「ところでマリアンヌ、きみ、もっとカミラに伝えておくべきこと、あっただろう?」
幹部が招集されるその部屋は、名前を『聖堂』と言う。
これは総大主教『聖なるマリアンヌ』および錬金術師『知悉のオリガ』の故郷たる世界──そこにあった神殿の、一般の人が入ることのできない奥にある部屋を模したものだ。
彼女らの崇めていた『異世界の神』は、『樹』であった。
……もともと、この世界で魔法少女たちを生み出している『龍』は、この『樹』と姉妹関係にあったと言われている。
どちらも樹とも龍とも呼ばれる神聖なもので、だからこそ、『竜鱗のハハキ』などは、竜が発現したことを誇られたこともあった。本来この宗教において、竜は崇めるべき対象だったのだ。
……あの日、世界に侵略し、世界そのものから『魔法』を消してしまうまでは。
文明の根幹である『人が持つエネルギー』たる魔法。魔法文明世界で魔法が使えなくなれば、当然、文明は崩壊する。魔法がある前提で作り上げられたすべての装置は動作しなくなり、魔法がある前提で組み上げられたすべての制度は機能しなくなる。
そうして大量の死者が出た。
死者が怨嗟を呼び、まずは龍と、それが操る尖兵に向かった。
しかし、勝てなかった。龍は見事にマリアンヌたちの故郷に根を張ることに成功し……
次に、怨嗟は、為政者や、マリアンヌたち宗教勢力に向いた。
そうして連鎖的に人々が『次の悪いやつ』『自分たちの根幹たる魔法が奪われた原因』『死ななくていい者が社会制度の崩壊のあおりで死んだ理由』をなすりつけるやつを探して、探して、探して……
結果だけ見れば、人は、人の愚かさで滅んだ。
怒りと他責、それから目の前にある『今日、どう生きたらいいかわからない』という不安や恐怖の発露が、人を殺したのだ。
……しかし、マリアンヌにとって、それらはすでに『情報』でしかない。
受け止めた怨嗟も、叩きつけられた怒りも、首を撫でた憎悪も、人と人の争う血のニオイも、崩壊した文明特有の清浄たらぬ空気のあの嫌なこびりつくような臭いも……
もっとも親しい人との別離も。
すべて、すでに燃やした思い出だ。
「カミラに言うべきこと──何が、あったでしょうか」
「……きみがカミラをきちんと愛していたことだよ。きみさあ、最初の魔法少女反転事例の直前、あの、当時の魔法少女たちの連合との戦いの時に、カミラとの思い出を燃やして力に変えたよね」
「……」
「愛していなければ、それはきみにとって『強い力』にならなかっただろう? そのことを伝えてあげたらよかったんじゃなかったのかな」
「しかしそれは、『情報』にしかすぎません」
「……」
「わたくしはきっと、我が子、わたくしが血を分けた子を、愛していたのでしょう。ホムンクルスの生まれで、その寿命が限られているぶん、たくさんの愛情を分け与えようと誓ったのでしょう。……ですが、それは記録と情報からの分析にしか過ぎないのです」
「それでもさ」
「『わたくしには覚えがないけれど、きっと、わたくしはあなたを愛していたのだと思う』と伝えろと?」
「……」
「それは、より残酷な仕打ちになることでしょう」
知悉のオリガは、余っている白衣の袖で、顔を覆った。
「ねぇマリアンヌ、ぼくらはどうしようもなく『詰んでる』よねえ。なんとかかんとか永らえてきたけれど、一向に状況はよくならない」
「しかし、歴史の転換点が登場した」
「……それさあ、『人間代表』のことだろ? 神話において特異なる者、前例のない者、閉塞した危機を乗り越えるための者──まあわかるよ。確かに彼は選定基準を満たしている。でもねえ、その『人間代表』を尖兵にされてぼくらが滅びた事実も、重要視すべきだろう」
「ならばそれが、神の意思なのでしょう」
「……」
「どのみち『終わり』が来ます。それは、我々にとって喜ばしいことでしょう? 神が我々の命を止めたのは、果たして、世界を救うためなのか。それとも、なんらかの罰なのか。……この決戦でわかることでしょう」
オリガはため息をついた。
(……そうか、もう、マリアンヌには、『自分の思い出』もないんだ。だからこんなに……教義の体現者みたいになってるんだな。だからこんなに……自分自身の命を、どうでもいいものみたいに扱うんだ。神の掌に載せて、そこから生きようともがかないんだ)
オリガの知っている聖女マリアンヌは、もういない。
それが、改めて思い知らされた。
「……あ、ところでマリアンヌ、なんで彼に全然情報を与えないんだい? 別に与えてもいい情報まで伏せてるだろ? ぼくの方にクレームが来たんだぞ」
どうにもならないものをすっぱりとあきらめて切り替えられることは、オリガの長所であり短所だった。
魔法を使う才能がないから錬金術を──という人生にも、その性質が表れている。
マリアンヌは、微笑んだ。
「それは、対応、ご苦労様です」
「いやいいけどさあ。えっちなことする口実になるし」
「彼に何も伝えないようにしている理由──それは、彼が、『歴史の転換点』だからです」
「……」
「神の意思は、彼の行動により示されます。我々はそれを見守り、神の御意思による歴史の変化を待つのみ。そこに手を加え、恣意的に神の御意思を誘導することは、許されません」
「……聖女マリアンヌなら、そんなことは言わないね」
「聖なるマリアンヌとして、そう考えております」
「思ったよりくだらない理由でがっかりしたよ。うん、決めた。きみはもう、終わるべきだ。生きすぎたんだよ、ぼくらは」
「ただ一つ残った、『わたくしの想い』。龍への報復──これを叶えられれば、もとよりこの命はどうでもよいものです。……いえ、その願望の成就さえ、神の御意思が『やめよ』と仰るのであれば、どうでもいい」
「だめだこりゃ」
オリガは肩をすくめた。
それから、『終わり』を自分たちにもたらす方法を、模索し始めた。
◆
「トマリちゃん……ホノカちゃん……ごめんね……信じられなくて、ごめん……二人の辛いことに気付けなくて、ごめん……なさい……」
「いいんだよ! ヒナタが気にすることじゃないって! なあ、トマリ!」
エリザ区画、談話室。
ここは最近幹部級が増えて来たので、セントがエリザ区画に作った場所だ。
戦闘員も幹部の許可があれば、この学食のようなスペースで食事をしたりお茶をしたり、こんなふうにおしゃべりしたりできる。
三人の少女は一つの丸いテーブルを囲むように座り、互いに身を寄せ合うようにしていた。
……ただ一人、トマリを除いて。
「……トマリ?」
「……はい? ……ああ、はい。いいんだよ、ヒナタちゃん。私も、黙ってたんだから。それに……『龍の洗脳』は、セントさんじゃないと、解けないし……ヒナタちゃんがわからずやだったのは、仕方ないよ」
「わからずやって……もうちょい言い方が……」
「……いいんだよホノカちゃん。私、確かに、わからずやだった」
「……ヒナタがいいならいいけど」
トマリは、慰め合う『友達』を、少しだけ引いた位置で見ていた。
何かを言っている。
たぶん、何か、温かい言葉をかけあっている。
わかるのに──聞こえない。
まるで、家から追い出された時、お母さんと、妹が、まくしたてていた言葉みたいだ。
……ストレス、なのだろうとトマリは分析した。
強すぎるストレスのせいで、耳と頭がうまくつながらない。
どうして、『友達の洗脳を解いて、一緒にこっちにいる』という目的が適って、その二人が仲良くしている様子を見て、こんなにもストレスを感じているのだろう?
トマリは──
「──抱かれたんだ」
「? どうした、トマリ?」
「トマリちゃん、ごめん、よく聞こえなかった……」
トマリはにっこり笑った。
「ううん。なんでもない。……とにかく、二人とも、目を覚ましてくれてよかった」
……別にセントが何人抱こうが構わない。
エリザやオリガを道具扱いして性欲を叩きつける姿を目の前で見せられたけれど、別に、なんとも思わなかった。
ハハキとの関係を告白されても、特に感情は沸き立たなかった。
……でも。
この二人を相手にすると、良くない気持ちが、お腹の底から湧いてくる。
「……私の恋人、だから」
トマリは小さくつぶやいた。
『感動の再会』をしている二人には、その声は届かない。
◆
「おーっほっほっほっほ! ああ、本当に……本当に、本当に! 壮観!」
『蟲毒のカミラ』は、集まった魔法少女たちを見ていた。
少女たちは、カミラが『地上』に用意した場所で話し合い、情報交換をし、決戦に備えている。
数にして二十人はいる。
これだけの戦力があれば、『大樹教団』の総大主教を──母を、倒すこともできるだろう。
愛されたかった。
でも、愛を与えてはもらえなかった。
幹部待遇をされていた?
そんな、『樹』を認識できればそれでいいだけの地位で、どうして満足ができるのか?
どれほど失敗しても見捨てられなかった?
そんなのは、誰でもそうだ。母は幹部を見捨てない。見限らない。どれほどの失敗も、どれほどの蛮行も許す。
愛は、本来、特別なものだ。
生涯でたった一人にしか注ぐことのできないものだ。
博愛のうち一つを受け取れるなんて、そんなので我慢できるはずがない。
愛が欲しい。愛されたい。普通の親子みたいに。特別に愛されたかった。この短い人生が、どんどん減っていく寿命が、行きつく終着が、微笑んで幸せに迎えられるものであるように、愛されたかった。
「ママ、殺してあげる。あたくしが殺してあげる。……きっと、それも愛よね。ママの隣で寿命を迎えるの。もう、あたくししか見えないわ。あの生意気なチビも、胸ばっかりデカい鱗女も。白衣のチビも。赤コートの男も……! 誰も、見えない。あたくししか、見えない……!」
カミラの大騒ぎを気に留める者はいない。
魔法少女たちをモニタリングしている場所なのだ。そばにいると『毒』の影響を受けやすい。カミラだからこそ、魔法少女たちのそばにこれだけいても平気だが、本来、『龍の毒』は、魔法を使う生命すべてに深刻な影響を及ぼす。そばにいるだけで、弱っていき、次第に魔法が使えなくされてしまうのだ。
だがそれが『毒』と呼べる概念であれば、カミラは耐えることができる。
魔法少女たちを味方にするのも、簡単だった。誰の心にも毒がある。他者を害する気持ちがある。そこに自白剤と酩酊剤をブレンドし、ほんの少しの向精神薬をかがせてやれば、エモーションで行動する精神的に幼い少女たちから同情を得て、協力を信じさせるのはたやすかった。
すべて、裏で修めてきた『蟲毒』のスキルの賜物だ。
地道に努力をしたからこそ、今がある。
……龍と相性が良さそうな『シャイニー・サンストーン』には毒を入れられなかったのが残念だが……
『大樹教団』を滅ぼすのはそもそも魔法少女と龍の悲願であるはずだ。
いざ攻勢が始まれば、あいつも参加するだろう。そうしたら……大樹教団は、終わる。マリアンヌが自分だけのものになる。
今が、人生の最高潮。その上り坂の、最後の傾斜。
カミラはそう信じて疑わなかった。
……実際、状況が、カミラの情報にある通りならば、そのまま、カミラに率いられた魔法少女たちが、大樹教団に侵攻しただろう。
だが、一つ、大きな変化が起こってしまった。
「見事なものだね。魔法少女たちを、こんなにそそのかせるなんて」
「……誰かしら?」
カミラは幸福に無遠慮に水を差されて、舌打ちをした。
魔法少女のうち一人が迷い込みでもしたのだろうか──そう思っていた。
だが……
「ヒナタとホノカ、トマリを助けるために、魔法少女たちの力が必要だ」
そうつぶやくそいつは、白い着物を着て、角と尻尾を生やした女──
「…………『龍』!?」
「ヒナタ……ああ、私のせいで、君まで……必ず、取り返す。二度と、私のせいで、誰かが犠牲になるなんてことは、起こさせない……」
たとえば、ビーフカレーを食べるとする。
その時、『牛さん、ごめんなさい』と思いながら食べる者は、少数だろう。
たとえば、その牛肉を、契約畜産牧場から仕入れているとする。
そして、畜産業を営んでいる人が、ケガをしたとする。
そうしたら、心配するだろう。可能な範囲で、力を貸したいと思うだろう。
龍はこの世界にも、異世界にも寄生し、星の力を吸っている──食事をしている。
その星の力を吸うために、魔法少女という『畜産牧場の人』と契約し、よりよい食事をとるための、不純物を取り除いてもらおうとしている。
だから、牛肉そのものの心配をしないような者でも、卸売り業者だの、畜産牧場の人だのが怪我や病気をしたら支援をしたいと思う──『美しい心』で、ヒナタやホノカ、トマリを心配し……
「なるほど、蟲毒のカミラというんだったね、君は。──魔法少女になる資格が、ある。君の体は魔法そのものだ。私の土壌になれるだろう」
そのための行動をする。
救うために出る犠牲は、犠牲ではない。
何か大きな目標の途中で散る命は、命ではない。
『龍の洗脳』というのは正しい表現ではなかった。
龍に見いだされて力を与えられると、龍の思考や感情に共鳴しやすくなる。
龍には倫理観がなく、悪意もなく、善意にあふれていた。
そして星の力を喰うのは『生きるために当たり前にすべきこと』であっていちいち意識しないし、その『当たり前にすべきこと』を邪魔する相手を、『命』には勘定しなかった。
その精神性が魔法少女たちに影響を与えていた。『龍の洗脳』と呼ばれていたのは、せいぜい、そんなものであった。
だから龍は、ヒナタたちを救いたいという善意に基づいて……
カミラに、『根』を張った。
神秘そのものの、異世界原料で作られたホムンクルスは、こうして龍の土壌となる。
カミラは──
龍の角と尾を生やしたカミラは、微笑んだ。
彼女らしからぬ、綺麗で透明な微笑だった。
「……さあ行こう、魔法少女たち。仲間を救いに」
カミラの体で、龍が声を発する。
聞こえない位置にいるはずの魔法少女たちが、一斉に、龍のいる方向を見た。
……決戦が、始まる。