母乳搾り屋の日常 作:南尾重国
乳搾り屋には毎日何十人も訪れるが、基本は既存のお客様であり、何かこれというようなイベントは少ない。それこそ新しいお客様が来店される、というだけで色めき立つこともあるくらいだ。
しかし、これは店舗側の話であって、お客様に訪れる毎日は、その一人一人の人生でありドラマである。
中には毎日の搾乳に付随する成分検査を必要とするお客様もおり、その結果次第では、そのお客様にとっての問題となり得ることだってないとはいえないのだ。
午後の業務は1時から始まる。
入り口を開けてすぐに入ってくるお客様の存在は、乳搾り屋というのが、女性にとっていかに大切な仕事なのかと言うのを表しているかのようだ。
お客様が受付を済ませ、搾乳待ちの列に並ぶ間に、お客様の情報が手元の端末に送られてくる。
『要:検査結果の報告』
これは見ての通り母乳の数値検査をお客様に報告しろというものだ。
なぜ報告を行う必要があるかは人によって違うのだが、母乳の検査には日々の健康チェックに近い要素がある。血液検査ほど詳細に健康状態がわかる訳ではないが、主要成分が著しく減っているとか、逆にものすごく多かったとか、そうなれば大なり小なり問題を抱えている可能性がある。
今回のお客様は、前回の母乳搾りの際の数値に問題があった方だ。
検査結果を直ぐに取得することはできないが、最近はITの進歩によって、乳搾り屋とお客様の距離が過去よりもぐっと近づいている。
昔であれば機械の精度の関係もあり、翌日の搾乳時に連絡することが多かったのだが、最近では問題を認められるお客様に連絡先に予め送っておくことができるようになっている。
警告、というと緊急性が高いように聞こえるが、閾値の問題でなってしまう人はなってしまう。連絡先を登録いただいた際に、詳しい内容は次回の乳搾り屋に訪れた際に連絡する、本当に緊急の場合には、相応のメッセージが飛び、それこそ病院へ行ってもらう必要があることもある旨の説明はしている。
そんな訳でいつもはもう少し遅めにくる方なのだが、今日は午後1番にいらしたようである。
タブレットの関連項目から、ここ数日の母乳の状態をチェックする。一昨日の値は正常値だが、昨日、1箇所だけ異状値が検出されている。元々高かった傾向もなく、一過性の可能性は非常に高そうだ。
「次の方どうぞ」
こちらの準備ができたのを確認して、午後の搾乳業務をスタートした。
「こんにちは。ええと、昨日連絡来たんですけど、何か問題があったとか?」
「ええ、今日は搾乳前にそちらの話からしましょう」
手で合図を送り、こちらのスペースに着き次第話し始めた前のめり気味なお姉さんに椅子に座るよう促す。こちらの落ち着いた対応に、本人も必要以上に急いていた事を認め、軽く首を振ってから椅子に深く腰掛けた。
「まず、警告メッセージが届いたと思いますが、具体的な指示がない場合、緊急性が高いことはありません。翌日の、つまりは今日ですが、検査を行う際に、問題が出ないことも多いです」
今の所深く考えすぎる必要はないよ、という事だ。
うんうん、と頷くお姉さんに内容を理解したと判断して、話を続けよう。
「こちらが昨日の成分表です。ここの数値が基準を超えていたため警告が送られた訳ですが、なにか昨日の搾乳前に行ったことで心当たりはありますか?」
具体的には食生活や、薬の服用などか。経口摂取の人体への影響は思っている以上に高い。
「あー、普段は朝食後に飲む薬なんですけど、起きるのが遅くなっちゃってお昼過ぎに飲んだんです……」
こちらから目を逸らすように言う。いかにもやましいことがあると言いたげな態度である。
それだけですか? という無言の圧力に、初めのうちは笑っていた表情が、笑顔のまま固まって、観念したように笑顔を崩してこちらを向いた。
「……昼食に大盛りラーメン、チャーハン、餃子をビールで食べました……」
思ってたより多いが、やった事はまぁそんなところだろう。特にアルコールと薬の組み合わせは搾乳前でなくとも不味いが。
「一応、酔いが覚めてから来たんですけど……」
「数時間は成分が残りますからね。飲むなとは言いませんが、赤ん坊が直接授乳する際も、3、4時間以上空ける必要があるんですから」
話を聞くうちにしおしおとしょげていくお客様。これ以上追い打ちをかけても意味はないか。
「それでは今日も搾乳して、母乳の検査をしましょう」
こちらの声かけに、お姉さんが上半身を脱いで、乳房を晒す。
昨日あれだけ食べた、そのキャパシティがある割には、太すぎていない体格である。ここに大きいおっぱいがついているのだから女性とは不思議なものだ。傾向として、程よく肉付きされたスタイルがいいお客様は、母乳の数値が悪くなりづらいのだ。
一体どれだけの暴飲暴食があったのか気になるところだが、昨日の今日で危ない行動はとっていないだろう。
消毒したあと、乳房の先の乳首を軽く摘み、母乳の出を確かめる。
乳輪も含めて母乳が滲むのを確認して、プラスチックカバーを装着した。
吸引が始まるのを確認して、乳房の下に手を置いて搾乳をサポートするように、軽いマッサージを始める。
「今日の検査結果ですが、問題ない場合に、そのことを送るよう設定しますか?」
普段なら連絡されないため、まだチェックが終わっていないのか、終わったけれど問題なかったのかがわからない。その設定をどうするかはお客様によって異なる。
「ん……ふぅ……送ってもらって、いいですか?」
「はい、わかりました」
少し声が途切れがちながら頂いた内容について、作業中の空いた手でタブレットの、今日の搾乳項目から連絡の転送にチェックを入れる。
異常が出たおっぱいは、昨日と同様で、柔らかいことしかわからない。今の自分の実力では触診でわかる事はあまりない。
(資格試験の勉強増やすか)
お爺さんに追いつくには、経験も知識も足りていない。
お客様の母乳を搾りながら、今後の決心を新たにした。
読んでいただきありがとうございました。
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