※この作品はR-18です。

むにっとねっとりドラゴン独占生活   作:ボルメテウスさん

4 / 40
選択肢

 夜は静かだった。

 焚き火の音と、風が草を撫でる音だけがある。

 

 ナデンは焚き火から少し離れた場所に座っていた。

 逃げられる距離。

 でも、逃げていない距離。

 

「……なあ」

 

 不意に、ナデンが声を出した。

 

「……あんた」

 

「うん?」

 

 間延びした返事をすると、ナデンは少しだけ眉を寄せる。

 

「……本当に、怖くないのか」

「何が?」

「私が」

 

 視線が鋭くなる。

 さっきまでの怯えとは違う。試す目だ。

 

「竜だぞ。

 人間なら、普通は……」

 

「普通、って言葉、今日何回目だろ」

 

 そう言うと、ナデンは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「……分からない」

 

「じゃあさ」

 

 僕は焚き火に薪を足しながら言う。

 

「ナデンは、僕を怖がってる?」

「……少しは」

「それで襲った?」

「……そうだ」

 

 正直だ。

 

「じゃあ、今は?」

「……」

 

 沈黙。

 その間に、イルルが鼻を鳴らす。

 

「怖いなら、離れればいいだろ」

「……」

 

 ナデンはイルルを見ない。

 代わりに、僕を見る。

 

「……あんたに、聞きたいことがある」

 

「なに?」

 

「……飛び方だ」

 

 その言葉に、イルルがぴくりと反応した。

 

「飛び方?」

 

「そうだ」

 

 ナデンは、ゆっくりと立ち上がる。

 

「私は、飛べない。

 翼がないからな」

 

「うん」

「群れでは、それが全てだった」

 

 淡々とした口調。

 感情を押し殺した、慣れた言い方。

 

「“龍なら飛べ”

 “飛べないなら、龍じゃない”

 ……ずっと、それだけだった」

 

 イルルが口を開く。

 

「……事実だ」

「分かってる」

 

 ナデンは即座に返す。

 

「だから、あんたに聞きたい」

 

 真っ直ぐに、僕を見る。

 

「……私は、どう飛べばいい?」

 

 一瞬、言葉を失った。

 

「……えっと」

 

 視線を逸らし、少し考える。

 

「……ごめん。

 僕、飛べないし」

 

 ナデンが目を瞬かせる。

 

「……は?」

「だって、人間だし」

 

 当たり前のことを言ったつもりだったが、

 ナデンは困惑した顔をした。

 

「……じゃあ、なぜ聞いた」

「相談されたから」

 

 それだけだ。

 

「……答えられないだろ」

「答えられないよ」

 

 あっさり言う。

 

「でも、考えることはできる」

 

 ナデンが、わずかに身を乗り出す。

 

「……どういう意味だ」

 

「飛ぶ、ってさ」

 

 僕は焚き火を見つめながら言う。

 

「空に浮くことだけ、なのかな」

 

「……何を言っている」

 

「だって、ナデンは速い」

 

 顔を向ける。

 

「地面を使って、風を読んで、

 僕が見た中じゃ、一番移動が上手かった」

 

 ナデンの目が、揺れる。

 

「……それは……

 逃げるためだ」

 

「それ、悪いこと?」

 

「……」

 

「生きるための動きだよ」

 

 言葉を選ばず、続ける。

 

「空を使わなくても、

 地を使う龍がいてもいい」

 

 ナデンの喉が鳴る。

 

「……そんなこと……

 誰も言わなかった」

 

「そっか」

 

 僕は、少し笑った。

 

「じゃあ、今言った」

 

 沈黙。

 

 風が吹き、焚き火が揺れる。

 

「……あんた」

 

 ナデンの声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「私を……

 “直そう”としないな」

 

「直す必要、ある?」

 

「……」

 

 ナデンは、ゆっくりと座り直した。

 さっきより、少し近い。

 

「……群れではな」

 

 ぽつりと。

 

「誰かに認められるためには、

 変わるしかなかった」

 

「うん」

「でも、あんたは……」

 

 視線が合う。

 

「変わらなくていい、と言う」

 

「言ってないよ」

 

「……?」

 

「“別のやり方がある”って言っただけ」

 

 その言葉に、ナデンは目を閉じた。

 

「……それが、一番困る」

 

 小さく笑う。

 

「……でも、嫌じゃない」

 

 その時、イルルが腕を組んで言った。

 

「……こいつは、そういう奴だ」

「……知ってる」

 

 ナデンは、初めてイルルを見る。

 

「……だから、危険だ」

「……そうかもしれないな」

 

 ナデンは、再び僕を見る。

 

「……もう少し、話してもいいか」

「もちろん」

 

 即答した。

 

「……じゃあ」

 

 ほんの少し、間を置いて。

 

「……傍にいる」

 

 宣言ではない。

 許可を求める声。

 

 イルルの殺気が、ほんの一瞬だけ立ち上がるが――

 すぐに引っ込む。

 

「……勝手にしろ」

「ありがとう」

 

 ナデンは、初めてはっきりと笑った。

 

 それは、

 群れに入った笑顔ではなかった。

 

 でも――

 誰かの傍にいることを、選んだ顔だった

 夜が明けかけていた。

 焚き火はすでに小さく、灰の中に赤い名残が残っているだけだった。

 

 イルルは少し離れた岩に腰掛け、腕を組んで目を閉じている。

 眠っているようにも見えるけれど、たぶん違う。

 ドラゴンは、そういうふりが得意だ。

 

 ナデンは、そのイルルからも、僕からも、少し距離を取って立っていた。

 逃げるための距離。

 でも、逃げないと決めた距離。

 

「……なあ」

 

 静かな声で、ナデンが呼ぶ。

 

「どうしたの?」

「……朝になったら、あんたたちは行くんだろう」

 

「うん。目的地があるから」

 

 それを聞いて、ナデンは小さく息を吐いた。

 

「……そうか」

 

 それだけ言って、黙る。

 何かを言いたいのに、言葉が見つからない沈黙。

 

「ナデン」

 

 名前を呼ぶと、少し驚いた顔でこちらを見る。

 

「……なに」

「無理に話さなくてもいいよ」

 

 そう言うと、彼女は眉をひそめた。

 

「……そういうところだ」

 

「え?」

「……いや」

 

 否定するように首を振り、少しだけ逡巡してから、口を開く。

 

「……私はな」

 

 ゆっくり、言葉を選ぶ。

 

「どこにも、行く場所がない」

 

 その言葉は、重かった。

 嘆きでも、同情を引くためでもない。

 事実を、そのまま置いた声。

 

「群れには戻れない。

 戻っても、また“ワーム”だ」

 

 イルルの方をちらりと見るが、視線は合わない。

 

「人間の国に近づけば、

 捕まるか、狩られるかだ」

 

 ナデンは、そこで一度言葉を切る。

 

「……だから、今までは

 “一人でいる”しかなかった」

 

 風が吹き、草が揺れる。

 

「……でも」

 

 ナデンの声が、少しだけ揺れた。

 

「昨日、あんたと話して……

 初めて、“別の選択”を考えた」

 

「別の選択?」

 

「そうだ」

 

 彼女は、まっすぐ僕を見る。

 

「私は、飛べない。

 それは変わらない」

 

 はっきりとした口調。

 

「でも……

 それを理由に、どこにも属してはいけない、

 という決まりは……なかった」

 

 その言葉に、胸が少し温かくなる。

 

「……うん」

 

「だから……」

 

 ナデンは、一歩、こちらに近づいた。

 逃げられる距離を、自分から縮める。

 

「……あんたたちと、行きたい」

 

 静かな宣言。

 

「群れに入る、とかじゃない。

 命令される気もない」

 

 はっきりと前置きする。

 

「ただ……

 あんたの傍で、もう少し考えたい」

 

 その瞬間だった。

 

「――だめだ」

 

 低い声。

 殺気ではない。

 露骨な、拒絶。

 

 イルルが目を開けていた。

 

「……イルル」

 

 ナデンは一瞬身構えたが、逃げなかった。

 

「理由は?」

「こいつは私の群れだ」

 

 即答。

 

「お前みたいな、正体不明の竜を近づける理由がねぇ」

「……正体不明?」

 

 ナデンは、苦く笑う。

 

「確かに、そうだな」

 

 それでも、引かない。

 

「だからこそ、だ」

 

「……は?」

 

 イルルが眉をひそめる。

 

「私は、群れを欲しがっていない。

 奪うつもりもない」

 

 ちらりと僕を見る。

 

「……でも、離れる理由も、なくなった」

 

 その言葉に、イルルの殺気が一瞬だけ膨らむ。

 

「おい」

「イルル」

 

 僕は、そっと名前を呼んだ。

 

「……この人、自分から来たいって言ってる」

 

「だから何だ」

「強制じゃない」

 

 ナデンが、静かに続ける。

 

「私は、あんたの“下”に行くつもりはない。

 でも……」

 

 視線が、僕に戻る。

 

「この人の判断なら、受け入れられる」

 

 その言葉に、イルルが歯噛みする。

 

「……本当に、腹立つな」

「ごめん」

「謝るな」

 

 イルルは立ち上がり、ナデンを睨む。

 

「条件がある」

「聞こう」

 

「こいつに、手を出すな」

「最初から、そのつもりはない」

「私より、前に出るな」

「……善処する」

 

 一拍。

 

「私が嫌だと言ったら、離れろ」

「……それは、あんた次第だな」

 

 イルルの眉が跳ねる。

 

「……ふん」

 

 しばらく睨み合った後、イルルは視線を逸らした。

 

「……勝手にしろ」

 

 それは、イルルなりの許可だった。

 

 ナデンは一瞬驚き、

 それから、ゆっくりと頭を下げる。

 

「……感謝する」

 

 そして、僕を見る。

 

「……いいか」

「もちろん」

 

 笑って答えると、ナデンは小さく息を吐いた。

 

「……不思議だな」

 

「何が?」

「居場所を、

 自分で選べたのは……初めてだ」

 

 そう言って、ほんの少しだけ距離を詰める。

 

 イルルが、ぼそっと呟いた。

 

「……増えたな」

「え?」

「面倒が」

 

 でも、その声は――

 どこか、許していた。

 

 こうしてナデンは、

 群れに入るわけでもなく、

 追い払われることもなく。

 

 自分の意思で、同行を選んだ。

 

 それが、

 この世界で何より難しい選択だと、

 彼女は、もう知っていたから。。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。