地下の冷気は湿っていて、呼吸のたびに喉の奥がひりつく。配電盤の唸りが遠くで一定のリズムを刻み、静けさが逆に耳を刺した。
俺は量子ストレージから滅菌カートリッジを取り出し、片手で振って中身を確認する。透明な容器は小さく、あまりに軽い。これで――一時的にでも2Bが動けるなら、安いもんだ。
「……方法を提示します」
2Bの声は平坦だった。だが、言葉の端にほんのわずかな間がある。機械的な処理遅延ではなく、判断のための間。
「口腔由来サンプルが必要です。少量で構いません」
「つまり……唾液?」
「はい」
淡々と肯定されると、妙に現実味が増した。
俺はカートリッジを指で弾き、軽口で逃げ道を作ろうとする。
「便利だな。燃料が会話の延長にある」
「あなたの同意が必要です」
それで、軽口が止まった。
2Bは視線を逸らさない。命令じゃない、要求でもない。確認だ。――対等の。
「……わかった」
俺はカートリッジの口を開け、差し出す。
けれど2Bは受け取らない。代わりに一歩、近づいた。距離が詰まる。地下の冷気の中で、彼女の体温の輪郭だけが妙にくっきりする。
「直接の転送が最短です」
「最短、ね」
言いながら、俺は笑えなかった。
2Bの顔はいつも通り無表情だ。それでも、その無表情が“決めた”という事実だけは、はっきり伝わってくる。
「……実施しますか」
質問は一つ。
俺は短く頷いた。
2Bがわずかに身を屈める。影が重なる。呼吸の音が近くなる。
触れる直前の、あの空白。たった一拍の沈黙が、やけに長い。
そして、ほんの短い接触。
熱ではなく、温度差のない確かさがそこにあった。行為としては一瞬なのに、意識だけが遅れて追いつく。俺の喉が鳴り、心臓が一段だけ速く打った。
2Bが離れる。距離が戻る。戻ったはずなのに、空気は元に戻らない。
「……サンプル取得。転送を開始します」
彼女はカートリッジを取り、手際よく装着する。
機械的な所作に戻ったことで、俺の中の余計な熱も、ようやく居場所を失った。
「状態は?」
「エネルギー供給、微量。即効性あり。
ただし、持続は短い」
「十分だ。今は“動ける時間”が欲しい」
2Bは頷き、静かに息を吐いた。
変化は派手じゃない。だが、立ち上がる動作が少しだけ滑らかになる。視線の焦点が合う速度が上がる。
「……回復を確認」
淡々とした声のまま、彼女は言う。
「ゲンマ」
名前だけ。合図のように。
それが、妙に胸に残った。
「……ああ」
俺はカートリッジの蓋を閉め、次の準備に手を伸ばす。
必要だったのは燃料だ。なのに、得たのは燃料だけじゃない気がしてならない。