証拠は、刃物みたいなものだ。
握りしめれば頼もしいが、振り回せば自分の手も切る。――だから、使うなら一度きり。深呼吸して、狙いを定めてからだ。
廃区画の端、崩れた看板の影で膝をつき、端末を開く。回収班の署名、部隊ID、短い音声断片。どれも軽いデータだが、重さは別物だ。これを通せば、敵の腹に手を突っ込める。失敗すれば、俺たちの位置は“確定”する。
背後で、2Bが壁にもたれている。歩幅を抑え、呼吸を一定に保つ姿勢。見た目はいつも通りだが、分かる。出力は底を擦っている。彼女はそれを言い訳にしない。ただ事実として、淡々と受け入れる。
「時間は?」
聞きながら、俺は自分の声の低さに気づく。余計な感情を落とすための、無意識の調整だ。
「最大、四十秒です。
それ以上の高負荷は推奨されません」
短い返答。余白のない言い切り。
――四十秒。十分だ、と言えば嘘になる。だが、足りないと言っても始まらない。
「上出来だ」
俺は逆鍵を端末に差し込む。金属が触れる感触が、やけに現実的だ。これが折れたら、次はない。
呼吸を整える。敵は賢い。だからこそ、“正規”を装えば動く。回収班の署名で、回収班の言葉を流す。嘘は短く、欲張らない。
トリガーを引く。
回線が一拍、重くなる。――通れ。
『回収班各位。
座標E-17にて補給源再捕捉。
最優先で集合、確保』
送信完了。
心臓が、遅れて跳ねた。
数秒。空気が変わる。
さっきまで四方に散っていた“視線”が、一本の矢になって引き抜かれる。足音が遠ざかる。包囲が、ほどける。
「……分散を確認」
2Bの声は静かだが、確信がある。
俺は、ようやく息を吐いた。
「今だ。抜ける」
戦う必要はない。勝ち筋は、もう引いた。
煙幕を最小で焚き、反射材を剥がす。目を外すだけでいい。2Bは走らない。走らせない。触れた相手だけを、触れた瞬間に落とす――いや、今回は触れない。戦わないことが最短だ。
角を二つ曲がったところで、端末が震えた。
警告。学習開始。――さすがに早い。
『命令偽装を確認』
『署名の異常を検出』
『集合命令、破棄』
口の端が、自然と上がる。
遅い。もう、俺たちはそこにいない。
「残り、十秒」
「足りる」
最後のシャッターを抜ける。外気。雨音。雑音が増える。追跡の精度が落ちる。
背後で、遅れて火力が鳴った。さっきまで俺たちがいた場所だ。包囲は“空”を殴った。
安全圏に入ったところで、2Bが小さく息を吐いた。
ほんの一瞬。誰にも見せない、解放の兆し。
「……成功です」
「成功だ」
喜びは短くていい。
端末に、最後の通信が割り込む。低く、落ち着いた声。
『よくやった』
《ヴァルケン》。
嫌になるほど、冷静だ。
『一度きりだ。次は通らない』
「分かってる」
『補給前排除に切り替える。
君たちに、次の“隙”はない』
通信が切れる。
雨音だけが残る。
俺は端末を閉じ、逆鍵をポケットに戻した。
折れた刃は、もう振らない。だが、切り口は残った。それで十分だ。
「主導権は?」
「現在、こちらにあります。
ただし、短時間です」
「上等だ」
歩き出す。次の盤面へ。
彼女の歩幅に合わせて、俺も速度を落とす。今は、それが一番の最適解だ。