夜明け前の森には、まだ冷たい静けさが残っていた
焚き火の灰が赤くくすぶり、湿った土の匂いがゆっくり漂っている
少し離れた場所で、イルルが膝を立てたまま座っていた
背中の炎は小さいのに、肩の線だけが妙に固く見える
静かに歩み寄り、その隣に腰を下ろす
足元の枝が小さく鳴り、イルルの耳がわずかに動いた
「……イルル」
名前を呼ぶと、赤い瞳がゆっくりこちらへ向く
怒っている時の鋭さとは違い、どこか迷う色が混じっている
「……なんだよ」
低く返ってきた声は、いつものぶっきらぼうな調子だった
だが語尾の力が少し弱く、呼吸もどこか浅い
しばらく言葉を置かず、森の音だけが流れていく
遠くで鳥が一度だけ鳴き、枝葉がかすかに揺れる
「さっきの話だ」
短くそう言うと、イルルの眉がわずかに動いた
「……どっちが大事かってやつか」
吐き出すように言いながら、足元の灰を指で崩す
指先の炎が小さく灯るが、いつものように暴れない
「不安か」
静かに問う
その瞬間、イルルの手が止まる
沈黙が落ち、焚き火の赤い光だけがゆらめいた
「……チッ」
小さく舌打ちをして、近くの石を蹴る
乾いた音が転がり、森の奥へ消えていった
「不安とか、そんなんじゃねぇよ」
言葉は強いが、視線は地面に落ちたままだった
炎の竜らしい威圧はなく、代わりに息だけが少し荒い
リンクがわずかに揺れ、胸の奥へ感覚が流れ込む
焦れた炎
押し込められた熱
そして――置いていかれる感覚
その静かな違和感を確かめるように言う
「クロの静けさが嫌か」
イルルの肩がぴたりと止まった
沈黙がゆっくり落ちる
やがて、低い声がこぼれる
「……ああ」
吐き出すような肯定だった
赤い瞳が焚き火を見つめたまま動かない
「俺の炎さ」
短く息を吐き、指先の火を見つめる
「近くにいると落ち着くんだよ」
言葉の途中で歯を噛む
「それが気持ち悪い」
炎の竜の声とは思えないほど低い
「炎ってのは燃えるもんだろ」
焚き火の灰を強く踏む
「静かになるもんじゃねぇ」
言いながら顔を上げる
赤い瞳がまっすぐこちらを見る
そこには怒りではなく、焦りに近い色があった
「それに……」
言葉が少し詰まる
呼吸が浅くなり、視線がわずかに揺れる
「お前があいつと繋がってると」
声が小さくなる
「俺の場所、減る気がするんだよ」
炎の竜が初めて見せる弱い声だった
森の空気が静まり返る
葉から落ちた夜露が、地面に小さく弾ける
息をひとつ吐く
答えは長くならない
「減らない」
イルルの眉が上がる
その視線を受けたまま続ける
「イルルは壁だ」
赤い瞳がわずかに揺れる
「ステラは刃」
「ナデンは目」
少し間を置く
「クロは静寂」
焚き火の炎が小さく揺れた
「全部必要だ」
言葉が静かに落ちる
イルルはしばらく黙って炎を見つめていた
やがて腕を組み、視線をこちらへ戻す
「……なら」
低い声が落ちる
「俺の場所、取らせんなよ」
その声にはさっきまでの揺れがない
ゆっくり頷く
森の向こうから、朝の光が差し込み始める
夜がほどけ、冷たい空気がやわらぐ
イルルの炎が、もう一度だけ強く揺れた