アリシアは倉庫の壁にもたれかかったまま、すっと目を閉じた。
本当にただ、それだけだ。端末も線も、光るギミックも何一つない。俺の知る“ハッキング”のどれとも結びつかない静けさだけがそこにある。
(……え、これで調査してんのか?)
最初は本気で居眠りでも始めたのかと思った。だが次第に違和感が出てくる。呼吸は一定なのに、彼女の周囲だけ空気が張りつめていく。まるで目に見えない高速演算が凝縮していくような、説明できない“圧”だけが漂っていた。
「……終わったわ」
目を開けたアリシアは、淡々とした声で言った。
「あなたのデータ、欠損四十三箇所。そのうち三十二は再構築済み。内部動線と警備パターンはこう。あなたが想定していた父親の居場所も──ここで間違いない」
彼女が軽く空中を指差した位置。
俺が頭の中で絞り出した候補の“最も正解に近い一点”と、完璧に一致していた。
「……は? なんで分かるんだよ。機材どころか、何も触ってねぇだろ」
「うん。私の電脳は外部を必要としないの。入力さえあれば、あとは内部で繋がるわ」
本当に当たり前のように言うんだ。
思わず、喉の奥がひゅっと鳴った。
(……マジかよ。こいつ、本物の化け物だ)
けれど、同時に背筋がぞくりとする安心感もあった。
この“電脳魔導師”が味方でよかったと、俺は心から思った。
「……潜入に必要なものを整理するわね」
アリシアが腕を組み、淡々と告げた。
さっきまで俺の情報を一瞬で解析した“電脳魔導師”とは思えないほど、珍しく迷っている気配があった。
「まずは静音ドリル。次に中距離用の光学ジャマー。それと……三時間以内に入手できるかは微妙だけど、予備の量子ロック解除キーが欲しいわね」
(あー……やっぱそう来るか)
俺は内心で苦笑しつつ、膝を軽く叩く。
「了解。じゃあ──」
アリシアが言い終える前に、俺は量子ストレージへアクセスし、右手を空中にかざした。
空間がわずかに歪み、銀色のツールケースが“押し出される”ように出現する。
「まず静音ドリル。型番はこれでいいか?」
「……は?」
彼女が瞬きした瞬間には、俺はもう次のケースを開けていた。
「光学ジャマーは二種類ある。可視光遮断と広域干渉。どっちも持ってきてるけど?」
「ちょ、待って。なんで全部──」
さらに量子ゲートを開き、俺は掌ほどの黒いデバイスを取り出した。
「それと量子ロック解除キー。予備は三本ある」
アリシアの口が、珍しく言葉を失ったように半開きになる。
静寂。
そして──
「……ねぇゲンマ」
「ん?」
「あなたのストレージ、まさか異空間直結なの? それとも、未来から物資を引っ張ってきてるの?」
「企業秘密だ」
「はぁ……。私が数時間かけて集めようとした物を、秒で全部出してくるなんて……」
アリシアはため息をつき、けれどその口元はわずかに緩んでいた。
「……いいわ。認める。あなたも立派な《化け物》ね」
「お互い様だろ?」
アリシアは肩をすくめ、微笑とも皮肉ともつかない表情で呟いた。
「ええ、そうね。──本当に、扱いづらいわ」
「……本当に扱いづらいわ、あなた」
アリシアがそう言いながらも、口元にうっすら笑みを浮かべているのがわかった。いつもなら無表情で押し通す彼女が、だ。
「お前に言われたくないな。こっちは目ぇ閉じて三秒で施設の全構造割り出す女に振り回されてんだぞ」
「三秒じゃないわ。二・八秒よ」
「誤差の範囲だろ」
「いえ、誤差じゃないわ」
相変わらず話が通じるんだか通じないんだか分からない性格だけど──
気づけば、軽口を叩く距離感が自然になっていた。
アリシアは用意した道具の山を見下ろし、ふっと小さく息を吐く。
「でも……正直、助かった。これだけの装備、普通なら一日仕事よ」
「だろ? 俺のストレージは伊達じゃない」
「私の電脳も、ね」
そこでアリシアが俺を真正面から見た。
普段は冷たい光の宿る瞳に、わずかな興味と──認める色があった。
「情報を一瞬で揃える私と、必要な道具を即座に出すあなた。……こうして見ると、ちょっと面白い組み合わせね」
「つまり?」
「つまり──最強の相棒、ってことよ」
彼女は淡々と言ったはずなのに、どこか照れ隠しみたいな響きが混ざっていた。
「へぇ。アリシアにそこまで言わせるなんて、俺も大したもんだな」
「調子に乗らないで。……でも、認めるわ。私ひとりじゃ、ここまで早くは進めなかった」
そう言って、彼女は道具の袋を肩にかける。
「行くわよ、ゲンマ。──最強コンビの実力、見せてあげましょう」
「おう。任せとけ」
雨上がりの空気を切り裂くように、俺たちは暗い街へと歩き出した。