戦いが終わってからの道のりは、勝った者の余韻ではなく、決着の後始末で満ちていた。歩幅が揃わない。会話も噛み合わない。何より、空気が落ち着かない。ステラは一歩後ろに控え、こちらの荷物に手を伸ばしそうになっては引っ込め、引っ込めてはまた伸ばす。過剰忠誠というより、役割がないことに耐えられない動きだった。イルルはそれを横目で見ながら、露骨に機嫌が悪い。怒っているというより、納得していない時の顔だ。ナデンは無言で周囲を警戒しつつも、こちらの“内部”が崩れそうな気配を読み取っている。
「主」
休憩のため岩陰に腰を下ろした途端、ステラが即座に膝をつきそうな勢いで近づいてきた。
「次の命令を」
「命令は……出さないよ」
口にした瞬間、ステラの表情が固まった。怒りではない。論理が崩れた顔だ。
「出さない?」
「うん」
「それは矛盾だ。私は下僕だ。下僕は命令を受けることで成立する」
言い方が真面目すぎて、冗談にならない。ステラの世界では、上下関係は秩序そのものなのだろう。
「命令がないなら、私は何を基準に動けばいい」
その問いに答える前に、イルルが割り込んだ。
「命令なら私が出す」
低い声。短い言葉。だが、そこに含まれているのは単なる実務ではない。頂点の宣言だ。
「こいつは中心にいるだけだ。指揮を取るのは別だろ」
ステラが、ゆっくりと顔を上げる。
「中心にいるから従う価値がある」
言葉が噛み合わないのではない。噛み合う必要がない前提で話している。イルルは力を基準にする。ステラは中心を基準にする。どちらも自分が正しいと疑っていない。
「……は?」
イルルの殺気がまた跳ね上がる。さっきの戦いとは別の方向だが、質は同じくらい危ない。
「てめぇ、何言ってる」
「私は主に従う」
ステラは淡々と言った。
「主が命令を出さないなら、主の判断を守る。それが下僕だ」
「守る?」
イルルが笑う。笑い声に温度がない。
「守るってのは、私の役目だ。お前が口出すな」
「口出しではない。役割の確認だ」
「役割は私が決める」
イルルが一歩前に出る。ステラも一歩も引かない。二人の間で、空気がぴんと張った。僕は口を開きかけたが、言葉が見つからない。命令する気はない。それでも決めなければ、次の危険で破綻する。中心に立つって、こういう面倒を引き受けることなのだと、今さらのように理解した。
「……二人とも」
やっとのことで声を出したが、届く前にナデンが一歩進み出た。
「感情は後でいい」
声音が冷たいわけではない。必要な温度に落としているだけだ。
「今は運用の話をしろ。次に襲われた時、誰が何をするか決まってないと、全員死ぬ」
その言葉で、場の温度が少しだけ下がる。イルルもステラも、戦う者だ。死が絡む話だけは無視できない。
「……言え」
イルルが不満そうに言う。
「簡単だ」
ナデンは指を折って示すように言った。
「命令系統にしない。合意と優先順位で動く」
「回りくどい」
「回りくどい方が壊れにくい」
ナデンは平然と続ける。
「ルール一。戦闘の即応は現場の二人が判断する。イルルとステラだ。攻撃と防御、前衛の判断は遅れたら終わる」
「当然だ」
イルルが頷く。
「異論はない」
ステラも頷く。ここは二人とも納得できる領域だ。
「ルール二。撤退、交渉、隠密、進路変更は中心が決める」
ナデンがこちらを見る。
「主人公だ。戦えないなら、戦い以外の決定で価値を出せ」
言い方は辛辣だが、事実だ。僕は頷いた。
「うん。そこは僕が決める」
「ルール三。情報整理と危険予測は私がやる」
ナデンは淡々と言った。
「進路の選択も、事前提案は私。最終判断は中心」
イルルが鼻を鳴らす。
「つまり、面倒事はお前が引き受けるってことか」
「そうだ」
ナデンは即答する。
「ルール四。リンクは同意制にする」
その言葉が出た瞬間、ステラの肩が僅かに強張った。イルルの視線が鋭くなる。前回の事故が、まだ全員の中で生々しい。
「戦闘前に対象と範囲を決める。勝手に繋がる事故は減らせる。中心は制御を学ぶ必要がある」
僕は喉の奥が少し痛くなるのを感じた。逃げられない課題だ。
「……分かった」
僕が言うと、ステラが一歩近づき、真剣な顔で頷いた。
「その訓練は必要だ。私の誇りのためにも」
イルルが露骨に嫌そうな顔をした。
「私の中心に触るな、みたいな言い方してんじゃねぇよ」
「していない」
ステラは即答する。
「私は主の安全のために言っている」
そこが火種だと分かっているのに、彼女は真面目すぎて引っ込められない。
「……決まりだな」
ナデンが締める。
「不満があるなら、次の戦闘で死んでから言え」
イルルは舌打ちしたが、否定しなかった。ステラもまた、納得したように背筋を伸ばした。ルールは決まった。だが、感情は決まっていない。むしろ、ここからが本題だ。
休憩が終わり、少し歩いたところで、イルルが急にこちらの袖を掴んだ。
「来い」
「え?」
「いいから来い」
乱暴だが、いつもの乱暴さとは違う。周囲に聞かれたくない時の乱暴さだ。ナデンはそれを見て、わざと視線を逸らした。ステラはついてこようとしたが、ナデンが肩を軽く押さえた。
岩場の陰。風の音が遠くなる場所で、イルルは腕を組んだままこちらを睨んだ。
「……中心が人間なのはいい」
「うん」
「だが」
そこで言葉が一度止まる。イルルが言いにくいことを言う時、こういう間が出来る。
「……竜が増えるのは気に入らねぇ」
ようやく出てきた本音は、予想通りで、予想以上に子供っぽかった。だが同時に、そこに嘘がないのも分かる。
「でも、イルルが群れを作るって言ったんだろ」
「作る」
即答。
「群れは作る。強くなるからだ」
その目が真っ直ぐで、強い。
「お前と一緒にいれば、私は強くなる。確信してる」
そこで、少しだけ表情が揺れた。
「だから……中心が他に奪われるのが嫌だ」
奪われる。そう言った瞬間、イルルの独占欲が単なる嫉妬ではなく、“恐れ”を含んでいることが分かった。中心が必要なのではない。中心がいなくなるのが怖い。中心が遠ざかるのが怖い。だから群れを作る。だから囲う。だから一番でいたい。
「奪われないよ」
僕はすぐに言った。条件も理由も付けない。
「イルルが一番近い」
「……」
イルルの頬が僅かに赤くなる。だが、彼女はそれを認めない。
「言葉だけじゃ足りねぇ」
「じゃあ、どうしたらいい」
そう聞いた瞬間、イルルがにやりと笑った。
「証明しろ」
「証明って……」
「こういうのだ」
言うが早いか、イルルがこちらの腕を絡めるように抱きついてきた。体重が乗る。柔らかい感触が押し付けられ、思考が一瞬だけ止まる。恋愛の成熟度が子供のままなのに、攻め方だけは妙に大人なのが、イルルの厄介なところだ。
「……イルル」
「人間はこういうのが好きなんだろ」
「好きかどうかの前に、驚く」
「驚け」
そのままさらに密着し、顔を近づけてくる。まるで、他の竜が増えたことへの対抗策として“物理的距離”を選んでいるみたいだった。
「私が一番だって、分かれ」
「分かったから」
「言え」
「イルルが一番」
言った瞬間、イルルが満足そうに笑う。強い竜のくせに、こういうところだけ妙に分かりやすい。
戻ろうとしたところで、最悪のタイミングでステラが近づいてきた。
「主」
真顔。
「安全確認をします」
「やめろ!」
イルルが即座に殺気を出す。
「距離を詰めるな!」
「下僕として当然の行為だ」
ステラも一歩も引かない。真面目に火に油を注ぐ。
「私は主の異変を――」
「異変は私が確認する!」
「それは頂点の役目ではない。中心の安全は――」
「うるせぇ!」
ナデンが咳払いを一つした。
「そのルール、今決めたばかりだろ」
淡々とした突っ込みが、場の空気を少しだけ現実に戻す。
「見張り交代でいい」
僕が言う。
「ステラは前方警戒。イルルは後方。ナデンは周辺の気配。僕は……中心として判断する」
口にして、初めてルールが生きた気がした。命令ではない。合意と割り当て。これなら崩れにくい。
「……ふん」
イルルが不満そうに鼻を鳴らしつつ、後方に回る。
「了解した」
ステラは即座に前方へ向かう。真面目すぎるほど真面目に。
ナデンは小さく息を吐き、こちらにだけ聞こえる声で言った。
「これでようやく、群れが形になったな」
その夜、焚き火を囲んでいると、遠くの街道に不自然な灯りが見えた。松明の数が多い。歩調が揃いすぎている。軍ではないが、訓練された集団だ。
風に乗って、金属と油の匂いが届いた。鉄の匂いというより、加工の匂い。兵器の匂い。
「……来たな」
ナデンが低く言う。
「竜狩りか。心臓兵器の運搬だ」
イルルの目が、一瞬で冷える。ステラもまた、炎のような怒りを瞳に宿す。
「弱者を虐げるなら、潰す」
「観察だ」
僕はすぐに言った。
「今は、見て、決める」
イルルは舌打ちしたが、頷いた。ステラも、悔しそうに唇を噛んで頷いた。ナデンは満足そうに一度だけ目を閉じた。
中心の判断が、初めて“全員を止めた”。
群れは、ここから本当に動き出す。