※この作品はR-18です。

ゴエティア・●ックス   作:ボルメテウスさん

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調達屋と探偵 Ⅲ

敵の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなるまで数十秒。

アリシアはようやく僕の胸から離れた。だが急にどかっと距離を取るのではなく、

一拍遅れて、少し名残惜しそうに──いや、警戒が解けただけかもしれないが──

そっと身体を引いた。

 

「……はぁ。危なかった」

 

額についた濡れ髪をかき上げる彼女の指先はかすかに震えていた。

恐怖というより、緊迫の余韻がまだ身体に残っているのだろう。

 

僕はコートの袖を軽く払って答えた。

 

「助かったのは互い様だよ。君の判断が一秒遅れていたら、僕ら二人とも蜂の巣だった」

 

「……自覚はあるわ。ありがとう、とは言わないけど」

 

口調は素っ気ないが、胸元へそっと触れる仕草は、さっきの密着のせいで乱れた服を整えていた。

その乱れ具合が妙に色気を帯びていて、雨のしずくが鎖骨を伝うのが目に入る。

 

(……見ない方が負けた気がするな)

 

「さて。“安全圏”まで移動しようか。ここじゃ雨も敵も多すぎる」

 

「安全圏……って、どこに?」

 

僕は指を鳴らした。量子ストレージからミニホログラムを開く。

 

「ここ。廃工場脇の資材コンテナ。あの中だけ電磁ロックを解除済みさ」

 

「……もしかして最初からここへ誘導するつもりだった?」

 

「もちろん。君が僕を信用しないことも計算のうちでね」

 

アリシアは呆れたようにため息をつき、

 

「ほんと、腹立つくらい便利ね。あなたって」

 

と、ぼそりと漏らした。

 

二人でコンテナへ入ると、外よりも雨音が強く響いた。

屋根を叩く雨粒が途切れなく続き、薄い鉄の壁が反響の箱のようになる。

 

「……落ち着くわね、意外と」

 

アリシアは濡れた髪を大雑把に払い、コンテナの端に腰を下ろした。

ライトに照らされた彼女の横顔には、いつもの強さだけでなく、疲労と安堵が混ざっていた。

 

僕はデータパネルを壁に映し、作戦内容を表示する。

 

「ここから本題に入る。

 君の“親友の父”──カレンの父親が消えた件だが、どうも普通の失踪じゃない」

 

「……わかってる。研究資料を狙われてた。あれを使えば……」

 

アリシアの声はわずかに震えた。その震えは恐怖ではなく、怒りだ。

 

「だからこそ、あなたを“利用”するの。

 裏の動きに関しては、あなた以上に動ける人間はいない……悔しいけど」

 

「おや、褒め言葉かな? それとも嫌味かな?」

 

「両方よ。……でも」

 

雨音のリズムが変わり、コンテナの外で強い風が吹いた。

一瞬だけ空気が揺れたように感じたその瞬間──

アリシアが視線を上げ、少しだけ口元を緩める。

 

「……さっき助けてくれたのは本当。

 あれがなかったら私は今、捕まってた」

 

「礼はいらないさ。君が無事でいてくれたほうが、僕の仕事はやりやすい」

 

「ええ、そうね……あなたが裏切らない限りは」

 

ピリッとした針のような言葉。

だがその目は、さっきより明らかに柔らかい。

 

(信用の“端っこ”くらいは掴めたか)

 

僕はパネルを切り替え、一枚の地図を映し出した。

 

「次はここだ。カレンの父が最後にアクセスした研究端末。

 そのログに“共犯者”の痕跡があった。……奴はまだ動いている」

 

アリシアが目を細める。青い瞳が鋭く光る。

 

「共犯者……あなた、名前を知ってるの?」

 

「まだ確証はないがね。だが君の力と、僕の“裏回線”が揃えば数時間で割れる」

 

「……その言い方、少しだけ頼もしいわ」

 

雨音に混ざって、彼女の声がふっと柔らかくなる。

密着して息が触れ合ったあのときよりも、

ずっと自然に……距離が近い。

 

「じゃあ行くわよ、ゲンマ。

 カレンのために、そしてこの街のために」

 

「もちろん。僕は僕のやり方で君をサポートする。

 そして……」

 

僕は彼女の視線を真っ直ぐ見返した。

 

「──次は君が僕を信じる番だ」

 

アリシアの頬がわずかに赤く染まった。

 

「……考えておくわ。少しだけ、ね」

 

外で雷鳴が轟く。

 

資材コンテナを出ると、雨脚はさらに強まっていた。

街灯の光が雨粒を白く散らし、路地全体がぼんやりと滲んで見える。

 

アリシアはフードを深くかぶりながら、小さく息をつく。

 

「最悪……。こんな天気、走るには向かない」

 

「君は髪が濡れるのを嫌がるタイプかと思ってたんだけど」

 

「嫌いよ。冷えるし、視界が悪くなるし……

 でも今は文句を言ってる暇もないでしょ」

 

そう言いながらも、一歩動いたアリシアの足取りは重かった。

濡れた路面でバランスを崩したのか、ほんの一瞬だけ身体が傾ぐ。

 

「っと──危ない」

 

僕は反射的に腕を伸ばし、アリシアの腰を支えた。

想像よりも軽い。

細いウエストを掴んだ指に、緊張で硬直した筋肉の動きが伝わる。

 

「……っと、と。ごめん」

 

「……大丈夫。ありが──」

 

アリシアは言葉を途中で飲み込み、

代わりに僕の手を自分の腰からそっと外した。

 

だが外す動作が優しい。

拒絶ではなく、ただ「少し照れている」ような空気が残った。

 

「……行きましょ」

 

「了解。だが足元には気をつけて」

 

「あなたに言われたくないわ」

 

口では強気だが、その言い方には温度がある。

警戒よりも、信頼の方が勝ち始めていた。

 

建物の屋根を伝って落ちる雨水が、細い川のように道を流れている。

アリシアはそれを避けようとしたが、また足を滑らせそうになり──

 

今度は自分から僕の腕を掴んできた。

 

「滑る……。ちょっとだけ、支えて」

 

「任せて」

 

「……勘違いしないでよね。

 あなたが転ぶと私まで巻き込まれるから、その、予防よ」

 

「はいはい、了解、予防ね」

 

軽口を返すと、アリシアはほんの少しだけ唇を尖らせた。

その表情が雨に濡れて、街灯の光で柔らかく輝く。

 

歩くたびに、彼女の肩が僕の腕に触れる。

濡れた衣服越しでも体温が感じられ、

互いの距離が、ほんの数センチずつ縮まっていく。

 

(……こんなに近づく日が来るとはね)

 

「ゲンマ」

 

「ん?」

 

「さっきの……その、胸に触れてた時の心拍の話だけど」

 

「まだ根に持ってるの?」

 

「違うわよ。……あれは、その……

 こっちまで変な鼓動になりそうだったから、やめてほしいってこと」

 

雨音でかき消されるほど小さな声だった。

けれど確かに、照れと本音が混ざっていた。

 

「了解。じゃあ次は君が落ち着くまで、ちゃんと支えるよ」

 

「べ、別に……落ち着いてないわけじゃ……!」

 

アリシアがむっとしたように僕の腕を軽く小突いた。

だがそのまま、手だけは離さない。

 

狭い路地を抜けて、雨のカーテンをくぐるたびに、

二人の距離は自然に、確実に縮まっていった。

 

街の中央を抜ける大きなアーチの影に入ると、雨が一時的に和らぐ。

アリシアはフードを外し、濡れた髪を指で梳きながら小さくつぶやいた。

 

「……ゲンマ」

 

「どうした?」

 

「あなたと移動するの、前より……悪くない」

 

その言葉は、雨上がりの匂いのように静かに心へ落ちた。

 

「光栄だよ、アリシア」

 

「うるさい。……次は走るから、遅れないで」

 

口では強がるが、

僕の手首を掴む力は、さっきより僅かに強い。

 

ふたりは再び駆け出した。

濡れた手と手が離れないまま、

雨の街へと一直線に。

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