『聖なるマリアンヌ』の様子がおかしくなったのを、龍は見た。
下腹部から輝きが発し……
衣装が、変わった。
その現象は『変身』だ。
魔法少女たち──負担にならないように、普段は遺伝子の励起を切れるようにして使っているこの世界の魔法戦士たち。彼女らの遺伝子励起と同様の現象が、目の前のマリアンヌに起こっている。
衣装はマーメイドラインの全身ローブから、穴だらけ、露出度の非常に高いものへと変化した。
スカート部分がたくさんの細長い布の連なりに変化し、手にした杖が大きな、そしてどことなくカートゥーンな雰囲気の白いハンマーに変わっていく。
にこやかな微笑を浮かべていた顔に、どこか不敵な自信、不遜な感じが新たに加わる。
……それは、『龍』のような超越存在にはない、もっと青く、若く、未熟な、『人の精神』の発露だった。
『変身』が、終わっている。
聖なるマリアンヌは、おおよそ意味があるとは思えない、まるで『勢い付け』としか言えないような動作で、ハンマーと化した杖を『ぶんっ』と振って……
背後をにらむように見た。
そこには怪人赤コート──『影のセント』がいる。
「思い出したくないことまで思い出しました。当時のわたくしは、異常だったと思います。『聖女の務め』にしたところで、あれは、許し過ぎです」
「そうか。もう俺の方は何をしたか覚えてねえよ。けどまあ、思い出したんならよかった。──これで、いくらでも忘れていい」
「そうしましょう」
『龍』には二人の会話の意味がわからない。
……いや、この場にいるヒナタ、トマリ、ホノカにも。そしてたとえこの場に、マリアンヌと旧知の間柄であるオリガがいようとも。二人の会話の意味はわからない。
二人の思い出は、二人の中にしかない。
あるいは、セントの中にはなく、マリアンヌの中にしかない。
それは真実ではなく捏造の思い出だ。
だが、捏造の思い出とは果たして……
本物の思い出と、何が違うのか?
「知ってるか、『龍』。思い出って、心の中にしかないんだぜ。だからさ──心の中で本物になったんなら、そいつは、脳の中で、本物の思い出と何が違う?」
「……」
「確かめさせてやるよ」
影のセントが、笑っている。
笑って、マリアンヌの背を押す。
「全部燃やしてこい。また抱いて思い出させてやる」
「……っ♡ 本当にふざけた男ですねあなたは」
マリアンヌの様子が先ほどまでと違いすぎて、ほとんどの者が戸惑っていた。
だが、マリアンヌに戸惑いはない。
思い出を、記憶を、想いを燃やして、突撃。
一瞬、あっけにとられていた『龍』は、慌ててマリアンヌに向けて──いや、全方位に向けて、強固な壁を展開する。
だが、意味はなかった。
龍の力による壁は、マリアンヌがハンマーを振りかぶった──時に突き出された前蹴りに、容易く粉砕される。
「──な」
「なんて脆い」
その声には、先ほどまでの『聖なるマリアンヌ』にはなかった、挑発的な響きがあった。
思い出を燃やす。
先ほどまで、燃やした思い出には力がなかった。芯のないふにゃふにゃの力……という印象だった。
だが今のマリアンヌは、瑞々しく、ぎらついていて、それから、芯があった。
「く……!」
『龍』は本気の抵抗が必要だと判断した。
慌てて全力を注ぎこんだ壁を形成する。
だが……
「硝子細工の方が、まだマシですよ」
振り下ろされたハンマーは、『龍』の全力の壁さえ、粉々に砕いた。
マリアンヌのハンマーが、『龍』の脳天に迫る。
……だが、今の『龍』は、カミラを依り代として根差している。
この肉体は『土』だ。深く根差した土だ。
この状態で倒されればひとたまりもないだろう。しかし、そこに根差した樹が横殴りになぎ倒された時、根差している土もまた無事では済まない。
だが、マリアンヌの一撃に、ためらいはなかった。
強い衝撃が、『龍』にぶち当たる。
その時──
単純な衝撃ではない、『何か』が来た。
こちらの肉体を叩き潰すタイプの衝撃ではない。
だから『龍』は、『全力で形成した壁』を打ち砕くような衝撃を受けて、後方に退避することができた。
しかし。
「っ、ぐ、うううう……な、なに、なにを……!?」
べりべりべり!
音にすれば、そうなるだろうか。
何か深刻なものが剥がされていく。
経験したことのない痛みが『龍』を襲う。
その痛みのせいで、しばらく動けないほどの、激痛。
それは……
存在そのものが、無理に生皮を剥がれる痛み。
……根差した『土』から、自分だけが無理に引っこ抜かれるような、痛み。
影のセントが、笑っている。
「『人間』の定義について考えたよ」
『龍』は初めて、人間の笑みに不快感と恐怖を覚えた。
あいつは、よくない。
科学、魔法、龍──そういう三すくみではない、もっと根源的な、相性の悪さを感じる。
「ホルモンバランスで考え方さえ変わる。捏造された記憶と本物の記憶の区別もつかない。真実よりも心地よさを優先する。こいつが俺の知る人間っていう生き物だ。生物学的や法的に言えばまあ、定義ははっきりしてるが──何せお前、科学と相性が悪い生き物だもんなあ? そんな人間らしい定義で『人間』と『ホムンクルス』の違いを認識してるわけ、ねえよなあ」
『龍』が攻撃を放ったのは、ほとんど咄嗟の、防衛反応のようなものだった。
魔法少女たちをはるかにしのぐエネルギーの一撃が、セントに迫る。
だが、マリアンヌが、そしてヒナタ、トマリ、ホノカの三人の魔法少女たちが、セントを守った。
「危ねえな。悪の組織が口上垂れてる時は大人しく聞いて差し上げろって学ばなかったのか?」
「……ヒナタ! その男は危ない! なぜ守るんだ!? ともに、その男を倒そう!」
「いいか、ドラゴンさん。人間の定義を教えてやる。そいつは『自覚』だよ。パスカルっていう偉人が超いいこと言ってたから聞かせてやる──」
「ヒナタ! トマリ! ホノカ!」
この場には三人の魔法少女がいる。
『龍』のとっておきのお気に入りの、三人だ。
そもそも、この戦いは、ヒナタを助けたくて起こったものだ。
起こった、ものだ。『龍』は自分を首謀者だと考えない。『龍』は自分を指導者だと考えない。
それは他者の自主性に任せてのことか?
……自認では、そうだ。だが……
それは、根源的な責任感の不在から起こる責任転嫁的な考え方だ。
『龍』はただ生きているだけ。ただ食事をしているだけ。そのために魔法少女たちに愛情を注いでいるだけ。
そそのかしているつもりはない。魔法少女たちが戦いの中で危険な目に遭うのを、『彼女たちが自分で決めた道だ』と思っている。その戦いに人々が巻き込まれるのを、『仕方のない犠牲だ』と思っている。
あらゆる思考には、責任感がない。
見下しているもの、自分の生存に必要と思っていないものの人生の使い方に責任感を持つ機能は、知的生命体にはない。
影のセントが、鼻で嗤う。
「──『人間は考える葦である』。あえて誤用をするならな、考えさえすりゃ、そいつはホムンクルスじゃなくて、人間なんだよ。だから……考えさせてやるのさ。たくさんの愛情と思い出を流し込んでな」
まあ、その思いでも愛情も、捏造だが──そんなふうに小さく付け加える。
『龍』にはわかった。
マリアンヌの攻撃で自分に流し込まれてきているのは、『思い出』だ。
マリアンヌとこの肉体──カミラが本来積み重ねるべきだった思い出。
セントは、思い出を注ぎ込んで、カミラをホムンクルスではなく、人間として定義しようとしている。
そしてそれは、どうにも、効いている。『龍』は、カミラの肉体から、無理矢理引っぺがされかけている──
「魔法理論ではない……科学理論でもない……なぜ、そんなことができる。なぜ、それで……私を追い出せると確信できる!?」
「は? いやいや。確信なんかねーよ。ただの総当たりだ。ただまあ……」
影のセントは、『何』なのか?
彼の行動が歴史を動かす。彼の行為が変化を起こす。彼の存在が閉塞した状況に光をもたらす。
大樹教団における『人間代表』の条件。あるいは『人類代表』の条件。
マリアンヌが順守した教義において、セントがなぜ自由を許される立場たりえたのか。大樹教団はその者をなぜ、歴史の転換点と定め、聖女さえも下に置く意思決定者たりうると決めたのか。
その理由は……
「いけそうな気がした。で、できた。だから、俺はただの、ラッキー野郎なんだろうさ」
──答えをもたらす者。
神話の多くは神が人に問いかけ、後世に問答を残す形で残る。
神が定めたルールが人を生かし、発展させる。そして、神の残した問答について考え続けることが、人を活性化させ、人の考え方を進歩させ、人そのもののステージを上へと上げていく。
だが神の残した問いというのは、たいていの場合、答えが出るようなものではない。
……しかし、いるのだ。
その者の行動が答えになってしまうような、天性を持って生まれた者というのが。
だから、その者が、何にも影響されず、己の意思で勝手に定めたことこそ、『教団の者が従うべき答え』になる。
運命を引き寄せる者。答えを知る者。神が差し向けた運命の子。歴史の転換点。あるいは……
──救世主。
その新しさと急進性から多くの者に嫌われ、ついには殺され。しかし、目覚め、答えを得て、多くの者を導く。その者に導かれた者たちもまた伝説的な行いをする。奇跡を起こす。言葉には奇妙な力が宿り、力なき者、故郷を失った者たちを導き、進む。
大樹教団の教義において、彼は、そういうモノだった。
マリアンヌの攻撃が、『龍』を叩く。
流し込まれる思い出が、依り代──土としているカミラに、『人間性』を与えていく。
「くだらねえささやき戦法で、カミラは俺とマリアンヌとの間に産まれた子供って思い出を刷り込み──いや。『思い出させた』」
回避をしようと思うけれど、ヒナタが、ホノカが、邪魔をする。
「マリアンヌにとっては真実の記憶だ。それを流し込まれたカミラがどういう反応になるのか、少し楽しみだな。いや、良いもんだぜ、案外さ。親子丼ってのも」
起死回生の一手──『龍』はセントを狙う。
だが、トマリが、『龍』の攻撃を阻む。
……いや。
トマリが、攻撃を、阻む? たった一人で?
できるはずがない。できる出力がない。『龍』はそこらの魔法少女よりよっぽど強力だ。一人でその『龍』の殺意のこもった攻撃を阻めるはずなんかない。
だが、阻まれている。
弱っている?
それは、あるだろう。
だが、それ以上に……
歪められている。
認識が。常識が。あるいは──
──世界そのもののルールが、あの男によって、歪められている。
「……セントオオオオ!」
「お前もメス奴隷にしようかと思ったけど、まあ、なんか、いいや。お前を抱くの、つまんなそうだし」
「お前は……お前は……! お前は、自分が何をしているのかわかっているのか!? 世界のルールを曲げている! この世界の人々の常識を曲げている! それは許される行いではない!」
「いやあ、まあ、うん。何言ってるかわかんねーけど、俺は俺の行いを許されることだとは思ってねえよ。でも一ついい?」
セントが嗤う。
マリアンヌの一撃が、強く強く、『龍』を叩く。
セントが、
「お前が言うな」
嘲るように言って──
『龍』が、無理矢理に引っぺがされる。
「どの立場からの批判? いやマジでわかんねーな。ま、そういうことで。さよならだ。この世界に『悪』は二つもいらねーんだわ。俺だけで充分──ってもういないか」
崩れ落ちたカミラを見ながら、セントが肩をすくめる。
『龍』の気配はもう、どこにもない。
……かくして。
マリアンヌの悲願は、達成された。
世界から『龍』は、消え去った。