――今年の冬はとかく寒い。
駅前の街路樹の陰に設置されたベンチに座って、眼の前を過ぎてゆく人混みと冬の空を眺めながら、普夫はそんな事をぼんやりと考えていた。
数ヶ月前の夏の季節は酷暑と言われていたが、回る手のひらかスイッチのようにあっさりと切り替わるのだから、季節というやつは人間に優しくない。
日本の季節らしいといえば季節らしいが。
北風に頬を撫でられる。
普夫は顔をしかめてジャケットの襟を頬を隠すように前に引き寄せた。
ちらと左手首の腕時計を見たところ、約束の時間にはやや早い。
「少し早くきすぎたか」
ぼやき、いっそ、駅ビルの中か地下街を待ち合わせ場所にすべきだったかと後悔する。
まあ「寒いから待ち合わせ場所変えますね」とメールするのも、なんとなく憚られるのでしないが。
(前世じゃどうだったかな)
脳裏の隅にある古い本棚から引っ張り出す。
似たようなことがなかったか、記憶の本をめくる。
思い当たる記憶を思い出して、顔をしかめた。
体感ではもう二十年以上前のことだが。
(あの時はLifeのコンベンション参加だったか)
当時、今とは逆に夏の炎天下で入り浸ったカードショップの顔なじみ達を待っていたっけ。
その顔なじみ達は、自分を待たずに早々にその近くの喫茶店に入って、窓際席でコーヒーをしばいていたれど。
(んで、後で来た
その後、気付くのに二十分かかったのを指さしてゲラゲラ笑ってた野郎に卍固めを極めた自分は、間違っていなかったと思う。
そこまで思い出して、苦笑する。
ーーくだらないことは不思議と忘れないもんだ。
少しだけ郷愁に似た寂寥感を覚える。
前世に執着も後悔もないし、現世に不満があるわけではないけれど。
ああ、いや。Lifeの最新バージョンを体験できなかったには少し後悔はあるし、LifeのWikiが無いことには無茶苦茶不満はあるな。
とはいえ、今の人生が嫌になるほどのものでもない。
あるいは今、こうやって人を待っていることも二十年後に振り返ったりするんだろうか。
と、そんな益体もないことを考えていたその時だ。
視界によく見知った少女達の姿が目に入った。
来たか。
自分の方が先に来ただけで、待ち合わせの時間よりも早い。
ベンチから立ち上がる。
彼女達の真ん中にいた少女――天儀ドロシーがこちらに気付いて、ぱあっと笑顔を浮かべるのが見えた。
「茂札さーん!」
普夫の苗字を呼びながら、とてとてと駆け寄ってくる。
同時に彼女の大きい――というか、巨大な胸部装甲(隠喩)も一緒にゆっさゆっさと揺れる。
――うお、でっか……!?
そう短くない付き合いで慣れているつもりでも、男の悲しい性というか、本能で視線がそちらに向きそうになる。
周囲の(特に男達の)少なくない視線も驚愕と共に向けられる。
と、同時に彼女の駆け寄る先にいる男、つまり自分に怨念じみた嫉妬の視線を感じて、苦笑した。
まあ、気持ちはわからなくもない。
やや諦め気味に普夫は嘆息し、手を振った。
「や、天儀さん。お疲れ様」
「はい、お疲れ様です。お待たせしちゃいましたか?」
「いや、僕も今しがた来たとこだよ」
実際には五分ほど待ったが、まあたいしたことではない。
先ほどドロシーと一緒にいた梳手島ジグと羽島リナも程なく追いついてくる。
「おう、茂札。今日はよろしゅうな。あとずいぶん羽織っとるもん、キまっとるな?」
「そうですかね? 知り合いに『私の隣を歩く男がみすぼらしい格好をするのは許せん』って押し付けられたやつなんですが」
「
「ええ、まあ……」
言って自分の姿を見下ろす。
ボトムスは暗色のチノパンで履いているのは革靴。
上着に羽織った黒いジャケットを覆うように肩にかけた象牙色のコートが内側の黒色をより引き立てている。
そして、髪はワックスで軽く後ろに撫でつけ、顔には色の入った伊達眼鏡。
総じて、学生というよりは、やや童顔の成人に見えなくもない、と思う。
「あの人もセンスは悪くない。うん、まさにボディガードって感じだね」
ジグがやや複雑げに、しかし感心したように評した。
「そういうお願いでしたから」
普夫は発端になった昨日の会話を思い返して、肩をすくめた。
占光学校の屋上は、転落防止のフェンスに囲まれ、ベンチやガーデンテーブルが設置された休憩スペースとして解放されている。
ただ、夏や冬は気温の暴力に遠慮なしにさらされる上、出入り口の階段も校内の端の一箇所のみなのもあって、外が過ごしやすい季節でもなければ、生徒は屋上に出ることは稀であった。
「
そして、その日の稀な生徒になった普夫は、冬の寒空の下で腕を組んで首を傾げた。
平日、金曜日の学校の昼休みに、購買で昼食の爽菜パンを買って教室に戻ろうとした矢先の話である。
「二人で話したい」という上級生の彼女――湊手嶋ジグからの個人メッセージを受けとった。
珍しい話ではある。
数ヶ月前からLife部のドロシーたち三人とは、色々あって親しくなった。
その縁で、Lifeの相談を受けたり、MeeKingの仲間と一緒に遊んだり、
が、基本的に予定や相談のやり取りはスマートフォンのグループチャットでするのが常で、ジグ個人から呼び出されるのは前述の通り本当に珍しい。
その珍しさもあってか、普夫は了解の旨だけ返信して、屋上に来たのだが。
「うん、
彼女の言葉に、うーん、ととりあえず考えるふりをする。
「僕、明日はLifeの土曜大会に行く予定が入ってるんですけどね。僕が一緒に行かなくてもいいと思うんですが」
「君に頼む理由はみっつある」
言って、ジグは右手の指を三本立てた。
「ひとつめ。ぼくたちだけだとナンパしに来る男が絶えなくてさ。男避けが欲しいんだ」
「はあ。自慢ですか」
「真剣な悩みだよ」
ジグが真顔で答える。
まあ、そうだろうな、と普夫は思った。
ドロシー達の容姿は、十人が十人に聞いて美少女と断言されるほど見目麗しい。
MeeKingで顔を合わせる店長やサレンも含めて、顔面偏差値が高い女性や少女と割と普段から接しているので偶に忘れそうになるが。
そんな彼女たちが三人も連れ立って街中を歩いていれば、声をかけようとする男が出てくるのもおかしい話ではない。
「ふたつめ。最近、ドロシーの機嫌が悪い」
「天儀さんの?」
「ああ」
言って、ジグは普夫から屋上のフェンスの向こう、さらに地上の建物--Life部の部室に視線を移した。
つられて普夫も同じ方向に視線を移す。
その時だ。
――カッ!
――カッ!
――ゴゴゴゴゴ……
――どかーん!
部室の窓から閃光が幾度も走り、建物全体を揺るがし、やや大げさにも聞こえる爆発音が響くのが聞こえた。
「な、なにごと……?」
「Life部で昼練を始めたって話は聞いてるかい?」
「ええ」
占光学校において誰が一番Lifeが強いか。
その問いに対して真っ先に名前が挙がるのは、天儀ドロシーだろう。その次に名前が出てくるのは、Life部の部長である湊手嶋ジグと現副部長である羽島リナが挙げられる。
言い換えれば、その三人しか名前が挙がらない、とも言う。
少数に頼った強豪というのは、あまり歓迎できる状態ではない。
なので、放課後だけでなく昼休みも使ってドロシーたち三人が持ち回りで部員たちの教導をすることになったと聞いてはいたが。
「最近のドロシーは機嫌が悪いせいで、教導対象の子達とのファイトで手加減が出来なくなってるんだ」
「部員たちに八つ当たりしてるんですか、あの子」
「いや、教導そのものは的確だよ。ファイト中も感想戦も全く容赦がないだけで」
「それだけでああなりますか……?」
話している間もひっきりなしに放たれる閃光に部室の窓はガタガタ揺れて、建物自体が衝撃によって怯えるように震えている。
「……おいおい、大丈夫か? 部活の練習が原因で部室が崩壊するとか漫画やアニメでもないだろうに」
そこまで独り言を口にして、はたと思い出す。
(いや、ここ、販促アニメの世界だったわ)
現実逃避気味にため息を付いた。
「で、なんであんな事になってるんです?」
「秋口に初めて会った時、ドロシーが他の部員から神聖視されてるって話、したよね」
「ええ、まあ」
その時の自分は「ほーん、そうなんだ」とほぼ他人事にしか思っていなかったが、今考えると最悪の態度だった、と内心で省みる。
人間関係の面倒くささから、結果だけ押しつけ、自分の悪評をそのままにしてさっさと離れた、というか逃げたのは完全にろくでなしの動きだった。
やられた方は、苦虫を噛み潰し続けさせるような後味の悪さを押しつけられるようなものなのに。
「茂札くん?」
「いえ」
自己嫌悪が沸いてくるのを自制して、一息。
肩をすくめ、続きを促す。
「それであいつらは今もその神聖視を続けて、天儀さんがとうとうキレたとか?」
「いいや」
彼女は首を振って否定する。
「こないだ、ドロシーとリナがMeeKingに行って店員さんと遊んだときに、ぽろっとリナがそれをこぼしたらしいんだけど、それを聞いた店員さんが『それなら恐れられるようにコテンパンに叩きのめせばいい。崇拝より畏怖の方が面倒がない』ってアドバイスしちゃったらしくてねえ」
「サレンのやつ……」
普夫の脳裏に無表情のドヤ顔(矛盾のある表現だが、まあ雰囲気だ)をキメて、親指を立てるサレンの姿が浮かんだ。
眉の間を揉んで、そのイメージを頭から追い出す。
「で、その次の日にドロシーに教導役をやらせたら、本当に片っ端からファイトでコテンパンに叩きのめしちゃった」
「叩きのめしちゃったんですか」
「うん」
部員からの態度にストレスが溜まっていたのだろう。
サレンの天啓の如き言葉によって解き放たれた彼女は、暴れに暴れ、Life部の内気な
「まあ、それはいいんだけど」
「いいんですか」
「店員さんが言った通り、怖がられて近づかれない方がドロシーにとっては気楽だろうからね」
ジグは苦笑した。
ただ、と続ける。
「それでも叩きのめして心を折る程度に加減していたんだけど」
「程度とは?」
普夫は口に出して訝しんだが、ジグは無視した。
「さっきも言った通り機嫌が悪いせいで全く手加減しなくなったんだ。先週ジャッジをしたリナが『横で見てるだけでチビりそうやったわー』って死んだ目で言ってたよ。三日前に僕もジャッジで参加したけど、正直ちょっと怖かった」
空笑い。
「……やはり八つ当たりでは?」
「言わないでくれ」
ジグは遠い目をした。
「そもそも機嫌が悪いのは君のせいだよ、茂札くん」
「僕の?」
「最近、ドロシーに構ってあげてないだろう。それで荒れてるんだ」
「あー……」
そういえば、最近はMeeKingのバイトやら気門道場の門弟の教導やらと色々忙しくて、ドロシーとは廊下ですれ違いざまに挨拶する程度だった気がする。
ジグ達と作ったチャットグループであれこれとメッセージのやり取りはしたが、顔を合わせないとフラストレーションは溜まるものらしい。
自分達の関係が
「そして、みっつめ」
言って、ジグは目を細め、それまでとは違う艶やかな笑みを浮かべて、襟元のボタンを外した。
襟元が分かれ、隠れていた首元が露わになる。
――白い肌と革のチョーカーが覗いていた。
金属製の留め具が前に出るように嵌められ、それにリードフックに似た鈍色のアクセサリが掛けられた様から、首輪にも見える。
ジグは普夫の顔に息が吹きかかる距離に顔を寄せ、
「ドロシーだけじゃなく、ぼくもリナも
と小さい声で睦言のように囁いて、チョーカーから吊り下げられたそれを指の爪先で、こつ、こつ、こつ、と叩いた。
そんなわけで、三人の買い物に付き合うことになったのだが。
ドロシーは心なしか頬を染めて胸の前で手を合わせてそわそわし、リナは口笛を吹いて囃し立てる。
「それじゃあ、今日は
「はいはい。お任せあれ、お嬢様方」
笑顔のジグの言葉に普夫はそう返し、ややぞんざいに会釈したのであった。
ごめんね、しばらくエロはないんだ。