夜明け前の森は、静けさを溜め込んでいた。
焚き火の残り火が灰色の風景を淡く照らし、湿った土の匂いだけが漂う。
そこに立つイルルの姿は、いつもより強張っていた。
肩先に力が入り、胸の内側がわずかに震えているのを感じた。
俺がそっと気配を寄せると、イルルの瞳がゆっくりとこちらへ向いた。
赤い瞳は暗闇の中でもよく見え、闘気ではなく――
どこか不安に満ちているようだった。
「……主」
その声は低い。
しかし、いつもの荒っぽさとは違う。
刃物のように切れ味のある口調ではなく、ぎこちなく噛みしめられた言葉だった。
イルルは焚き火の灰を見つめたまま、ゆっくりと歩み寄る。
一歩、また一歩。
そのたびに、胸の奥で何かが鳴る。
「……あの静けさ、なんなんだよ」
腕を組み、視線が途切れそうになりながらも、
しっかりとこちらの目を捉える。
「俺はな……」
言葉が詰まる。
息を吐き、声を少し震わせる。
「……お前が近づく前はさ、静けさなんて気にもしなかった」
赤い瞳がわずかに揺れる。
「燃やせればいいと思ってた。敵なら炎で殲滅するだけだと思ってた」
その目は炎を見据えるように細くなる。
だがすぐに表情が歪む。
「でもよ……あいつが来てから、なんか違うんだよ」
イルルの声が少しだけ低くなる。
いつもより落ち着いた響きだった。
俺は少しだけ視線を下げる。
炎の揺らぎが、やけに大きく感じられた。
「静かなんだ。
……落ち着かない静けさなんだよ」
唇が震え、短く息が漏れる。
視線が外れ、肩が一瞬だけ強く震えた。
「お前は……どうなんだよ」
問いは真っ直ぐだ。
声が震えたまま、視線は逸れない。
イルルの瞳が光る。
怒りでもなく、嫉妬でもなく――
深い不安がそこにあった。
「……あいつと、俺、どっちが大事なんだよ」
その問いは、戦闘でも理論でもなく、
ただひたすら揺れる感情そのものだった。
俺が視線を上げると、
イルルの顔がわずかに強張った。
赤い瞳が、胸の内側を必死に押さえつけているみたいだった。
しばらく沈黙が続く。
風が木々を揺らし、焚き火の残り火がふっと弱まる。
イルルはゆっくり息を吐いた。
「……俺はな。
お前の側にいたいんだよ」
言葉は短い。
声は低い。
しかし、そこに揺れる感情は、炎より熱を持っていた。
胸の奥がチリチリと疼くような感覚。
イルルの問いは終わっていなかった。
答えを求めるように、視線だけがこちらを離れずにいる。
静寂の森の中で、炎はゆらめき、二つの視線が確かに重なった。
少し迷いながらも、俺は答えを出すように深呼吸する。
イルルの視線は決して逃げないために。