その話題が出たのは、焚き火を囲んでいた夜だった。森は静かで、年の瀬だとか大晦日だとか、そういう概念から最も遠い場所だったはずなのに、イルルはやけに真剣な顔をしてこちらを見ていた。
「……なあ」
「どうしたの?」
「人間は、年の終わりに特別な日を作るんだろ」
唐突な切り出しだったが、イルルの視線は妙に鋭い。興味を持ったものに対して、彼女はいつもこうだ。曖昧な理解のまま放置せず、納得するまで掘り下げる。
「大晦日、って言うらしいな」
「うん。一年の終わりの日だね」
「終わり……区切りか」
イルルは腕を組み、少し考え込む。ドラゴンにとって時間は連続したものだ。年が変わるから何かが変わる、という感覚は本来ない。それでも彼女がこの話題に引っかかっているのは、人間が“意味を与えている”という点に興味を持ったからだろう。
「で、その日は何をする」
「えっと……一緒に過ごしたり、特別な服を着たり、年越しを祝ったり」
「服?」
そこに、はっきりと食いついた。
「特別な服だ。着物と言う」
「……ほう」
イルルの目が、分かりやすく輝いた。新しい文化、新しい様式、そして“特別扱い”。ドラゴンとしての本能に、きっちり刺さっている。
「私も着る」
「……え?」
「大晦日だろ。特別なんだろ」
理屈としては、間違っていない。問題は、別のところにあった。
数時間後、町で調達してきた着物を前に、イルルは腕を広げて立っていた。期待に満ちた表情だ。だが、その期待は、現実と正面衝突する。
「……なんだ、これは」
着物は、確かに高級なものだった。だが、人間用だ。寸法という概念がある。そして、その寸法は――イルルの“規格外”を想定していない。
「胸が……通らん」
「いや、通る通らないの問題じゃなくて……」
布が、明らかに悲鳴を上げていた。合わせの部分が閉じない。閉じようとすれば、今度は帯が存在意義を失う。結果、イルルは半ば呆然としたまま、自分の胸を見下ろしていた。
「……おかしいな」
「おかしくはないよ」
「人間の服だろ。人間の形をしているのに」
「してるけど……」
イルルは納得がいかない、という顔で布を引っ張る。だが、引っ張れば引っ張るほど、問題は強調されるだけだった。
「……この山、邪魔だ」
自分の胸を“山”と表現した時点で、色々と諦めてほしかった。
「イルル、無理しないで」
「無理じゃない。私は着物を着る」
その意地は、どこから来るのか。考えてみれば単純だ。これは彼女にとって、単なる衣装ではない。“一緒に年を越す”という象徴なのだ。
「……人間は、こういう時、同じ格好をするんだろ」
「まあ……そうだね」
「なら、私も同じだ」
その理屈に、否定はできなかった。
最終的に、着物は妥協点を見つけることになる。帯は完全に機能を放棄し、胸元は安全と布の存続を両立させるために大幅に調整された。その結果、出来上がったのは――“着物風の何か”だった。
「……ふむ」
イルルは鏡の前で、くるりと一回転する。
「どう?」
「……着物、ではあるな」
「うん……そうだね」
満足そうな顔をしている以上、細かい分類はどうでもよかった。
「悪くない」
そう言って、イルルは自然にこちらの腕を取る。
「なあ」
「なに?」
「大晦日は、一緒に過ごす日なんだろ」
「そうだよ」
「なら」
少しだけ、声が低くなる。
「私が一番近くにいるのは、当然だ」
独占欲は、年越しでも健在だった。
外では、静かに年が終わろうとしている。鐘の音も、華やかな飾りもない。それでも、この瞬間だけは、確かに“区切り”だった。
人間の文化を真似たドラゴンが、着物に悪戦苦闘しながら、それでも一緒に年を越そうとしている。それだけで、この大晦日は、十分に特別だった。