※この作品はR-18です。

ゴエティア・●ックス   作:ボルメテウスさん

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実験 Ⅱ

路地を抜けて、錆びた階段を上がる。

踏み板が一段ごとに軋んだ。油が切れた匂い。遠くで電車が擦れる音がした。

 

紅莉栖は俺の半歩後ろを歩いている。白衣の裾が手すりに触れるたび、かすかな布の音が混じった。歩幅は小さいのに、遅れない。研究者ってやつは、案外足取りが一定だ。

 

「で」

階段の踊り場で立ち止まる。振り返らないまま言う。「材料は分かった。問題は用途だ」

 

白衣が揺れた。

紅莉栖が少しだけ顔を上げる気配。

 

「用途を聞いて、断る可能性は?」

 

「ある」

即答した。「俺は次に繋がらない仕事はやらねえ」

 

一拍、間が落ちる。

空調の風が吹き抜けて、紙片が足元を転がった。

 

「……タイムマシン」

紅莉栖が言った。

 

思わず足が止まった。

階段の金属が、ぎし、と鳴る。

 

「は?」

 

声が漏れたのは久しぶりだった。

軽口じゃない。素で出た声。

 

紅莉栖は表情を変えない。ただ視線だけが真っ直ぐ来る。

 

「正確には、理論の再現実験」

短く続ける。「でも、呼び名はそれでいい」

 

乾いた笑いが出かけて、止まった。

冗談に聞こえない顔をしてやがる。

 

「……やれやれ」

額を掻く。指先に鉄の粉のざらつきが残った。「随分とデカい花火だな」

 

「驚いた?」

 

「そりゃな。普通は“兵器”とか“義体強化”とか言い出すところだ」

踊り場の窓から外を見る。曇ったガラスに街の光が滲んでいた。「時間かよ」

 

紅莉栖は答えない。

代わりに、袋を軽く指で叩いた。カサ、と小さな音。

 

「理論はある」

 

ぽつりと落ちる。

 

「でも、この都市じゃ机の上じゃ足りない」

 

言葉は短いのに、重さだけが残る。

無茶を言ってる顔じゃない。試験管を置くみたいな冷静さだ。

 

俺は息を吐いた。

胸の奥に、妙な引っかかりが残る。時間。巻き戻し。……選択肢。

 

「成功したら、何が変わる」

 

「分からない」

 

紅莉栖は迷わない。

 

「だから試す」

 

その一言で、背筋が冷えた。

危険なのは装置じゃない。踏み込む覚悟の方だ。

 

「……あんた、面倒なタイプだな」

 

「今さら?」

わずかに口角が上がる。

 

「依頼を受けた時点で、もう巻き込まれてる」

 

階段を上がりきる。

鉄扉を押すと、夜風が一気に入ってきた。屋上。ネオンが低く瞬いて、街の輪郭がぼやけて見える。

 

俺はフェンスに寄りかかった。

指でポケットの中の袋を転がす。軽い。軽いのに、妙に重い。

 

「……時間、ね」

 

つぶやきが漏れる。

紅莉栖は黙って隣に立った。風で髪が揺れる。視線は街の向こう。

 

「信じない?」

 

「信じるとかじゃねえ」

首を振る。「信じたら、戻れなくなる気がする」

 

紅莉栖は何も言わない。

ただ、指先で白衣の袖口を整えた。癖なんだろう。

 

少しの沈黙。

ネオンの反射が、ガラス壁に細く流れる。

 

「……協力者はいるの?」

 

紅莉栖が聞いた。

 

「いるかもしれねえな」

口元だけで笑う。

 

「電脳に強いやつが一人」

 

名前は出さない。

でも頭の中には、静かに目を閉じる女の姿が浮かんでいた。

 

アリシア。

 

理屈を嫌うわけじゃない。だが、この都市で“時間”をいじるなら、回線の目を誤魔化す奴が必要だ。

紅莉栖の理論と、あいつの処理。……相性は悪くない。たぶんな。

 

「紹介してくれるの?」

紅莉栖の声が少しだけ近い。

 

「まだ決めてねえ」

正直に言う。「だが、気にはなる。あんたの“装置”も、あんた自身もな」

 

風が吹き抜けた。

屋上の看板が揺れ、金属音が夜に溶ける。

 

紅莉栖が小さく息を吐いた。

 

「……なら、次は実験室で話しましょう」

少しだけ声が柔らかい。「三分じゃ足りないから」

 

俺は肩をすくめる。

 

「延長料金、高いぞ」

 

「払うわ」

即答だった。

 

夜の街を見下ろしながら、ポケットの中の袋を握る。

時間なんて、触ったこともないものに手を伸ばす。……厄介だ。だが、面白くもある。

 

アリシアに声をかけるか。

そう考えた瞬間、胸の奥で何かが小さく軋んだ。

 

まだ、戻れる場所にいるのか。

それとも、もう一歩踏み出してるのか。

 

風が冷たくなってきた。

俺はフェンスから背を離し、歩き出す。

 

「行くぞ、博士」

振り向かずに言った。「材料集めは、明日からだ」

 

白衣の裾が、静かに夜を切った。

 

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