目が覚めた瞬間、俺は違和感を覚えた。
騒音がない。生活音が、完璧に整いすぎている。
「……静かすぎだろ」
寝返りを打って、天井を見る。深夜に落としたままの間接照明は消えている。カーテン越しの光からして、もう朝だ。
体を起こし、欠伸を噛み殺しながらリビングへ向かう。
――そこで、止まった。
ソファの中央。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、両手を膝に置いて、2Bが座っていた。
微動だにしない。
視線は正面。
完全に“待機”だ。
「……おはよう」
「おはようございます」
即答。
だが、どこか一拍遅れている。
「……もう起きてたのか?」
「はい。起動状態を維持していました」
「起床、じゃなくて?」
「私にとっては同義です」
なるほど。
そういう認識か。
頭を掻きながらキッチンへ向かい、コーヒーメーカーを起動する。豆を挽く音が、やけに大きく聞こえた。
「……寝たか?」
「待機していました」
「寝てないな、それ」
「必要ありませんでした」
「人間的には必要だ」
「理解しています。ですが、必須ではありません」
「……そうかい」
冷蔵庫を開ける。中身は相変わらず質素だ。
パンと卵。あとは昨日の残りのスープ。
「朝飯、どうする?」
「私は――」
「不要、だろ?」
先回りすると、2Bはわずかに首を傾けた。
「……はい。活動に支障はありません」
「でも、食べられる」
「可能です」
「じゃあ、食う」
「……同行、という意味でしょうか」
「付き合え、って意味だ」
否定は返ってこない。
それが、少しずつ“変わってきている”証拠なんだろう。
トースターにパンを入れ、フライパンで卵を焼く。
2Bの視線は、終始手元に向いていた。
「人間の朝食は、工程が多いですね」
「効率だけで生きてないからな」
「非合理的です」
「そういうもんだ」
テーブルに並べると、2Bは静かに腰を下ろす。昨日より動きが自然だ。
フォークを取る手つきも、迷いが減っている。
「……昨日と同じ摂食を?」
「ああ。違いが分かるかもしれん」
「……記録します」
一口。
表情は変わらない。
だが、ほんの一瞬、フォークが止まる。
「……同一の素材ですが、昨日とは印象が異なります」
「朝はそう感じるもんだ」
「環境要因ですか」
「気分、ってやつもある」
「……定義が曖昧です」
「人間は大体そうだ」
コーヒーを淹れていると、端末が小さくノイズを発した。
一瞬だけ、画面が歪む。
「……ん?」
気のせいかと思い、放置する。
だが、2Bの視線が、テーブルから外れた。
「……周辺環境に、統計的に不自然な要素があります」
「朝から難しいこと言うな」
「事実です」
「どの辺が?」
「通信ノイズ。カメラ映像の欠損率が、通常より0.7%高い」
「誤差だろ」
「……はい。現時点では」
その言い方が、妙に引っかかった。
「現時点、な」
「はい」
窓の外を見る。
通りには、見慣れない車が一台、長く停まっている。誰かが中で端末を操作しているようにも見える。
「……あれか?」
「可能性の一つです」
「考えすぎだ」
「……了解しました」
だが、彼女の視線は外から離れなかった。
「今日の予定は?」
「特にない。
お前は――」
言いかけて、言葉を切る。
“命令”じゃない。
「……どうしたい?」
2Bは少し考えた後、答える。
「あなたの行動に同行します」
「即答だな」
「合理的です」
そう言い切る声は、淡々としている。
だが、昨日までとは違う。
コーヒーを一口飲み、息を吐く。
「……まあ、しばらくは家にいる。
外に出るなら、その時は言う」
「了解しました」
その瞬間、端末が再び小さく震えた。
今度は、はっきりと。
だが俺が確認する前に、2Bが一歩前に出た。
「……ゲンマ」
「どうした?」
「監視対象が、通信を開始しました」
「……は?」
問い返した瞬間、窓の外で車が動き出す。
ゆっくりと、だが迷いなく。
「……追跡、か?」
「断定はできません」
「できない、な」
俺は苦笑し、コーヒーを飲み干した。
「朝っぱらから面倒ごとは勘弁してほしいもんだ」
「……排除しますか?」
「しない」
即答する。
「まずは様子見だ。
ここは戦場じゃない」
「……了解しました」
2Bはそう言って、再び静かに立つ。
だが、その背筋は、確かに“警戒”を帯びていた。
平穏な朝。
だが、影はもう、すぐそこまで来ている。
――そんな予感だけが、静かに部屋に残っていた。