朝の光が森の奥からゆっくりと差し込み、夜露の残る葉を淡く照らしていた。焚き火の灰はほとんど白くなり、細い煙だけが静かに上へ伸びている。さっきまでの会話の余韻が残ったまま、森の空気はまだ少し重い。
イルルは腕を組んで立っていた。炎の気配は抑えられているのに、肩の線だけがわずかに張っている。さっき聞いた言葉をどう飲み込むか、まだ決めきれていない顔だった。
その静けさを破るように、背後から軽い声が飛んできた。
「あっ、いたいた、2人はここにいたのか」
振り返ると、ナデンが小走りに近づいてくる。いつもの落ち着いた歩き方ではなく、少し急いでいる様子だった。
「……なんだナデン。何の用だ」
イルルの声は低い。先ほどよりも明らかに棘が増えている。
ナデンは足を止め、二人の顔を見比べてから小さく肩をすくめた。
「うわぁ、さっきよりも機嫌が悪くなっているじゃないイルル」
「別に」
短く吐き捨てるように言うが、腕を組んだ姿勢は崩れない。視線はどこか森の奥を探るように動いている。
ナデンが軽く手を振る。
「それよりも戻るならば早くしないと、その……」
言葉が途中で止まった。
イルルの目が鋭く細くなる。赤い瞳が森の奥を睨んだまま、低い声が落ちた。
「……おい、そこで見ているだろ」
空気がわずかに沈む。
ナデンがきょとんと目を瞬かせる。
「んっ、あれ、クロ」
木立の影に、黒い影が立っていた。
動いていないのに、そこにいると分かる。静かな闇がその場所に溜まっているようだった。
クロは一歩も近づいていない。ただこちらを見ている。
「おい、さっきから見ているだけかよ」
イルルが一歩前へ出る。炎は出していないが、肩から立ち上る熱だけが空気を揺らした。
「ちょっ、イルル」
ナデンが慌てて声を上げる。
クロは少しだけ首を傾けた。
『……そこにいる赤い龍、凄く執着しているから』
その言葉は責める響きではない。観察をそのまま口にしたような声だった。
イルルの眉がぴくりと動く。
「……それは、まぁ」
ナデンが苦笑する。
クロの視線がゆっくりと移る。イルル、ナデン、そして主人公を順に見て、またイルルへ戻る。
『私は気に入っているけど、赤い龍もそっちの龍も私が気に入らない感じ?』
森の空気が少しだけ冷える。
イルルの足がもう一歩前へ出た。
「気に入らねぇ」
短く吐く。
赤い瞳が真っ直ぐクロを射抜く。
「お前は私の大切な群れを壊すような奴だ」
クロは瞬きを一度した。
怒るでもなく、ただ静かに受け止める。
『……そう』
それだけ言って、少しだけ視線を落とす。否定も反論もない。
その沈黙が、逆にイルルの胸の奥をざわつかせた。
しばらく睨み合いのような空気が続く。
やがてイルルが息を吐いた。
「けど」
声が少しだけ変わる。
「一人が嫌な気持ちは私にも分かるから」
ナデンが驚いた顔でイルルを見る。
「イルル」
イルルは腕を組んだまま、クロから目を逸らさない。
そして少しだけ顎を上げた。
「だから、あれだ!」
言葉の勢いが急に上がる。
「お前が私の群れで一緒にいたいならば、認めてやるよ!」
森の空気が一瞬止まる。
イルルが胸を張る。
「私は群れのトップだから」
クロは少しだけ目を見開いた。
その静かな黒い瞳の奥で、長い時間動かなかった何かが、ほんのわずかに揺れたように見えた。