母乳搾り屋の日常 作:南尾重国
母乳搾りは国によって定められた女性の権利である。
母乳搾りは女性の健全な生活に必須であり、相応の税金が投入されている。国から認められた母乳搾り認定業者の収入の大半は、女性から直接回収するのではなく、利用人数に応じて支払われる公費となる。母乳搾り屋は民営でありながら、ある意味では国営に近い業態と言えるだろう。
半ば国営であり、国によって定められた業務も当然ある。回収された母乳には幾つか用途があるのだが、その一つとして、母乳が出ないないしは出にくい乳幼児の母親への母乳の提供を、我々は義務付けられている。
母乳搾り屋でサービスを受ける女性が妊娠した場合、特に問題となるケースは少ない。搾乳時の状況次第では分泌や増量を促すマッサージ、生活習慣に対するアドバイスなども行っているが、そもそも母乳の出が悪かったり、妊娠に伴う精神的、肉体的な負担による健康上の理由で母乳が出なくなるなど少数ながら発生する。
そんな時のために、母乳搾り屋は、提供を求める母親に対し、母乳の提供並びにその利用状況の管理という2つの義務を負う。そして管理する以上、単純に欲しいならあげるという訳にもいかず、一応の申請と審査が必要となる。
ただし、母乳を必要とする赤ん坊がいる以上、それらに時間をかける訳にもいかない。母乳搾り屋に登録された情報があることを前提に、簡易検査を行い授乳に問題ない母乳を提供するのが基本的な流れとなる。
ここでいう授乳に問題ないとは、母乳の成分が赤ん坊の体質上問題ないこと、健全な育成を阻害しないことを保証する事である。もちろん絶対はこの世に存在しないのだが、それでも人命に関わる以上、最大限に留意する必要がある。
そこで安全性を担保し迅速な対応を行うため、回収した母乳は常に検査とラベリングが行われていて、いつでも利用できるよう管理されているのである。
要は集めた母乳は誰かの赤ん坊に渡されることがある、ということだ。
「あの、すいません、宜しいでしょうか」
そんな声と共にそのお客様がやってきたのは、朝のピークを超えて、人がまばらになってきた頃だった。搾乳は今のお客様で最後で、会計待ちがいく人かと言ったところ。
赤ん坊を抱いた母親の登場に、会計待ちの女性たちが僅かに活気づく。赤ん坊の対応は優先的に行われる。その母親が対応できるよう、皆が移動を始めた。
「はい、いつもご利用ありがとうございます」
会計のニコニコとした挨拶に、恐る恐る店内にやってきた母親もほっと息をついた。優先と決まっているとはいえ割り込むなんて、ましてや皆が母乳搾りをする中自分の母乳は出ないのに、そんな風に躊躇いがちな女性がいる。このお客様もそういう人柄で、この時間に来るのも人が混み合わない時間を狙ってのものだった。
「今日までに赤ちゃんの飲んだ母乳の量はどれくらいでしょうか」
会計所で、母親にいくつか質問が行われる。これは今回お渡しする母乳の量や、検査の有無に関わる調査で、内容次第によって、再検査や渡す母乳の変更が必要になる場合がある。
聞き耳を立てる限り、今回渡す母乳は前回から変わりなくて済みそうだった。
もし、再検査が必要になる場合はこちらに来てもらう必要があるが、そうでなければ、保管されている母乳から、お客様にあった母乳をお渡しするだけで済む。母乳の成分調査を含めてお客様用の確保は済んでいる。
聞き取りの終わった会計は、チェックシートの記載内容から問題がないことを確認してバックヤードへと向かっていった。
「あの子の飲む母乳は私のかしら?」
ふふふ、と笑う搾乳中のお客様の質問に、個人情報のため回答できませんと、毅然に対応する。
「わかってるわよ。この子ったら真面目ぶっちゃって」
そう冗談めかして言われれば、からかわれたのだと言うほかない。からかいと言っても、お互いだいぶ顔見知りである、ちょっとしたコミュニケーションのつもりだろう。自分としては僅かに釈然としない気持ちを抱えながら搾乳を続ける他ない。
この間に、袋を抱えてバックヤードから戻ってきた会計が母乳を渡し、母親は頭を何度も下げながら帰っていった。
そうしてしばらく後、こちらの搾乳も終わる。プラスチックカップを取り外し、アルコールタオルで乳房に残った水気を拭えば、作業は完了だ。
「はい、ありがとう」
感謝の言葉に軽く頭を下げ、お客様が席を離れたのを確認して、プラスチックカップと容器を新しいものに取り替える。この作業の間に搾乳待ちの列に女性がいるのを確認している。
「次の方どうぞ」
あの赤ん坊にとって渡された母乳は美味しいのだろうか。そんなことを考えながら、次のお客様を席へと案内した。
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