道は長かった。
正確に言えば、距離そのものよりも、隣を歩く存在が長さを強調してくる。
「……遅い」
前を歩くイルルが、また言った。
今日で何度目だろう。
「そんなに睨まなくても……ちゃんと歩いてるよ」
「睨んでねぇ」
「いや、睨んでる」
振り返ったイルルは、不機嫌そのものだった。
人間形態でも隠しきれない威圧感。だが、その苛立ちは僕に向いているというより――我慢している感じが強い。
「本来なら、私が運ぶ」
「飛べばいいのに?」
「飛ぶわけねぇだろ!」
吐き捨てるように言い、すぐに言葉を継ぐ。
「……この辺り、竜狩りが出る」
「また心臓目的?」
「それ以外に理由があるか?」
肩をすくめるイルルの仕草が、どこかぎこちない。
ああ、なるほど。
「……僕が一緒だから?」
「……」
一瞬、言葉に詰まった。
その沈黙が答えだ。
「お前とリンクしてる状態で、竜の姿を晒すのは危険だ。
狙われたら、お前が巻き込まれる」
「……それ、心配してくれてる?」
「違う」
即答。
でも目が合わない。
「お前が死ぬと、私が困るだけだ」
「それを心配って言うんじゃ……」
「違う!」
語気が強くなる。
そのあと、ぼそっと付け足す。
「……私のものなんだから」
小さすぎて、聞こえたかどうか怪しい声。
でも、聞こえてしまった。
「……え?」
「聞き返すな!」
顔を赤くしながら歩く速度を上げる。
僕は苦笑しながら、少しだけ早足になる。
――その瞬間だった。
嫌な気配。
背筋を撫でるような、獣の視線。
「イルル」
名前を呼ぶと、彼女は即座に反応した。
身体が前に出る。庇う位置取り。
「下がれ」
その言葉と同時に、上空から影が落ちた。
衝撃。
風圧。
土煙の中に、女の姿があった。
黒髪。鋭い眼差し。
だが、怯えが隠しきれていない。
「……人間……二人……?」
その声に、明確な恐怖が混じる。
「来るな!」
叫びと同時に、女は踏み込んだ。
速い。奇襲。迷いがない。
――いや、違う。
迷いを振り切った動きだ。
だが。
「邪魔だ」
イルルが前に出る。
人間形態とは思えない速度で、拳を叩き込んだ。
女の身体が吹き飛ぶ。
「……っ!」
木に激突し、それでも立ち上がる。
目に涙を浮かべながら、歯を食いしばる。
「人間め……近づくな……!」
その言葉に、イルルが眉をひそめた。
「……同族か」
「……!」
女が息を呑む。
「竜の癖に、人間を守るつもりか?」
「守ってねぇ」
イルルは冷たく言い放つ。
「私の群れに、勝手に手を出すな」
「……群れ?」
女の視線が、僕に向く。
「……人間……なのに……?」
その瞬間、女の攻撃が再開された。
地面が波打ち、石が刃のように飛ぶ。
だが、イルルはそれを腕で弾いた。
「遅い」
「……っ!」
間合いに入る。
一方的な展開。
人間形態でも、力の差は歴然だった。
「――やめろ」
女の喉元に爪が届く。
イルルの瞳は、完全に捕食者のそれだ。
「イルル!」
叫ぶ。
「殺す気!?」
「当たり前だ。襲ってきた」
正論。
この世界では、それがすべて。
でも。
「待って。……この人、声が」
イルルの動きが止まる。
「怖がってた。
襲う前から、ずっと」
女が震える声で叫ぶ。
「私は……捕まったことがある……!
人間に……心臓を……!」
その言葉に、イルルの殺気が跳ね上がる。
「……人間……!」
だが。
僕の胸が強く脈打つ。
リンクが反応する。
「イルル……」
名前を呼ぶだけで、彼女は舌打ちした。
「……チッ……」
爪が、離れる。
「お前のせいだぞ」
「うん。僕のせいでいい」
僕は女を見る。
「大丈夫。
殺されるほどのことじゃない」
女が呆然とする。
「……なんで……?」
「怖かっただけでしょ」
その瞬間、女の身体から力が抜けた。
意識が落ちる。
「……気絶した」
「弱いな」
イルルはそう言いながらも、女を乱暴に担ぎ上げる。
「……それと、人間」
「なに?」
「勘違いするな」
視線を逸らしたまま、低く言う。
「お前が助けたいと思ったから、助けただけだ」
「うん」
「……だから」
一拍。
「私が一番だ。
他の竜がどう思おうが関係ない」
完全な独占宣言だった。
僕は笑って頷く。
「……うん」
その返事が気に入らなかったのか、イルルはまた歩き出す。
だが、歩幅は――
ほんの少しだけ、僕に合わせられていた。