夜明け前の市街地は、奇妙な静けさに包まれていた。
眠りから覚めきらない街灯の光が濡れたアスファルトに滲み、ビルの谷間を抜ける風が、どこか金属臭を含んでいる。人の姿はまばらだが、完全な無人ではない。早朝の配送車、始発を待つ影、遠くでシャッターを上げる音。――だからこそ、ここは戦場に向かない。
「……広がりすぎだな」
俺は低く呟きながら、視線を走らせた。
追跡側は、あからさまな制圧を避け、市街地に溶け込むように展開している。包囲は完成しつつあるが、まだ“閉じ切って”はいない。民間人を盾にする気はないが、巻き込むことも厭わない連中だ。
前方に立つ2Bの背中は、いつも通り静かだった。
だが、その一挙手一投足が、街全体を測っているように見える。
「戦闘効率を下げます」
振り返らずに、彼女は言った。
「……理由は?」
「民間被害を抑制する必要があります。最適解は殲滅ですが、許容できません」
簡潔で、迷いのない判断。
俺は頷き、即座に役割を切り替えた。
「了解。俺は環境を整える」
2Bは前線に出るが、踏み込みは浅い。
剣を振るう角度は、建物の壁面や車両を避けるように調整され、重力制御も抑えられている。通常なら一撃で終わる距離を、あえて二手三手に分ける。敵を倒すのではなく、動線を切り、足を止めるための戦い方だ。
その分、戦闘は長引く。
拘束具が飛び、閃光が走る。俺は後方から遮蔽を展開し、敵の視界と通信を断続的に遮断する。
2Bはそれを前提に動き、俺の作った“隙”を一瞬で利用する。
「右、三。高所」
短く投げると、彼女はわずかに進路を変えた。返事はない。だが、次の瞬間には高架の影から落ちてきた敵が、音もなく地面に沈む。非致死。完全制圧。
――それでも、数が減らない。
敵は時間を使う戦術に切り替えている。
数で押し、疲弊を待つ。市街地という制約が、こちらの足を確実に縛っていた。
2Bの動きに、わずかな遅れが混じり始める。
ほんの数フレーム。だが、俺には分かる。
「……消耗してるな」
「許容範囲です」
返答は即座だ。だが、内部警告を無視しているのも分かる。
俺は歯を噛みしめ、選択肢を並べる。撤退は可能だ。だが、今抜ければ、敵は市街地全体に散る。被害は拡大する。
その時、2Bが一瞬だけこちらを見た。
「提案があります」
「聞く」
「切り札の限定使用を要請します。範囲と時間を制限すれば、被害は抑制可能」
彼女の手には、俺が渡した特殊武装。
重力制御を局所的に解放する、高負荷仕様。使えば戦況は変わる。だが、代償も大きい。
俺は一拍だけ考え、答えた。
「承認する。条件はお前が決めろ」
命令じゃない。合意だ。
2Bは小さく頷き、武装を構えた。
次の瞬間、空間が歪む。重力が“沈む”感覚。解放された力は、敵の進行線だけを正確に捉え、地面ごと押し潰すように制圧した。建物には届かない。人の気配も避けている。
派手ではない。だが、決定的だった。
敵の隊列が崩れ、動きが止まる。
その代わり、2Bの動作が目に見えて重くなる。センサー精度の低下、出力制限。――代償だ。
「……機能制限を確認」
「十分だ。撤退する」
俺は即座に判断し、退路を開いた。
2Bは異議を唱えない。役割を理解し、最後の制圧を入れてから、静かに下がる。
市街地に残ったのは、最小限の痕跡だけだった。
敵は完全には倒れていない。だが、こちらの意図は通じたはずだ。
走りながら、俺は横目で彼女を見る。
無表情のまま、だが確かに“守った”戦いだった。
「……記録します」
2Bが淡々と言った。
「ああ。次に活かそう」