外気が肺に刺さる。
倉庫の扉を背に、足を止めた。
ネオンが揺れ、濡れた地面が薄く光る。
背後ではまだ、気配が重なっている。二つ分の視線が、扉越しにこちらを測っている。追っては来ない。来ないのは余裕か、誘いか。どちらでも構わない。今は外だ。外なら盤面は少し広い。
車のドアを開ける。
紅莉栖が顔を上げた。
「声、重なってたわね」
短い断定。
説明はない。
「順番が逆転した」
俺はハンドルに触れたまま言う。「高い方が先に出た」
紅莉栖の指が端末を滑る。
画面の波形が細かく跳ねる。光が彼女の横顔を切り取る。蛍光灯のノイズとは違う揺れ。ほんの半拍の遅延が、二本並んでいる。重ねて一つに聞かせるつもりだったのか、それとも一人を演じきれなかったのか。どちらにしても、雑だ。雑な演技は、焦りの裏返しだ。
「二人」
紅莉栖が言う。「少なくとも」
「梁の上にもいた」
短く返す。
後部座席で、2Bが視線を上げた。
白いゴーグルが、倉庫の屋根を測る。
「三方向」
低い声。「地上、梁上、外周」
「外周?」
俺は振り向かない。
「気配」
それだけ。
風が強くなる。
フェンスの隙間を抜ける音が、一定の間隔で揺れる。ネオンが点滅し、影が伸びる。倉庫の横手、積まれたコンテナの間に、ほんの一瞬だけ黒い縁が動いた。見間違いでもいい。見間違いを許すほど、今は余裕がない。
端末が震える。
「さぁて」
アリシアの声が滑り込む。「舞台の幕は、まだ降りてないわよ?」
「観客は三人以上だ」
俺は言う。
「四人目もいるかもね」
軽い声。だが早い。「屋根の反射、拾ってる。こっちの回線にもノイズが混じるわ」
紅莉栖が視線を落とす。
波形がわずかに歪む。
「誘導してる」
彼女が言う。「撤退させたい」
「追わない理由は?」
俺はアクセルに足を置いたまま、踏まない。
「ここで動かすため」
紅莉栖の声は平らだ。「品は囮。本命は別」
後部座席で、布擦れの音。
2Bがわずかに体勢を変える。
「移動」
短い提案。
倉庫の扉が、きしんだ。
内側で何かが動く音。足音が、今度は揃っている。演技をやめた音だ。
「選ぶ」
俺は言う。
ネオンがまた瞬く。
水たまりに、倉庫の影が二重に映る。
「ここでやるか、連れ出すか」
ハンドルを切る角度を決める。「どっちだ」
紅莉栖が窓の外を見る。
視線が鋭い。
「連れ出して」
短い。
「了解」
2Bの声が重なる。
通信の向こうで、アリシアが笑った。
「脚本、変えるわよ。次はこっちの番」
アクセルを踏む。
車が滑り出す。
バックミラーの中で、倉庫の影が動いた。
今度は、隠さない。
三つ。
いや――四つ。