※この作品はR-18です。

隔たりのあるところから始まった、恋にもなっていない   作:木桜 春雨

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14 クリスマスのギャラリー、エリックは愛華と彼女の元夫の裕司と出会う

 「ねえ、ここ、入ってみない?」

 女はツリーを見上げたまま言った。

 オーナメントの間に、リボンで結ばれた小さな袋が揺れている。

 「写真の……ギャラリー?」

 男は足を止めて、半歩だけ近づいた。

 「ほら、これ。取っていいみたい」

 女はそう言って、袋を一つ外した。

 クッキーの甘い匂いが、冬の空気に混じる。

 「勝手に取るやつ?」

 「ちゃんと書いてあるよ。一人一つ、好きなのを持って中へってくださいって」

 男はツリー脇のメッセージボードを読んで、思わず笑った。

 「入場券がクッキーか」

 「なんか楽しくない」

 女は袋を揺らして言う。

 どの味にするか、少しだけ迷っている。

 「あなたは?」

 

 ガラス越しに見える室内は、思ったより静かだった。

 街の喧騒が、ドアの向こうで切り取られている。

 男が言いかけて、言葉を探す。

 「クリスマスっぽくないのに、逆に気になるな」

 女は一瞬だけギャラリーを見て、微笑んだ。

 

 「おい、英介。また入ってきたぞ」

 入口の方を見た友人が、小声で言った。

 英介は、ゆっくりと視線を向ける。

 「ほんとだ」

 カップルが中へ足を踏み入れるのを見て、思わず瞬きをした。

 正直、身内、知り合いぐらいしか来ないと思っていた。

 「見てもらうだけでも、結構くるな」

 友人の言葉に、英介は無言でうなずく。

 胸の奥が、少しだけ忙しくなる。

 人が入ってくるたびに、奥にいた美夜と友人が目配せをして、ツリーにラッピングした焼き菓子をそっとぶら下げに行く。

 一人ひとつ、入場券代わりの、ささやかな仕掛け。

 

 それを思い出して、英介は小さく息を吐いた。

 「これさ、男の発想じゃないよな」

 「ないな」

 顔を見合わせて、苦笑する。

 「考えつくのもすごいし、やるって決めるのもすごい」

 ギャラリーはまだ静かだ。

 でも、人が入るたびに空気が少しずつ変わっていく。

 英介は壁に並ぶ写真を見て、肩の力を抜いた。

 とりあえず、始まったな、そう思えただけで、今は十分だった。

 「すみません」

 声をかけられて、英介は少し肩を跳ねさせた。

 振り返ると、さっき入ってきた女性が立っている。

 「ポストカードみたいなものは、ないんですか?」

 一瞬、言葉が出なかった。

 隣にいた連れの男性が、少しだけ目を見開く。

 女性は肩をすくめて笑った。

 「部屋が狭くても飾れるでしょ。一枚だけとか決められないし」

 英介は曖昧にうなずきながら、頭の中が静かに忙しくなるのを感じていた。

 思いつかなかった、いや、考えもしなかった。

 女性の言葉に、英介は一瞬、言葉を失った。

 完全に盲点だった。

 欲しいと思っても、一人暮らしのアパート、賃貸なら飾る場所は限られている。

 壁だって、好き勝手に使えるわけじゃない。

 そこまで考えが及んでいなかったことに、気づいてしまった。

 写真を並べて、見てもらえたらそれでいい、どこかで、そう思っていた自分がいる。

 隣で友人が、ぽつりと呟いた。

 「そういえばさ」

 少し考えてから、友人が続ける。

 「美術館でも売ってるよな。有名な絵画の絵葉書とか、エコバックとか」

 英介は気づいた。

 有名な画家の絵なんて、気軽に買えない。

 でも、絵葉書なら手に取れる、持ち帰るだけじゃない、 自分のものにできるんだ。

 よし、今度、もしギャラリーを開くならと英介は思った。

 

 クリスマスなんて、裕司には関係なかった。

 寒さが増すと、決まって患者は増える。

 風邪、喉の不調、大人だけでなく、小さな子どもも多い。

 本当は、自宅で安静にしていれば十分な症状もある。

 それでも、苦しそうな顔を前にすれば、診ないという選択はできなかった。

 そんな一日を終えて、裕司は帰宅した。

 

 玄関の灯りをつけて、足を止める。

 靴が並んでいる、自分のものじゃない。

 男物が、複数、男友達か。珍しいな。

 そう思った、その直後だった。

 「うまい! いやー、最高のクリスマスだ」

 「英介、感謝するぞ。お前のおかげだよ」

 「ほんとだよ。彼女がいない俺たちが、手作りの料理を食べられるなんてさ」

 応接間の方から、賑やかな声が聞こえてくる。

 裕司は、その場で一瞬固まった。

 ここは、自分の家だ。

 だが、いつもの静けさはどこにもない。

 裕司は、靴を脱ぎながら小さく息を吐いた。

 今日は、帰るタイミングを間違えたかもしれない。

 そう思いながらも、

 足は自然と応接間の方へ向いていた。

 

 挨拶だけでもしておくか。

 そう思って、裕司は応接間へ向かった。

 英介と、その友人らしき男が二人。

 こちらに気づくなり、そろって顔を上げる。

 「裕司さん、おかえり、病院、大変だったでしょ」

 「風邪が流行ってる。お前たちも気をつけろよ」

 医者としての反射でそう言ってから、

 裕司はふとテーブルの上に視線を落とした。

 おにぎり、巻きずし、サンドイッチ、手羽先の焼き物、サラダらしきものまである。

「どうしたんだ、これ、買ってきたのか?」

 英介が口を開く前に、友人の一人が満面の笑みで言った。

 「英介のおかげです!」

 「皮製品を置いてくれって頼んだ女友達とですね」

 友人は身振り手振りが大きい。

 裕司の思考が、一拍止まった、テーブルに並んだ手料理の数々を見て驚いた。

 これを女、二人で作ったのか?

 サンドイッチに巻きずし、煮物にチキン、彩りよく並んだ前菜まで。

 「彼女たちは?」

 尋ねると、英介の友人が、手羽先をかじりながら答えた。

 「それがです、麻美さんは革のオーダーが入って、制作に戻ったらしくて。美夜さんも手伝いに行ったそうです。料理を持ってきて、パッと帰っちゃったんですよ」

 「まるでサンタクロースみたいだな」

 裕司は思わずつぶやいた。

 テーブルの料理を見渡しながら、これ全部を短時間で仕上げるのは、相当手間がかかったはずだと感じた。

 しかも、彼女たちは誰に感謝されたくてやったわけでもない。

 お礼だからと作っていった、その心意気に、裕司はじんわりと胸を突かれていた。

 そんな中、友人のひとりがチキンの骨を外しながら、ニヤニヤして言った。

 「なあ、英介、美夜さんって、お前の彼女か?」

 その瞬間、英介の動きが止まった。

 チキンが喉に詰まりかけて、英介はむせるように咳き込んだ。

 友人の一言に、英介は思わずチキンを握りしめた。

 次の瞬間、もっと気になることに。

 裕司さんは、ちらりと視線を送る。

 おにぎりに手を伸ばしていたが、英介には分かった。

 大人の男は表情でバレないようにする術を持っている。

 だけど、その分、目に、仕草に無意識に出る。

 「裕司さん、ケーキあるから」

 英介は小声で言った。

 「クリスマスだから、美夜さんが持ってきてくれた」

 裕司は返事をしない。

 ただ、ほんのわずかに頷いた。

(動揺してるな、完全に)

 英介は心の中でふっと笑った。

 

 その日、エリックはギャラリーの前に立っていた。

 クリスマス仕様の街並みの中で、そこだけ少し静かな空気をまとっている。

 ご一緒にと愛華にと聞かれたが、即答で断った。

 彼女がいれば、まともに写真なんて見られない。

 (あの人は、火のついてない場所にわざわざマッチを投げ込むタイプだ)

 だから今日は一人。

 余計なノイズなしで来たかった。

 会場の前に置かれたツリーが目に入る。

 ラッピングされたクッキーが枝にぶら下がり、横には手書きのメッセージ。

 「入場チケットの代わりに一つ取って、入ってください」

 

  エリックは写真の一枚一枚を眺めながら、思ったよりも多彩な展示内容に軽く驚いていた。

 風景、動物、人物――撮る者の目線がそれぞれ違っていて、視線の流れが面白い。

 ギャラリーを借りて仲間とやっている、という英介の言葉をふと思い出す。

  個人でこんな展示を開くのは、想像以上に労力がかかるはずだ。

 (こういうの、嫌いじゃない)

 そんなことを考えていた時、不意に横から声が飛んできた。

 

 「プレゼントですか? ラッピング、女性向けと男性向けとありますけど、どちらにします?」

 視線を向けると、展示会場の隅、飾り棚の横にテーブルが設けられている。

 そこにいたのは美夜だ。

 

 「ネット販売と違って……緊張するね」

 美夜が小さく息を吐いた。

 革細工の並ぶテーブルに視線を落としながら、そっと帽子の位置を直す。

 真っ赤なサンタ帽が、黒髪にやけに映えていた。

 隣の女性、麻美が、笑いながら肩を軽くたたいた。

 「ネットで通知を見るだけの時と違って、実際に手に取ってくれてる人が目の前にいるんだよ? それって、すごいことじゃない?」

 美夜はしっかりとうなずいたが、その表情にはまだ少しだけ硬さが残っていた。

 「よかったよ。見に来てくれた人もいるし」

 麻美が商品を整えながら言う。

 

 「ううん。美夜のお陰だよ。ほんとに」

 麻美は真剣に言った。声には迷いがなかった。

 「私ひとりだったら、絶対できてない。今日だって、こうやってクリスマスの恰好して座ってるなんて、想像もしてなかったよ」

 二人の女声はサンタをイメージしたコスプレをしていた。

 赤い帽子、服も、それぞれ微妙に違うデザインで、どちらも手作り感があった。

 

 エリックは写真を見るだけのつもりだった。

 ただ展示を見て、雰囲気を味わって、ひっそり帰るつもりだった。

 美夜がいるのは予想もしなかった。

 (挨拶するだけだ。落ち着け)

 ゆっくりテーブルへ近づく。

 気配に気づいたのか、美夜が顔を上げる。

そのときだ。

 「あらっ、こんなところにサンタさんがいるわ!」

 明るい声、振り返らなくてもわかる。

 愛華の声だ。

 「エリック先生? 写真に興味があったんですか? こんなところで会うなんて、驚きました」

 わざとらしすぎるとエリックは思った。

 驚いたふりをしているとエリックは思った。

 「裕司さん、元夫なんです」

 その瞬間、隣の男の表情がわずかに固まった。

 「この人、ツリーの前で立ち尽くしてたのよ。入場券のお菓子を取るのが恥ずかしかったのかしら?」

 言いながら、満面の笑みで裕司を見やり、そしてすぐさまエリックにもチラリと目配せ。

 「まったく、男ってどうしてああいうとこだけ乙女なのかしらね〜」

 愛華の笑い声が軽やかに広がる。

 男二人は沈黙だ。

 裕司は、口角をわずかに引きつらせながら目を伏せた。

 この場で反論すれば、彼女のペースに飲まれるだけだとわかっているのだろう。

 だが、分かっていても、やはり居心地の悪さは拭えない。

(頼むから、黙っててくれ……)

 そんな無言の懇願が目の奥に滲む。

 (この男、元妻に振り回されてるんだな)

 エリックはわかってしまった。

 そして、愛華は一人、にやにやと笑っていた。

 

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