東京に戻る飛行機内。
ゆったりとした空気が漂う中で俺は徐に口を開いた。
「異世界ってあると思う?」
「異世界?」
傑は疑問を顔に浮かべた。
いきなりそんなことを聞かれれば当然の反応だろう。
それに俺は寝不足と疲労の色濃い頭で考える。
普通なら信じないだろう。
正常な頭をしていれば世迷言、狂言だと切って捨てる類の話だ。
だが傑なら肯定してくれるかもしれない。
そんな淡い期待だ。
傑は暫く考えた末に答えを出した。
「……悟があるって言うならあるんじゃないかな」
「そっか」
絶大な信頼の寄せられた言葉に俺は笑みを浮かべて窓の外を見た。
眼下に広がる雲海は幻想的で美しい。
前世の世界。
そこは剣と魔法のファンタジー世界だった。
俺はそんな中で魔法も扱えず、どころか魔力すら持たないで生まれた。
人々は史上最も劣った人間であると罵った。
見下され、蔑まれ、侮辱され続けた人生だった。
誰も信じられず、縋る物もなく、惨めで滑稽で哀れな生き方をした。
そんな中でも生き残る為に戦術を戦略を知恵を身に付けた。
それでもあっさり死んだ辺り己の弱さたるや史上最弱であると自覚するに足る。
そのトラウマは今も焼き付いており、臆病さに拍車を掛けている。
傑と出会わなければ対人恐怖症でヒキコモリになっていたところだ。
今は一人でも街中を歩けるので傑という存在のデカさを実感する。
頼りになる親友であり、何よりも心の支えである。
そんな親友といるのだから呪術界と敵対するくらい余裕だ。
単独での実力という点で俺が、手駒の多さという点で傑が強みを持っている。
互いに足りない部分を補い合う関係は他にはないだろう。
俺達二人を相手して勝てると思う程総監部も愚かではない筈だ。
それに理子が拒否している時点で同化は行えない。
無理に同化を行うなら、俺達を倒すか掻い潜って理子を気絶させて天元様の元へ持っていく必要がある。
そんな無理難題を押し通せる実力は呪術界にはない。
特級の九十九さんが出てくれば多少は良い勝負になるかもしれないが、俺を抑えても傑がいる。
特級を複数所持する傑ならば理子を守り通せるだろうし問題はない。
ただ一人出てきたら厄介な奴がいる。
九十九さん同様負ける可能性がある相手。
裏社会で術師殺しと呼ばれる男。
奴が出てくれば話は変わる。
奴への対策は用意しているので上手く嵌ってくれれば良いのだが…。
プランは常に幾つも用意しておくものだ。
特に相手が不確定要素そのものなら対策は幾つ講じても足りないくらいだ。
東京に着くまでの間に幾つか用意しておくとしよう。
◇
呪術高専に帰還した一同は門の前で軽く伸びをした。
傑が結界内に入ったことを確認して口を開く。
「高専の結界内だ」
「これで一安心だね!」
「ですね」
「つってもまあこれからだろ。話し合いの結果によっては敵対なんだから」
「そうだね。とはいえ、これで外敵の心配はなくなった。お疲れ様、悟」
「あー…疲れた。しんどいわぁ」
悟がそう言って術式を解いたその瞬間。
トスっと軽い音を立てて、悟の腹を背後から刀が貫いた。
悟はそれにニヤリと笑みを浮かべる。
笑みとは本来攻撃的なものである。
歯を剥き出し目を爛々と輝かせて嗤う姿は襲われた獲物の顔ではなかった。
まるで罠に掛かった憐れな獲物を見遣る捕食者の表情である。
「よぉ、久しぶり」
その顔に術師殺しと呼ばれる襲撃犯、伏黒甚爾は言いようのない悪寒に襲われた。
そして咄嗟に刀を抜いて逃走を図る。
それを見逃す筈もなく、傑はすぐさま呪霊を呼び出して甚爾を飲み込ませた。
傑は悟に駆け寄ろうとするもそれを手で制される。
「問題ない。反転でもう治した。それより理子と校舎に向かってくれ。硝子と場所を纏めれば守りやすい」
「……分かった。油断するなよ」
「俺が油断したことあったかよ」
傑は笑みを浮かべて二人を連れてその場を去った。
悟は油断なく警戒心を全開にしながら甚爾が飲み込まれた呪霊を見つめた。
呪霊の腹から刀が突き出て、切り裂く。
中から現れたのは先程とは別の刀を持ち、体に赤子の顔をした芋虫型の呪霊を巻き付けた甚爾であった。
「チッ…できればさっきのでお前は仕留めたかったんだがな。星槳体もいねえし」
「アンタが今回の件に関わっていることは想定済みだ。まんまと罠に掛かってくれて助かった。悪いがアンタにはここで死んでもらう」
悟が術式を解くこと。
それ自体が甚爾を誘き出し、殺す為の罠。
同時に理子を初手で狙われない為でもある。
呪力がない故に気配を読めない甚爾に最初から理子を狙われたら守り切れないと判断した故の作戦だった。
甚爾はそこまで理解させられて思考を逃走から戦闘へと変える。
これから行うのは呪いの寵児への挑戦である。
自身を否定した禪院家・呪術界の頂点を捩じ伏せる。
そうすることで自分を肯定したくなった。
そこに感じる違和感に気付かないまま甚爾は闘争心へと身を委ねる。
肩の呪霊から天逆鉾に取り出して万里の鎖と繋ぐ。
そしてそれを振り回して戦闘態勢を整える。
対する悟はフラットに甚爾が向かってくるのを待っていた。
その瞳には好戦的な色はなく、あるのは何処までも冷徹な意志。
目の前を男を踏み台にして新たなステージへと至ろうとする算段であった。
合図はなく、甚爾の方から攻勢に出る。
逆鉾を悟の方へと振り抜く。
天逆鉾が有する能力は発動中の術式の強制解除。
無下限に当たれば解除して突き刺さる。
寸前で六眼でその内容を暴いた悟は、しかし避けることなく敢えて左腕を差し出した。
呪力で強化した肉体を逆鉾は容易く切り裂き、切り離された左腕が地面に落ちる。
甚爾は逆鉾を引き戻して手に握る。
敢えて受けた不気味さに甚爾は再度悪寒を感じる。
「やっぱ痛えもんは痛えよな…」
悟は平静を取り繕いながら内心では痛みに呻く。
絶叫したい程の痛みを理性で抑え付けて悟は反転を回す。
そして失った左腕が再生を始める。
その光景に甚爾の本能は警鐘を鳴らしていた。
本能は今すぐ逃げろと告げている。
しかし甚爾の意地がそれを許さない。
腕の再生が終わった悟は左手を開いたり閉じたりして確認する。
そして瞳を甚爾へと向けた。
視線だけで殺されると分かる圧倒的な殺意と圧力に甚爾は冷や汗を流す。
だがなおも逃げることなく逆鉾を振り回して抵抗を試みる。
悟はそれを見て静かに、緩やかな動きで人差し指を中指に巻き付けて掌印を組んだ。
「領域展開・無量空処」
結界で閉じずに展開された領域は周辺環境を塗り潰し、生得領域を具現化させる。
中心に全てを呑み込む黒が据えられた宇宙空間。
領域内の悟自身と悟に触れている者を除いた者に無限の情報を与えるそこに呑み込まれた甚爾は立ったまま気絶。
そして体の穴という穴から血を流して絶命した。
領域が解除され、景色が元に戻る。
悟は死んだ甚爾を見て僅かに瞳を伏せた。
そして甚爾の体に巻き付いた呪霊が自身の方へと向かうのを目に留めた。
恐らく主を殺したことで新たな主として認められたのだろう、と悟は推測する。
呪霊を抱え上げて甚爾が手に持つ呪具を回収し、悟はその場を離れる。
言葉はなく、結果は一目瞭然。
悟は新たなステージに至ったがその感慨はなく、穏やかな心持ちで校舎へ向けて歩き出したのだった。
その場には甚爾の死体だけが取り残された。
・オリ主
閉じない領域を手本なしで習得した天才。
覚醒する為に態と追い詰められた。
実は異世界出身。
・伏黒甚爾
遺言なく死亡。
呪具は丸ごとオリ主の所有になった。