大事な想いの大事さがわからない。
マリアンヌは人や自分の想いをリソースにして出力を上げる。
聖女とは固有魔法による自己強化と敬虔さによって己にバフをかけて相手をぶん殴る前衛職であった。
だから、大事なものをたくさん作る必要があった。
大切な人との思い出を積み重ね続ける必要があった。
そのために『人間代表』を始め、さまざまな人に良くしてもらった。
優しい時間こそが優れた兵器を造る。マリアンヌの固有魔法はまさしく人との大事な記憶を出力に換える稀代の魔法であり、教会はマリアンヌに様々な幸福を与え、絆を用意し、多くの『善き人』たちとの思い出をマリアンヌは積み重ねた。
すべて燃やした。
『人間代表』を倒すために。
その時の戦いが無意味だったのか、あるいは有意義だったのか、もはやマリアンヌにはわからない。
『龍』にまつわる、故郷を襲った事件については、オリガから情報を与えられている。
だが記憶はない。記憶がないということは、当事者意識もないということだ。
一つだけ、『龍を必ず倒す』という想いだけは失ってはいないが──想いと記憶との境というのは曖昧なものだ。その想い一つを残しただけでは、その当時の熱意までは残らなかった。
だからマリアンヌは今や、『過去の自分』という亡霊から行動指針を示され、それを教義の横に置いて活動するだけの存在でしかない。
『人間代表』との仲も、今のマリアンヌにはよくわからないものだ。
外から見た情報はオリガから与えられたけれど、オリガはあいにくと情緒にまつわる感受性が欠如しているところがある。オリガというフィルターを通して出て来る情報は、ただの数式でももう少し実も花もあるだろう、というものにしかならない。そのぶん、正確ではあるけれど。
「命を懸ける必要はないだろう。私は……人がそうまで傷つきながら戦うのを、痛ましく思うんだ」
龍がカミラの顔でそんなことを言っている。
もしも自分に、いわゆる『親子の想い』というものがあれば、きっと、とてつもない怒りが腹の底から湧いて来るのだろうなとマリアンヌは思った。
わかない。何も。
カミラに関する記憶は、かつて『龍の魔法少女』を倒す時に使ってしまった。
その時にマリアンヌが出たわけだが、そのことは、目の前の龍の記憶にはないらしい。
あるいは覚えていなかっただけか。
マリアンヌは幾度も『龍化した者』を追い詰めたし、倒した。
けれど龍にとっては『その時は覚えておけるが、少し時間が経てば忘れる』程度のもの、なのかも。
だからこそ、少しだけ、かつての自分の気持ちを推測できる。
「かつてのわたくしはきっと、あなたのそういう様子を見て、すべての人類のために、あなたを滅さないといけないと考えたのでしょう」
「……私の何が、君をそこまで刺激してしまったのだろう? 何か、勘違いがあるようにしか思われないが……」
言葉をかけるのは無駄だとわかりきっているので、マリアンヌは代わりに行動で示した。
戦闘員たちから収集した記憶を燃やして出力をブーストし、殴り掛かる。
龍は掌を前へと出して、『壁』を作った。
先ほどからそうだが、龍の攻防手段は『出力に任せて障壁を出すか、投射攻撃をするか』しかなかった。人間相手の戦闘技法を学ぼうとか、見たことのある戦い方をしてみようとか、回避とか、細かい技法とか、そういうものが、全然ない。
一方でマリアンヌは、記憶を燃やしたお陰で強く実感できているのだが、『体が覚えている』武術を使っている。
だが、雑に強い壁を展開されて、雑に強くて範囲が広くて速い投射攻撃をされて、しかも回数にも連射性にも限度がまったく見えないとなると、そういう技術が全然役に立たない。
単純に出力で『壁』をぶち破らないと龍には攻撃が届かず、その出力が『大事さがわからない他人の思い出』では不足していた。
一方で龍の方の攻撃は当たる。
これは、最初、マリアンヌが避けていたら、『避けられない範囲で、防御できない出力の攻撃をしよう』と途中から方針転換したらしく、攻撃のたびに避けられない受けきれないものを放たれるようになってしまったからだ。
単純な力の差。
龍が直接この時空層に干渉してくるというのは、これほどまでに脅威なのだと、マリアンヌは実感していた。
その上で……
(腹の底に力が入っていない)
この戦いの重要性も、危機にさらされている自分の命の価値も、わからない。
追い詰められれば生存本能みたいなものが自分の中から発揮されて、気合が入るのかなと思っていたが、どうやら、かつて燃やした思い出の中のどれかが、あるいは多くが、『自分の命の大事さ』を教えてくれるようなものであったらしい。
すべてを費やさなければ勝てない戦いだったとしても、費やしてはならない想いがある。
どうやら、自分はわけもわからず、全部燃やしてしまった。そのせいで今、命の価値も、想いの価値もわからず、拳に力が入らない。
(これは駄目かもしれませんね)
ただの冷静な状況分析だった。
出力で上回らなければ勝てない相手に、出力で上回れない。だから、負ける。
単純にその程度の話だ。
「力が欲しいか?」
……後ろに誰かいると気付いたのは、その時だった。
いくら龍との戦いに集中していたとはいえ、真後ろに誰かがいるのに気付けなかった。
マリアンヌはしかし、驚くことはなかった。
驚きとは『こうだろうな』という予測から生まれる。そして、無意識の予測にはだいたい期待とか願望が入る。
そういうもののないマリアンヌは、この状況で自分に気付かれず背後をとれる人物について、瞬時に導き出した。
「影のセントですか」
「もう少し驚いてくださいよボス。……で、どうです? 今、欲しいんじゃありませんか? 力」
「そうですね」
龍から視線を離さずに話に応じる。
龍は、『何か』に対応していた。
大雑把な攻撃・防御しかしない龍は、意識のないところからの攻撃に弱い。
そのお陰で『何か』は何発か龍に攻撃を当てたらしい──だが、対応されてしまっている。『常に、強力な障壁を、全方向に展開する』という、これもまたリソースを考えている様子のない雑な対応で、『何か』の攻撃はすべて弾かれているようだった。
だが、時間稼ぎにはなっていそうだ。
「力を得るためには、どういった手順が必要でしょう」
「俺に隷属してください」
「それで龍を倒す力を得られるのであれば」
「説明が必要なら、します」
「いえ。この局面で嘘をつくような、後先のわからない者ではないでしょう。少なくとも今の申し出は、あなたにとっては真実です」
「話が早くて助かります。では……隷属していいぞ」
「隷属しま──」
マリアンヌは、思わず、言葉が止まることに驚いた。
何かが来る。
とてつもない何かだ。これまで経験したことのない何かだ。
「『思い出をリソースにする。大事な想い・思い出ほど、強い力になる』。これが、お前の力だったよな、マリアンヌ」
「っ、は……は……はぁ……♡」
「だから『認識して』『思い出していい』ぞ。それで、燃やしていい。俺とお前の蜜月を。まあ、お前には無許可でやってたことだし、蜜月っていうほど長い感じでもないが──」
マリアンヌの脳裏に、『これまでのこと』が蘇ってくる。
魔法少女が連合を組んでから、実際に攻め入られるまでのこと。
セントが自分にしていたこと。
「──ご主人様と愛し合った思い出は、きっとお前の力になる。それを使って、とりあえず、『龍』を動けないようにしろ」
下腹部に隷属紋が刻まれ、光を発する。
マリアンヌは、洪水のように流れる、『これまでにあったこと』の記憶の中で、しばらく立ち尽くしていた。