魔鍵を展開する。
出来上がったのは、拳銃の形を取っていた。
しかし、そう呼ぶにはあまりにも武骨で大きく、脅威に満ちた大口径の銃身。それを朱音は容易く持ち上げ、男の蟀谷へと銃口を突きつける。
「アタシに触っていいのは……アンタじゃないのよ!」
一切の躊躇いは無い。
撃鉄を起こし、引き金に指をかければ、銃身に魔力が充填されていった。
炎にも似た、揺蕩う撃熱の魔力。実際に熱気すらも感じるほどの怒りが、男へと容赦なく放たれたのだ。
ガウンッ、と轟音が響き、建物を破壊しながら粉塵を巻き上がらせる。
朱音を押し倒していた重さは消えており、それと同時に飛び上がって後方へと下がった。
「あのカス一体……あぁ、気持ち悪い……っ」
警戒を解かず、息を整えながら胸元や腰周りを払う。
ブルンっ♥と乳肉が弾み、ミッチリ♥とした太ももが波打つ。女性的で肉感的な肢体は、しかして引き締まった戦士の色を纏っている。
その朱音が、未だに引き金から指を離さず、砂塵の中で脅威を感じ取っていた。
仕留められていない。その確信があったのだ。
「ってて……危ねえじゃねえか。ちょっと触ったくらいでよ」
聞こえてきたのは、ねばついた不快感を持つ声だ。
粉塵を切り裂き、近づいてくるその姿には傷一つなく、汚れを払う装衣は魔力によって編まれた装束へ変わっている。
青と白を基調とした仕立ての良いロングコートだ。その腰には、主武装であろう長剣が下げられていた。
顔立ちは端正で、背丈も九郎より高い。二人を並ばせた時、十人中九人はこの男が良いと言うだろう。
しかし、それても朱音は、男に気持ち悪さを抱いたのだ。
「やっぱり……魔鍵師……よね、そりゃあ」
魔鍵を展開した自分に触れた、という時点で察してはいた。しかし、確証とまではいかなかった説が、目の前に現れ定まった。
大口径の拳銃を構え、男なら離さず僅かに下がる。
その微かな恐れを、男は見逃さずに笑みをうかべた。
「おいおい、そんなビビんなよぉ。いいじゃねえか、減るもんじゃねえんだから」
「……そういう言い分をしていいのは被害者側よ。間違ってもやった側が言うことじゃないわ」
軽薄な物言いは、もしかしたらフレンドリーと捉えられるのかもしれない。顔たちの良さや体格の良さは、それだけで利点となるのだから。
しかし、朱音にはそれが通じなかった。
態度や声音は爽やかさがあるのかもしれないが、何処か、言葉にならない何かが這い寄ってくるのだ。
「悪かったって言ってんのに、なんだよ連れねえなぁ。これから良い仲になるんじゃねえか」
「はぁ?良い仲って……いきなり何を言って……ッ!」
問いただそうとした時、男の背後で影が揺れた。虚空の顔面を持つ異形の人型だ。魔妖として形を成したソレは、迷うことなくその凶刃の狙いを男へ定めている。
気づいていないのだろう。狙われている男は朱音に軽薄な笑みを向けたまま避ける素振りも見せない。
助けるべきか否か、迷うより先に銃口が揺らめき、照準を男の背後に迫る魔妖へ定まった。
「お、なんだよ、仕事かよ」
しかし、朱音が引き金を引くよりも早く、男が腰に下げていた長剣を引き抜いた。
窓から差し込む夕日に反射する黄金の光は、どこか大袈裟で、華美なものに見える。
魔妖も気を取られたのか、その動きが鈍り、凶刃に躊躇いが生まれた。
「いま大事なシーンなんだ、よっ!」
その僅かな一瞬の後、男の大振りの一閃が虚空の頭部を切り裂き、跳ね飛ばしたのだ。
残光が太い円を描き、魔妖から噴き出す黒い靄を振り払う。
九朗のものしか知らないせいか、型にハマらない男の剣は、朱音にとっては新鮮なものだった。
「ったく、それでさぁ……へへ、なんだよその顔はよぉ?」
「は、はぁ?一体何言ってんのよ……顔って、そんな……」
朱音は一体、どのような顔をしていたのだろうか。
光を宿す剣に魅入られ、蕩けたような表情だったのかもしれないし、恋する乙女のような可愛らしいものだったのかもしれない。
まるで知らないような、初めて感じるような何かが、朱音の中へと侵食してくる。
「鏡でも見せてやろうか?まぁ、これくらいの方がいいけどな」
「なっ、ちょっと離しなさいよ……っ」
気がつけば、男は至近距離にまで近づいていた。しかも腰に手を回し、抱き寄せるというオマケ付きだ。
反応の遅れを取り戻すように突き放そうとするが、予想よりも鍛えられた肉体はビクともしない。
何度押しても、動くことすらしなくなり、次第に抵抗する力も弱くなっていった。
「お、ようやく素直になったか。これから長い付き合いになるんだし、その方がいいぜぇ」
笑顔を向けられ、朱音の意識が朦朧としてくる。先程まで不快だったというのに、今では男がどこか愛らしく、好ましい人物に思えてくる。次第に下がる手が、朱音のミッチリ♥とした尻肉へと回される。乱暴さは無く、ホットパンツ越しに撫でさすってくる手つきに「んっ、あっ……♥」と甘い声が零れてしまった。
「えぇ……そう、よね……」
声には力が籠っておらず、瞳からも光が消えている。手に握っていた拳銃も姿を朦朧とさせ、敵意や闘志というものを無くしていく。
謎の心地良さすらも感じる中、朱音は抵抗をやめて男の意のままになろうと、脱力し身を任せようとした。
次の瞬間だ。
ガウンッ!
「っが、あああッ!!」
「な、おい何やってッ!」
実態を取り戻した拳銃を、朱音は自らのこめかみへ突き立てる。
何が起こるのかと思考するよりも早く、指先は迷うことなく引き金を引いた。炎を宿した魔力の弾丸が脳をゆさぶり、発砲の衝撃が男を朱音から引き剥がす。
僅かな距離は、蹴り上げた朱音により更に離れ、向けられた銃口が再度の接近を拒絶した。
「それ以上、近づいたら……どっちかが死ぬわよ……っ」
先程まであった多幸感や充足感は消え去り、朱音の全身を不快感と倦怠感が包んでいる。
が包んでいる。
蘇った闘志がなければ、今頃倒れ伏していることだろう。それだけの威力と衝撃が彼女を襲ったのだ。
フラつき、肩で息をする朱音を見ながら、男は苛立ちを隠さず長剣を軽く揺らす。
「いきなりなんだよ……こっちは優しくしてやって」
「初対面相手に精神干渉してくるようなやつ、信用できると思う?」
男の言い分を遮り、朱音は眼力をより強くした。数年前、とある大きな任務を任された際の経験が役に立った。
精神に干渉してくる能力を、荒療治ではあるが衝撃によって跳ね除ける方法を身体に刻みつけたおかげだ。支配されるよりも先に、強烈な魔力で吹き飛ばせば回避はできる。
問題なのは、それを睨みつけた先にいる男がやってきた、ということなのだ。
「言っておくけど、簡単にやられてやるつもりは無いわよ。そのニヤケ面に一発叩き込んで死んでやるわ」
敵意を消さず、少しずつ、気づかれない程度に距離を空けていく。
男の正確な実力を測るのは、僅かな剣戟だけでは難しい。だが、少なくとも得物は長剣だ。距離を空ければ大型銃を構えた朱音に優位がつくだろう。
荒療治をしたせいか、魔力を練るのが上手くいかないのだ。一秒でも時間を稼ぐしかない。
「……あ~ぁ、もうめんどくせえなぁ」
男が舌打ちをする。表情は歪み、本当にウンザリしているといった様子だ。遂に諦めたのか、と朱音は息を呑む。だが次に来るのは、男が何者なのかということだ。魔鍵師であることは確実だが、目的が読めない。立ち去る気配もないのが余計に朱音の精神を削り、疲労が心臓に負荷をかけていく。
瞬きすらも許されない緊張感の中、男が長剣を手繰る。光が軌跡を描き、円となって室内を照らした時、その姿が、突如として消え――
「もっと穏便にって思ってたけど、まぁ後で弄ればいいだろ」
「なっ、どうして……ッ」
朱音の背後から胸元の果実を掴み上げてきた。必然的に拘束され、無遠慮で乱雑な手つきに乳肉がギリリとつねられる。苦しさが朱音の肺から息を吐かせ、股下に滑り込んできた太い脚で身体が浮く。
まるで相手のことを考える気のない手つきは、朱音に吐き気を催す程の不快感を与えるが、しかしてズリズリと跨ぐらを擦られ、詰られ、甘い声が漏れそうになるのも事実だった。
「ほれ、愉しませてやるからよぉ、暴れんじゃねえぞ」
「ふっ、んぅ……くぁっ、やめっ、離せっての……っ」
逃れようとする朱音を、抑え、掴み、肉果実を掴みあげる。
快感を覚えているわけでもないが、生理現象として喉の奥から声が零れてしまう。堪えようとしたせいで、甘い声に変わってしまうのだ。
この屈辱が朱音を苦しめていると男も理解しているのだろう。端正な容姿を下卑た笑みで汚し、遂に手がインナーの中へと滑り込もうとしてくる。
「ふざけ、離せって……っ!」
動き、暴れ、拳を握った時、朱音の視界に影が映った。
それが何かを理解した時、朱音の中から認めたくない恐怖は既に消え去っていた。むしろ笑みを浮かべ、抵抗を止めて大型銃を解いている。
段々と笑みは笑いになり、クックッと喉を鳴らすような音が響いた。
「お、ようやく堕ちたか?随分かかったなぁ」
「は?あ〜、はいはいそうね……じゃあかかったついでに言っておくわ」
下卑た笑みを浮かべる男へ、今度は朱音が呆れたような笑いを返す。
その瞳には悔しさも恐怖も無い。むしろこれから起こることへの期待感のような色が宿っていた。
そして、最後とばかりに朱音は男へと中指を立て宣言をする。
「アンタ、狼のしっぽを踏んだわよ」
それがどういう意味か。男が理解したのは直後だった。
疑問符を浮かべている真横、窓ガラスを破壊しながら、黒い影が襲撃してきたのだ。
黒衣を纏い、青白い光を帯びた襲撃者は鯉口を斬り、朱音と男の間へ下段からの斬撃を放った。鋼色の刃が夕の光に反射し男の視界を遮ると、身を反らした男へ襲撃者が追い打ちとばかりに宙で蹴りを放つ。
「てっめ」
「どけ、下郎」
着地と共に男の足を払い、体勢を崩したところへ鞘の一閃が顔面を直撃した。骨の碎ける嫌な音が響き、男が後方へ吹き飛ばされる。
残された朱音が膝を折り崩れ落ちるところ、襲撃者は彼女を抱き寄せゆっくり座らせた。
「ごめん、遅くなった」
優しい声だった。
先程までとは違う、同じ男だというのに、感じるのは安心と呆れてしまうほどの普段通りな気分だ。
憎まれ口のひとつでも叩こうかと口を開くが、体に力が入らず声を張ることも出来なかった。
「うん……ごめん、アタシこそ、迷惑かけたわね、九朗」
「まさか。無事でよかったよ、本当に」
襲撃者、九朗は笑みを浮かべで安心の思いを伝える。つい先程、通信を切ってから時間は経っていない。必死に駆けつけてきたのだろう。
九朗にはひとつの嘘もないのが朱音にも分かった。
だが、それよりも強く感じたのは、震えが表に出るほどの恐怖だった。
「良かった……本当に、間に合った……」
「あ、っと……九朗?」
疲弊した朱音よりも脆く、今にも崩れてしまいそうなほど恐怖を滲ませる九朗は、その瞳に濁った光を宿している。一体何が彼をそうさせるのか、幾度となく問いただそうとしたが、答えが返ってこなかったら。
そう考えると、今のように九朗の名を呼ぶことしか出来なくなるのだ。
「大丈夫……今度こそ、大丈夫だ……」
だから、と一つ息を区切った九朗は、優しげな目つきを変えた。
剣呑で、今にも全てを斬り伏せてしまいそうな鋭い眼力。普段のような、魔妖との戦いですら穏やかで、ぼんやりとした九朗からは想像もできず、朱音は息をのみ、心中の特に微かな疼きを感じた。
打刀を構え、引きずり、火花を散らしながら背を向け歩いていく。
「待っててくれ、すぐ終わらせる」
その宣言が、ハッタリや強がりではなく、まるで決意のようなものだと、受け取った朱音は気づいてしまった。
だからこそ、歩みでる背中へ、何かを言うことも出来なかった。
ちょっとカスにしすぎた……?
それでは皆様、良いお年を