※この作品はR-18です。

むにっとねっとりドラゴン独占生活   作:ボルメテウスさん

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力と技

 風が止んだわけではないのに、岩場の空気だけが張り詰めた。イルルとステラの間に落ちた沈黙は短い。短いが、その間に必要なものは全部揃ってしまう。距離、角度、踏み込みの線、そして互いに「引かない」という結論。僕は一歩だけ下がり、ナデンはさらに半歩、視界の端へ退いた。止めるためではない。止めても止まらないと分かっているからだ。イルルの背中から立つ熱と、ステラの足元に溜まる圧が、二人の戦いを既に始めている。

 

「来い」

 

 ステラが言い切った瞬間、イルルが踏み込んだ。直線。余計な揺さぶりも間合いの探りもない。拳が一直線にステラの顔面へ走る。人間形態だというのに、拳が風を割る音が一拍早い。けれど、ステラは避けない。ほんの僅かに身体を捻り、拳の軌道を肩でいなす。受けたのではなく、流した。イルルの拳が空を切り、次の瞬間にはステラの踵がイルルの膝を狙って跳ね上がる。

 

「ちっ」

 

 イルルが足を引く。蹴りが空を切る。ステラは追わない。追えば、イルルの次の一撃が当たると分かっているからだ。彼女は半歩下がり、また同じ距離に戻す。こちらの間合いに入らせない。入ったら終わる。だから入らせない。戦い方が、最初から噛み合っていなかった。

 

「逃げてばかりか」

 

 イルルが吐き捨てる。

 

「避けているだけだ」

 

 ステラの声は平坦だった。揺れがない。

 

「お前の一撃を受けて立つのは、矜持じゃなく愚かだ」

 

 その言葉が、イルルの癇に障ったのが分かった。矜持。誇り。そこを正面から刺されると、イルルは機嫌が悪くなる。悪くなると、速度が上がる。

 

「なら愚かでいい。私は竜だ」

 

 イルルの踏み込みが二段になる。拳、肘、膝。連打ではない。間を置いて、当たればそれで終わりという圧で刻む。ステラは紙一重で躱し続ける。躱すだけでなく、イルルの攻撃の“終わり”に指先を添えて、軌道を僅かにずらす。受け流しだ。武人の型。力ではなく、接点で勝負している。

 

 僕は息を呑む。イルルが当てられない。そんな場面を見たのは初めてではないが、ここまで綺麗に“当てさせない”のは珍しい。イルルの力は、当たれば勝ちだ。だから、当てられない戦いはイルルにとって時間の無駄になる。無駄だと感じた瞬間、イルルは苛立つ。苛立った瞬間、力が荒くなる。荒くなった力は、周囲を壊す。

 

「イルル」

 

 思わず名前を呼びかけたが、声は喉の奥で止まった。ここで止めたら、イルルは余計に燃える。止めない。止められない。その代わり、祈るように「当てろ」と思ってしまう。矛盾している。僕はイルルに勝ってほしいのに、イルルが暴れすぎるのも困る。中心に立つって、こういう板挟みのことかと変に納得した。

 

「……ふん」

 

 ナデンが小さく息を吐く音が聞こえた。彼女は状況を読んでいる。力と技巧の噛み合わなさを、最初から理解している顔だ。

 

「どうした、群れの主」

 

 ステラがこちらを見ずに言う。わざとだ。僕ではなくイルルを煽るために、あえて“中心”という言葉を使っている。

 

「お前はその人間の影に立っているつもりか」

 

 イルルの表情が歪む。影に立っている、という表現が気に食わない。群れの中心、という言い方はイルルが選んだ言葉だ。だが影、という言い方は“従属”を含んでしまう。イルルはその誤解を許さない。

 

「影じゃねぇ。中心だ」

 

「言い換えだ」

 

 ステラの返答は冷たい。

 

「自分の意志で従っているなら、なお悪い」

 

「従ってねぇ!」

 

 イルルが吼えるように叫び、拳を振るう。今までより速い。速いが、荒い。拳が地面を掠め、岩が砕ける。小石が跳ね、粉塵が舞う。ステラはそれを読んでいた。粉塵を盾にするのではなく、粉塵が舞う“瞬間”にイルルの視界が揺れることを利用して、内側へ滑り込む。イルルの懐。普通は入れない場所。そこに入った。

 

「……!」

 

 僕の心臓が跳ねる。入ったら終わるのはステラの方だ。だが、彼女は終わらないために入った。イルルの腕の内側、肘の角度、肩の回転。イルルの力が最大になる“位置”を外し、最小になる“隙間”に身体を潜り込ませている。

 

 ステラの掌底が、イルルの胸の中心に入る。ドン、という鈍い音。軽い一撃ではない。だがイルルの身体が吹き飛ぶほどではない。狙いは衝撃ではなく、呼吸の断絶。身体の芯を揺らし、次の一撃の出だしを止めるための打撃だった。

 

「効かねぇ」

 

 イルルが笑う。確かに、倒れてはいない。だが、ほんの一瞬、動きが遅れた。その一瞬が、ステラの勝ちだった。

 

「効かせる気はない」

 

 ステラが続ける。

 

「お前は倒せない。だが、崩せる」

 

 言葉の通り、ステラはイルルの足を狙う。膝、踝、脛。致命傷ではない。だが、イルルのような「当てれば終わる」戦いに必要なのは、完璧な踏み込みだ。その踏み込みが乱れれば、当たらない。つまり勝てない。ステラはそこだけを削っている。

 

「小賢しい」

 

 イルルが吐き捨て、足を踏み鳴らす。地面が割れる。だが、ステラはそれすら利用し、割れ目に合わせて跳び、着地をずらし、距離を維持する。近づかない。近づけさせない。イルルの力を否定する戦い方。

 

 イルルが苛立つ。苛立ちは熱になる。熱は魔力の奔流になる。人間形態のままでも、彼女の周囲に薄い炎の膜が揺らめき始めた。あれが本格化すれば、周囲は焼ける。そうなればステラは勝っても、ここに残るものがなくなる。

 

「イルル、周り――」

 

 今度は言葉が喉から出た。

 

「黙れ」

 

 イルルは振り返らずに言った。怒っているというより、今は“聞く余裕がない”声だった。

 

 ステラがそれを聞き、口角を上げる。

 

「聞こえたか。群れの中心。お前の声は届いていない」

 

 その瞬間、イルルの殺気が跳ねた。空気が冷えるのではなく、熱で押し潰される。

 

「……もういい」

 

 イルルが言う。

 

「矜持がどうとか、喋りすぎだ」

 

「言葉は刃だ」

 

 ステラは構えを崩さない。

 

「お前は力だけで戦う。だが、それは強者の戦いではない」

 

「なら見せてやる。強者を」

 

 イルルが踏み込む。今までの直線ではない。半歩ずらし、足を入れ替え、角度を変える。初めて、イルルが“工夫”をした。ステラの目が一瞬だけ見開かれる。イルルは学習する。短気だが、決して鈍くはない。殴れないなら殴れる形を作る。力の持ち主は、力のために技を覚える。

 

 拳が、今度はステラの肩を掠めた。掠めただけで布が裂ける。皮膚に赤い線が走る。ステラの眉が僅かに動いた。痛みよりも、驚きだ。掠っただけでこうなる。直撃したら、終わる。そう再確認した瞬間、ステラの足運びがさらに慎重になる。

 

 イルルは笑う。

 

「ほらな。避け続けろよ」

 

「……避ける」

 

 ステラの声が低くなる。

 

「最後まで」

 

 戦いはまだ前半だ。勝敗は決まっていない。だが、互いに理解した。イルルは、当てられない相手がいることを。ステラは、当たれば終わる相手だということを。そして、その間に挟まれた僕は、どちらの言い分にも一理があるのが分かってしまう。だからこそ、背筋が寒い。次の瞬間、どちらかが踏み外せば、取り返しがつかない形で決まる。

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