※この作品はR-18です。

ゴエティア・●ックス   作:ボルメテウスさん

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実験 Ⅸ

港湾区の夜は、昼の騒音を飲み込んだあとにだけ残る奇妙な静けさがある。

海風がコンテナの隙間を通り抜け、錆びた鉄の匂いを運んでくる。その匂いは、どこか古い機械の内側に潜んでいる油の匂いに似ていた。俺は車のハンドルに腕を預けながら、フロントガラス越しに倉庫の灯りを見ていた。遠くから見ればただの倉庫だ。だが、こうして眺めていると、建物そのものが息を潜めているようにも見える。

 

「ここが最後の場所なの?」

紅莉栖が助手席で端末を閉じながら言った。声は静かだが、どこか確信めいた硬さがある。

 

「そういう話だ。だが噂は風と同じで、向きが変わる」

俺は肩をすくめる。港の夜はいつも湿っていて、言葉もどこか重くなる。

 

後部座席で、2Bがゆっくりと窓の外を見た。

彼女の姿勢は相変わらず整いすぎている。まるで戦闘という概念そのものを体現しているようで、隙がない。

 

「対象施設の動きは通常範囲内です」

淡々とした声が、静かな車内に落ちる。

 

「通常って言葉ほど、信用できないものもないわ」

紅莉栖は薄く笑った。「科学でも街でもね」

 

その言葉は軽いのに、妙に重さが残る。

俺はエンジンを切った。音が止まると、世界が急に広くなる。遠くのクレーンの軋み、海の低い呼吸、そして倉庫の奥から漂う気配。

 

違和感は、小石みたいなものだ。

最初は靴の中で転がる程度でも、歩き続ければ確実に痛みに変わる。

 

「俺が行く」

ドアを開けながら言う。「交渉は慣れてる」

 

「慣れているから信用できるわけじゃないわ」

紅莉栖が肩を寄せてくる。「むしろ逆でしょう」

 

「そういう評価は嫌いじゃない」

笑いながら倉庫へ歩き出す。

 

鉄扉を押すと、倉庫の中は薄暗かった。

蛍光灯の光が床の水たまりに反射して、天井の梁が歪んで見える。世界が少しだけ曲がっているみたいだった。

 

「遅かったな」

暗がりから声がした。

 

影の奥から、男が歩み出る。帽子のつばが深く、顔の半分が隠れている。

 

「待たせたか?」

俺はゆっくり歩きながら言う。「品はあるんだろう」

 

男は笑った。

その笑い声が、ほんの少し遅れてもう一度響く。

 

胸の奥で、小さな警鐘が鳴る。

 

「あるとも。だが条件がある」

男は指を鳴らす。「その装置、誰のために使う」

 

「客のためだ。商売だからな」

言葉を軽くする。「深い意味はない」

 

「そうか?」

男は首を傾ける。「白衣の女のためじゃないのか」

 

その一言で、空気が変わった。

誰かがこちらの事情を知っている。つまり、この取引は最初から表の顔をしていない。

 

「噂話は嫌いだ」

俺は言う。「値段の話をしよう」

 

その瞬間、梁の上で何かが動いた。

金属の擦れる音。

 

「二人いるな」

口の中で呟く。

 

男の笑いが止まる。

 

次の瞬間、影が落ちた。

梁の上から人影が降りてくる。

 

銃声が倉庫の空気を裂く。

 

体が先に動く。

床を蹴り、横に転がる。弾丸が水たまりを弾き、冷たい飛沫が頬を打った。

 

「取引は中止だ」

俺は低く言う。「脚本が荒すぎる」

 

梁の影の男が撃ち続ける。

その動きには焦りがある。計画はあったが、予定は崩れた。

 

その瞬間、倉庫の扉が開いた。

 

黒い影が滑り込む。

 

2Bだった。

 

剣が一閃する。

空気が裂ける音が、銃声よりも鋭く響く。

 

戦闘は長く続かなかった。

技術の差でも、力の差でもない。ただ、決断の速さが違った。

 

男たちは逃げる。

倉庫の奥へ消えていく。

 

静けさが戻る。

 

紅莉栖がゆっくり歩いてきた。

 

「ケースは?」

彼女が言う。

 

床に置かれた白いケースを開く。

 

中は空だった。

 

「やっぱりね」

紅莉栖が言う。「本命は別」

 

俺は息を吐く。

胸の奥で、何かが形を変えている。

 

これはただの取引じゃない。

時間を作る装置を追うということは、世界の裏側を歩くことだ。

 

それでも、歩くしかない。

 

「次の場所は?」

俺は聞く。

 

紅莉栖が端末を開く。

 

「あと一つ」

彼女は言う。「材料が」

 

倉庫の外で、海風が強く吹いた。

 

俺は空のケースを閉じながら思う。

この夜は、まだ終わらない。

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