ハンドル越しに見えるネオンが、細長く歪んで流れていく。
夜の街はいつもより静かだった。静かすぎると、逆に落ち着かない。
後部座席。
白衣と黒い影。
バックミラー越しに二人を見る。
理屈で空気を切り裂く女と、感情を切り捨てた兵器。……妙な組み合わせだ。
しばらく誰も話さない。
振動だけが伝わる。
タイヤが継ぎ目を踏むたび、微かに車体が揺れた。
「……」
紅莉栖が動いた。
隣を覗き込む。距離の詰め方が、研究者のそれだ。遠慮がない。
「あなた」
静かな声。「その装甲、表面処理が異常に滑らかね」
……始まったな、と内心で苦笑する。
2Bは前を向いたまま。
「……」
数秒。
「問題ありません」
短い。
あいつらしい返答だ。
紅莉栖の眉がわずかに寄る。
「問題があるかどうかは聞いてないわ。構造を見てるの」
バックミラー越しに、白衣が揺れる。
興味を持った時の顔だ。理屈の匂いを嗅ぎつけた猫みたいな目。
信号待ち。
赤い光が車内を染める。
紅莉栖がさらに近づく。
「……自己修復?」
小さく呟く。「違う。可動域が制限されてるのに、動作が滑らか……」
正直、俺には分からん。
だが、紅莉栖の声のトーンが少し上がったのは分かった。
2Bがわずかに視線を動かす。
「解析は許可されていません」
相変わらず無駄がない。
だが拒絶でもない。……線を引いてるだけだ。
「触ってないわよ」
紅莉栖が即答する。「見てるだけ」
車が動き出す。
ネオンがまた流れ始めた。
「未知の技術ね」
紅莉栖が続ける。「完全義体でも、生体でもない……中間構造?」
……さすがに食いつきすぎだろ。
助手席にいないのが不思議なくらいだ。
2Bは黙る。
車内に、低いエンジン音だけが残る。
「……あなたは研究者ですか」
突然、2Bが言った。
俺は少しだけ目を見開いた。
あいつから会話を振るのは珍しい。
紅莉栖が止まる。
「ええ。脳科学。でも理論物理も触る」
「目的は」
短い質問。
……尋問みたいだな。
紅莉栖は窓を見る。
流れる光が眼鏡に映る。
「知りたいだけよ」
息を吐く。「理解できない構造を見ると、放っておけないの」
その言い方、少しだけ分かる気がした。
俺だって、危ない案件ほど手を出したくなる。
2Bは黙る。
数秒。
長い沈黙。
「……あなたの技術」
紅莉栖が続ける。「設計思想が違う。効率じゃない。任務優先?」
「了解」
……いや、質問じゃないだろ。
思わず口元が緩む。
「質問じゃない」
「……訂正。任務遂行が最優先です」
その言い直しに、紅莉栖の口元が少しだけ緩んだ。
「やっぱりね」
静かな声。
車がカーブに入る。
遠心力で二人の影が少し揺れた。
「タイムマシンの理論、興味ある?」
紅莉栖が言った。
……おいおい。
今ここでそれ振るか。
2Bはすぐには答えない。
信号が赤に変わる。
「……任務に必要なら」
予想通りの答え。
だが、完全な拒否でもない。
紅莉栖が小さく笑う。
「らしいわね。でもあなたなら理解できる気がするの。時間を“計測”する側だから」
バックミラー越しに、2Bのゴーグルがほんの少し向いたのが見えた。
「……評価不能」
短い言葉。
それでも、空気が少し変わった気がした。
紅莉栖が背もたれに寄りかかる。
「ま、いいわ。解析は後で」
車内がまた静かになる。
……妙だ。
さっきまで噛み合わない二人だったのに、今は言葉が少ない分だけ、距離が近い。
2Bが小さく言った。
「……興味は、理解可能です」
思わず目を細めた。
あいつが“興味”なんて単語を使うのは、珍しい。
紅莉栖が一瞬だけ目を丸くする。
「へぇ」
小さく笑う。「あなた、案外話せるのね」
返事はない。
だが、車内の空気が少しだけ軽くなった。
俺はハンドルを握り直す。
……やれやれ。
理論と兵器が、静かに会話してる。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいだ。
ネオンがフロントガラスを横切った。
次の目的地まで、あと少し。