夜半、街道の灯りが再び動き出した。祠を離れた運搬隊は北へ向かい、旧工房へと続く細い谷道に入っていく。箱は二つ。封緘は粗く、魔力の匂いが風に滲む。嫌な予感は、最初からしていた。
ステラが先行し、尾根伝いに並走する。ナデンは後方で退路を切り、僕は全体を見渡す位置を保つ。イルルは一番後ろ。火力を抑える役目は、彼女にとって一番苦しい役目だった。
「……主」
ステラの声が、ほとんど息だけの音量で届く。
「封緘、揺れている」
「揺れている?」
「魔力が偏っている。箱の中で……暴れている」
その言葉が終わる前に、異変は起きた。
箱の一つが、淡く赤く光った。護衛の一人が気づいて駆け寄る。次の瞬間、封緘の刻印が一つ、音を立てて割れた。
――ぐ、と、空気が歪む。
低い唸り。生き物の心音のような脈動が、地面を伝ってくる。護衛たちが一斉に距離を取る。慣れている動きだ。だが、慣れていても怖いものは怖い。
「急造……」
ナデンが歯を食いしばる。
「抑えきれてない」
箱の隙間から、黒い靄のような魔力が漏れ出す。封緘が“兵器”を縛るためのものではなく、暴走を抑え込むための仮止めだというのが、はっきり分かった。
その瞬間、ステラの目が変わった。
戦士の目ではない。狩人の目だ。暴れる獲物の癖を読む時の、冷えた集中。
「……弱点、ある」
短く言って、振り返る。
「今、封緘を直そうとしている。刻印を重ねる瞬間、制御が一度外れる」
「どれくらい?」
「三呼吸」
短すぎる。だが、十分だ。
ナデンが即座に判断を重ねる。
「護衛は混乱中。視線が箱に集中している。奪うなら今しかない」
イルルの気配が跳ねる。
「焼けば――」
「駄目」
僕は即座に遮った。
「焼いたら中身が解放される。被害が出る」
言葉を選ぶ暇はなかった。だが、全員が理解した。暴走しかけの心臓兵器を、正面から破壊すれば、何が起きるか分からない。
ステラが静かに息を吐く。
「……私が行く」
「単独?」
「一瞬でいい。刻印が重なる前に、箱を“ずらす”」
「奪う?」
「違う」
彼女は地面を指でなぞる。
「封緘の弱点は、底面。地面と接している部分が一番薄い。持ち上げれば、暴走が一瞬止まる」
ナデンが目を細める。
「止まる?」
「魔力の循環が切れる。完全ではないが……三、四拍」
三、四拍あれば、何ができるか。
僕は一瞬だけ考え、決めた。
「やる。ステラ、主役。ナデン、退路。イルル……」
「分かってる」
イルルが歯を鳴らす。
「最小限だな」
その声は不満だらけだったが、拒否はなかった。
「リンクは使わない」
僕は自分に言い聞かせるように続けた。
「今日は、繋がらない。判断だけで行く」
ステラが一度だけ、こちらを見る。
「……承知」
次の瞬間、彼女は闇を切った。
音がしない。気配が消える。護衛の背後に回り込むまで、誰一人気づかない。刻印を重ねていた術師の手元が光った、その刹那。ステラが飛び込んだ。
斬らない。叩かない。箱の底に指を差し込み、身体ごと“持ち上げる”。
――ぐん、と、重たい音。
魔力の唸りが、一瞬だけ、途切れた。
「今だ!」
ナデンの合図と同時に、イルルが動いた。
炎ではない。衝撃波だけ。空気を叩くような一撃が、護衛二人をまとめて吹き飛ばす。殺さない。壁に叩きつけ、動けなくするだけ。
混乱が広がる前に、ステラは箱を転がす。谷の影へ。封緘が再び光り、暴走が収まりかける。
だが、術師が叫んだ。
「奪う気だ! 殺せ!」
残った護衛が走る。
「イルル!」
「……チッ」
舌打ちと同時に、イルルが踏み込む。今度も炎は吐かない。拳で地面を叩き、岩片を飛ばす。視界を潰すための一撃だ。護衛が怯んだ瞬間、ステラが間合いに入る。
さっきの竜狩りより、さらに速い。
喉を打たず、顎を打つ。肋を折らず、神経を断つ。無力化だけを選ぶ、冷たい技。二人が倒れ、最後の一人が逃げかける。
「行かせるな」
僕の声に、ステラが即座に反応する。投げた石が膝に当たり、相手が転ぶ。逃げ道は塞がれた。
数十息後、街道は静まり返った。
残ったのは、倒れた護衛と、谷の影に転がる箱一つ。もう一つの箱は、運搬隊が慌てて引きずって逃げていった。
「……一つ、取れたな」
ナデンが息を吐く。
「半分だが、十分だ」
イルルが箱を睨みつける。
「中、焼いていいか」
「駄目」
即答した。
「持ち帰る。調べる」
イルルは不満そうだったが、何も言わなかった。さっき、燃やさずに勝てた。その事実が、彼女を黙らせている。
ステラが箱の前に立ち、封緘を確認する。
「……生きている」
低い声。
「心臓は、まだ動いている」
一瞬、空気が重くなる。
その沈黙を破ったのは、ナデンだった。
「だが、奪った」
「うん」
僕は頷く。
「今日は、勝ちだ」
ステラがこちらを向く。戦いの余熱がまだ残る目で、だが静かに言った。
「主の判断がなければ、全滅していた」
「ステラの判断だよ」
「……違う」
彼女は首を振る。
「私は動いただけだ。決めたのは、主だ」
そう言って、一歩下がる。下僕としての距離に戻る動作だが、そこに卑屈さはなかった。誇りのある従属。武人の選んだ立ち位置。
イルルが小さく舌打ちする。
「……ちょっとは認めてやる」
ステラは驚いた顔をしてから、ほんの僅か、口元を緩めた。
遠くで、逃げた運搬隊の灯りが消える。旧工房へ向かったのだろう。
心臓兵器は一つ、こちらにある。
戦いは、ここから本格的に始まる。