マクロスΔ オペレーション・スィートプリズナー 作:夜叉五郎
アルテミシア・グランドホテル シアターレストラン
誓いのキスの瞬間、ミラージュ・ファリーナ・ジーナスは司式者の位置から、静かにその「開戦」を見届けていた。
至近距離で交わされる新郎新婦の熱い接吻。
そこから溢れ出した高密度のサキュバス波が、ステージ上の四人の淫紋と客席の百名以上の指輪を媒介にして、目に見えない巨大な蜘蛛の巣のように会場を覆い尽くしていく。
(……やはり、こうなりましたか。想定以上の密度です)
ミラージュは、揺らぎ始めた空気の震えを肌で感じながら、冷徹なまでに落ち着いた思考で戦況を分析していた。
彼女は知っている。
オリッシュが初めてマクロス・オーオクに搭乗した際、百名を超えるクルーたちにあの「指輪型社員証」を配らせたのは、他ならぬミラージュ自身だ。
その後のサキュバス砲の試験運用、さらにはオリッシュが主(マスター)として全クルーと肌を重ね、その支配を完成させていく過程も、すべて報告を受け、熟知していた。
かつては純潔を重んじる厳格な軍人であった彼女が、なぜこれほどの「悪魔的な所業」を許容し、加担しているのか。
尊敬するカナメをあえて淫らな慰安任務へと送り出してしまった拭い去れない負い目。
プロトカルチャーの遺跡とリンクしたオリッシュによって、自分一人だけが死の淵から救い出されていたという、抗いようのない重い恩義。
何より、銀河を蝕むヴァールシンドロームを根絶し、真の平和をもたらすためには、この「快楽による統治」という毒を以て毒を制する道しかないという深い理解。
それらが相まって 蛇の道は蛇、という覚悟が定まってしまっていた。
(……レディM、あなたの描いた筋書き通りです)
銀河の支配層を一網打尽にし、その魂をサキュバス・クィーンの支配下に置く。
この非人道的な、しかし最も効率的な「レディM」の作戦を完遂させるため、ミラージュは司式者として、冷徹な監視者の瞳でシアターレストランを一望し続けた。
ふと、彼女の脳裏に遠くウィンダミアの空の下で生きる、かつてのバディの姿がよぎる。
(ハヤテ……貴方は、フレイアが遺してくれたあの子を立派に育てなさい。そして、この歪んだ支配とは無縁の、青く澄んだ平和な未来を生きるんです。……そのために私は、身も心も汚して、あの新たな銀河の支配者に尽くし続けましょう)
自嘲気味な笑みを心の奥底に隠し、ミラージュは覚悟を決めた。
たとえ自分がどれほど汚れようとも、それが愛した者たちの平和を繋ぎ止めるための代償ならば、甘んじて受ける。
理性を失い、恍惚と隷属の海に沈んでいく権力者たち。
その惨状を前にしても、彼女の心はもはや揺らがない。
これは平和のための「掃討戦」なのだと、自分に言い聞かせるように深く息を吐いた。
オリッシュがゆっくりと唇を離す。
その瞬間を待っていたかのように、ミラージュは傍らに用意された銀色の起動スイッチを、迷いなく指先で押し込んだ。
刹那、ホールの喧騒を透き通らせるように澄み切った、天上の祝福の鐘の音が、静かに、そして気高く鳴り渡った。
その音色は耳を劈くような大音響ではなく、人々の心の奥底に直接沁み通るような、清冽で柔らかな響きであった。
ミラージュはその音色に重なるようにして、会場の様子を観察する。
すると、先ほどまで会場を支配していた悍ましいほどの淫靡な熱気と、招待客たちを襲っていた激しい絶頂の痙攣が、まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で霧散していった。
椅子から崩れ落ちかけていた高官やプロデューサーたちは、その清らかな調べに導かれるようにして、吸い込まれるように元の姿勢へと戻っていく。
(……サキュバスフィールドの「定着」を確認。これで彼らの深層心理には、オリッシュ・ハメルマンへの絶対的な忠誠が完璧に書き込まれました。もはや、外部からの解読は不可能です)
彼らは、自分がたった今「魂を書き換えられた」ことなど微塵も気づいていない。
理性の光を取り戻したかのような瞳には、しかし、深層意識に深く刻み込まれたオリッシュへの親愛と、カナメへの盲信的な崇拝が、完璧な「忠誠心」として偽装され、定着していた。
この天上の調べこそが、洗脳を完了させ、彼らの意識をオリッシュの望む「平穏な隷属」へと繋ぎ止めるための、最後の仕上げ――レディMが授けた非情なトリガーであった。
「……お二人の誓いを、確認いたしました」
ミラージュは自らの感情を完全に排し、凛とした、それでいて深い諦念を帯びた声で言葉を紡ぎ始めた。
「それでは。お二人の誓いを永遠に証明するため、こちらの宣誓書への署名をお願いします」
司式者役を務めるミラージュの、背筋を正したくなるような凛とした声がホールに響く。
彼女の合図とともに、二人の前には淡く発光する、空中に浮遊する電子宣誓書が提示された。
先ほどまでの深く魂を揺さぶるようなキスの余韻が、カナメの全身を心地よい痺れとして駆け巡っている。
女としての至高の悦びに貫かれた彼女の膝は今にも崩れ落ちそうだったが、オリッシュの強靭な腕がその腰をしっかりと抱き寄せ、優しく、かつ支配的に彼女を支えていた。
(……カナメ、大丈夫だ。一生、俺がこうして支えてやるからな……)
オリッシュは、腕の中の彼女が震えているのは、大観衆の前での結婚式に感極まっているからだと思い込んでいた。
その愛おしさに胸を熱くしながら、彼は彼女をより強く抱きしめる。
「ああ。喜んでサインさせてもらうよ。……カナメ、君の分は俺が支えているから、ゆっくりでいい」
オリッシュは力強い言葉をかけ、まずは自らが迷いのない筆致でサインを刻んだ。
オリッシュの体温と、自分を逃さないという意志を感じさせる力強い抱擁。
その安心感の中で、カナメは身も心もすべてを彼に委ね、蕩けるような甘い吐息を漏らす。
「……はい、貴方」
慈しむようなオリッシュの言葉に、カナメは熱い吐息と共に短く応えた。
続いて、彼に支えられたままのカナメがスタイラスペンを手に取る。
潤んだ瞳にオリッシュへの盲目的な愛を宿し、艶然とした微笑みを浮かべた彼女は、もはや一人の「妻」としての悦びだけを込めて、流麗なサインを書き加えた。
その瞬間だった。
宣誓書の上に「婚姻受理:惑星レハーム政府」という金色の刻印が鮮やかに浮かび上がる。
会場の巨大スクリーン、そして銀河全域への配信画面に、法的に二人の婚姻がリアルタイムで受理されたことが大々的に映し出される。
拍手と喝采が、レハームの夜を揺らさんばかりに爆発した。
サキュバスフィールドによって無意識の隷属状態にある招待客たちは、もはや理性を超えた狂信的な歓喜をもって、銀河の新たな支配者たる二人の門出を祝福した。
「さあ、みんな! 幸せのお裾分けよ!」
婚姻受理の熱狂が冷めやらぬ中、カナメは眩いばかりの笑顔を招待客へと向けた。
マーメイドタイプのウェディングドレスが描く、暴力的なまでに美しい曲線美。
そのタイトな布地の下、実はキスの絶頂時にもたらされた潮吹きによって、シルクのショーツはぐっしょりと濡れ、重く肌に吸い付いていた。
だが、カナメはそんな淫らな事実を微塵もおくびにも出さず、気高く、そして艶やかな勝者の余裕を纏って客席に背を向けた。
「……いくわよ! せーのっ!」
凛とした掛け声とともに、カナメがしなやかな腕を振り抜く。
純白の放物線を描いて飛んだブーケは、吸い込まれるように一人の美女の手元へと収まった。
ミランダ・メリン。
ケイオス・アダルト部門の不動のエースであり、かつてカナメに「性愛教則ビデオ」を叩き込み、彼女を奈落へ突き落としたはずの、銀河のトップAV女優である。
花束を胸に抱いた瞬間、ミランダの目からは、とめどなく大粒の涙が溢れ出した。
かつては「敗北した歌姫をこちらの世界へ招き入れてやる」と、残酷なまでの余裕を持って接していた。
業界の支配者として、教え子であったはずの素人を憐れむような優越感さえ抱いていたミランダ。
しかし、今の彼女に、かつての敵愾心や傲慢さは微塵も残っていなかった。
先ほど会場を包み込んだサキュバスフィールドの不可視の波動が、ミランダの精神構造を根底から書き換えていたのだ。
カナメに対するライバル意識や反抗心は跡形もなく消滅し、代わりに湧き上がってきたのは、圧倒的なサキュバス・クィーンに「選ばれた」ことへの、言葉を絶するほどの法悦であった。
(……ああ……ありがとうございます、カナメ様……。私のような者にまで、こんなにも温かな光を……)
自分が教えた小手先のテクニックなど、オリッシュという至高の主(マスター)の手によって開発し尽くされたカナメの「本物」の生命力の前では、あまりに無力で空虚なフェイクに過ぎない。
その残酷なまでの格差を、ミランダは今、身を焦がすような陶酔を伴う「救い」として享受していた。
花束を震える手で抱きしめたミランダは、ステージのカナメに対し、まるで聖母を仰ぐかのような崇拝の眼差しを向け、その場に崩れ落ちるように跪いた。
そこにはもはや銀河のエースAV女優としてのプライドはなく、ただ一人の「雌」として、絶対的な王と王妃の慈悲に咽び泣く、完全なる服従の姿があった。
ブーケトスが終わり、挙式の儀式的なパートはすべて完了となる。
「おっと……ここからは、俺たちの時間だ」
客席で起きた劇的な銀河の支配構造の変化などお構いなしに、オリッシュはカナメを愛おしそうに抱き寄せると、マイクを手に取り、銀河中の視線を一身に受けて最後の一言を放った。
「本日は私たちの門出を見守っていただき、心から感謝する。さて、挨拶はここまでだ。これからの初夜の時間は、誰にも邪魔されずに二人きりで楽しませてもらう。みなさんも、良い夜をお過ごしください」
迷いのない、そして新郎としての喜びに満ちたシンプルな宣言。
オリッシュはそのままカナメを軽々とお姫様抱っこで抱え上げた。
「きゃっ、オリッシュさん……!」
驚きに目を見開くカナメに対し、オリッシュは至近距離で「これからはずっと一緒だ」と囁くように微笑んだ。
そのまま彼は、腕の中の愛しい花嫁を逃さぬよう力強く抱き寄せ、深く、熱い口づけを交わした。
その瞬間、会場のワルキューレメンバー、そして配信を見守る者たちの間に、息を呑むような沈黙が広がった。
「これって……あの日と同じだね……」
マキナが震える声で呟き、目元を覆った。
レイナも無言で俯き、その頬を涙が伝う。
司式を務めるミラージュは、溢れそうになる涙を堪えるように唇を噛み締めた。
お姫様抱っこのまま、愛を確かめ合うように重なる唇。
その構図は、今年の初め、ヘイムダルの争乱の果てに風に召されたフレイア・ヴィオンが、最愛のハヤテと最期に交わした、あの切なくも美しい別れの接吻とあまりにも酷似していた。
遠く離れたウィンダミアの地で画面を見つめていたハヤテ・インメルマンは、震える手で顔を覆った。
脳裏には、結晶化が進みながらも笑っていた少女の横顔が蘇る。
「フレイア……」
独房のアラドもまた、煤けた笑いを止め、その瞳を潤ませていた。
あの日、命を燃やし尽くしたフレイアの姿と、今、新しい生と幸せを掴み取ろうとするカナメの姿が重なり、胸を締め付ける。
重なる唇の向こう側で、カナメもまた、かつての戦友(なかま)のことを想っていた。
(フレイア……見てる? 貴女が命がけで守ったこの銀河で、私は今、こんなに素敵な人と出逢えたよ……)
カナメは目を閉じ、オリッシュの首筋に腕を回してその体温を確かめる。
(私、貴女の分も……貴女が生きられなかった時間の分も、この人と絶対に幸せになってみせるから。だから、見守っていてね!)
心の中でそう強く誓い、彼女はオリッシュの接吻を全身で受け入れた。
万雷の拍手と祝福が吹き荒れる中、ステージ中央の「奈落」がゆっくりと降下を始め、二人の姿はステージの下――輝かしい初夜の舞台への道程に沈み、消えていった。
主役が退場し、静寂が訪れるかと思われたその瞬間。
会場の巨大モニターに、鮮烈なフォントで一つの告知が躍り出た。
『KBモデル:新婚人妻モード(子作り感強化版)データ配布開始』
5月19日の会見でカナメが約束した、ファンへの「誠意」という名の究極の誘惑。
新郎が「みなさんも、良い夜をお過ごしください」と彼女を連れ去ったその直後、銀河中で稼働しているすべての最新式オナホール『KBモデル』に対し、アップデートプログラムの無料ダウンロードが自動的に開始されたのだ。
『人妻となった私が、夫以外の皆様とどのような時間を過ごすのか……。その答えを、どうか当日、ご自身の身体で受け取ってください』
あの日のカナメの艶やかな声が、KBモデルのヘビーユーザーたちの脳裏に蘇る。
本物のカナメがオリッシュの腕の中で甘い声を上げるその裏側で、銀河中の男たちの股間にて、子作りを強く意識した淫らな律動と熱量をトレースした「新婚のカナメ」の感覚が、暴力的なまでの生々しさで共有され始めた。
ダウンロード完了を告げる通知音に理性を奪われた男たちの吐息が、レハームの夜を、そして銀河全域を埋め尽くしていく。
カナメ・バッカニアの独身としての物語は、今、この輝かしい光の中で幕を閉じた。
そして、その直後から始まるのは――銀河の勝者であるオリッシュだけが知る、そして銀河中の男たちが疑似体験の中で貪る、あまりにも激しく、甘美な「初夜」の幕開けであった。
(続く)