夜が更けるにつれて、森は音を落としていった。焚き火の残り火が微かに揺れ、枝葉の影だけがゆらりと動く。星はまだ高く、空気はひんやりと冷えている。
イルルは少し離れた位置で、背中に炎の温度を感じながら膝を抱えたままじっとしていた。胸の中に残る静けさは、とても落ち着くものではなかった。それは温かさでもなく、ただ深い闇がそこにあるだけだった。
ステラは焚き火に背を向け、眉根を寄せて空を見上げていた。警戒の目線には、まだ抑えきれない緊張が漂っている。
ナデンは黙って座っている。理論を重ねても答えにならない何かが、胸の奥にふわりと触れるようだった。
「……来てる」
ステラの声は静かだった。だが、その沈黙には確かな重さがあった。
その気配は、森の奥から静かに、しかし確実に近づいてきた。森の空気がわずかに冷たくなる。葉の隙間を抜ける風が、いつもとは違う方向へと流れる。
ほとんど気配とは呼べないほどの静かな接近。
「……これが、あの時の」
ナデンが指先で小さく刻印の光を光らせる。波紋のように連なる光は、まだ触れられない何かを示しているようだった。
イルルは膝を抱えたまま目を閉じた。呼吸が少し乱れる。
――嫌だ。
違和感というより、何か芯の奥へ触れられるような感覚。
静けさは、熱とは違う強さを持っていた。
そして気配は、確かにそこに立った。
黒い影。闇の塊がそこにあるのに、視界は乱れない。ただ深い黒がそこに立っていた。
クロ。
その名前が、リンクの奥で震えにも似た波紋を描いた。
沈黙が数秒だけ続く。
やがて、クロの存在がほんのわずかに揺れた。
――近くにいても、死なない。
――静か。静かすぎる。
言葉ではなく、感覚として流れ込むその“思考”は、長い孤独の果てに誰かに触れた時の反応のようだった。
ステラが少しだけ身をすくめた。
「……あれほどの存在が、こんなにも静かだとは思わなかった」
その声は、普通の言葉として落ちていった。
イルルは震える指先を見つめた。
胸の奥の冷たい何かが、わずかに柔らかくなる。
ナデンが息を吸う。
「……存在の距離が、変わっています。力ではなく、静けさを共有しているようです」
その言葉が落ちると、森の気配が一段だけ深まった。
クロの静寂は、ただ闇ではない。
何かがそこに触れている。
リンクの奥で、クロの感覚がゆっくりと流れ込んできた。
――暖かい。
誰の心でもない、その“暖かさ”が、ふわりと漂った。
イルルが視線を上げた。
その瞳には、闇より深い驚きが宿っている。
夜は静かに、深く、沈んでいった。