※この作品はR-18です。

むにっとねっとりドラゴン独占生活   作:ボルメテウスさん

5 / 40
ナデンの重圧

 歩きながら、ナデンの背中を何度も視界の端で追っていた。前を行くイルルとは違い、彼女は一定の距離を保って歩いている。その距離が、近づきすぎないよう計算されたものだと分かるからこそ、胸の奥が少しだけざわついた。逃げないと決めた人間が、それでも逃げ道を残している。その中途半端さが、今の彼女そのものだった。

 

「……なあ」

 

 呼ばれた瞬間、胸が僅かに強く打った。問いが来る予感がしたからだ。こういう間の後に来る言葉は、たいてい軽くない。

 

「どうしたの?」

 

 振り返ると、ナデンは一瞬だけ視線を伏せた。言葉を探しているというより、言っていいかどうかを測っている表情だった。その逡巡に、こちらまで緊張してしまう。

 

「……私は、邪魔じゃないのか」

 

 あまりに真っ直ぐで、言い訳も飾りもなかった。その声音には、怯えも自己憐憫もない。ただ、何度も突きつけられてきた評価を、そのまま確認するための問いだった。

 

「同行すると言ったが……あんたたちには、元々やることがあるんだろう。私は……戦い方も、竜としては半端だ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに引っかかった。半端。役に立たない。価値が足りない。その手の言葉は、この世界に来てから何度も耳にしている。だからこそ分かる。彼女は今、僕の評価を聞いているんじゃない。切り捨てられるタイミングを、自分から確認しに来ている。

 

「今さらだな。邪魔なら、最初から連れてきてねぇ」

 

 イルルの言葉はぶっきらぼうだったが、それで安心できるほど、ナデンの不安は浅くない。彼女の視線は、イルルを通り越して、こちらに向いていた。

 

「……あんたは、どう思う」

 

 逃げ道のない問いだった。取り繕えば分かる。濁せば、もっと深く傷つける。だから、考えるより先に、言葉が出た。

 

「邪魔だと思ったことはないよ」

 

 自分でも驚くほど、自然だった。取り繕う理由が見つからなかった。

 

「でも、それは……役に立つとか、そういう意味じゃない」

 

 彼女の表情が微かに強張る。期待と諦めが同時に混ざった顔だった。条件付きの肯定を、もう何度も経験してきた人の顔だ。

 

「ナデンがいると、話ができる。考え方が増える。それって、結構大事だと思う」

 

 沈黙が落ちた。その沈黙の重さが、彼女がこの言葉をどう受け取るかを物語っていた。

 

「……それは、条件か」

 

 低い声。疑念というより、確認だった。

 

「役に立つなら、いていい。考え方を出せるなら、価値がある。……それなら、私は……いつか、また失う」

 

 その一言で、はっきりと分かった。彼女が恐れているのは否定じゃない。肯定の期限だ。価値がなくなった瞬間に切り捨てられる未来を、もう何度も見てきたのだろう。

 

「違うよ」

 

 反射的に首を振っていた。

 

「条件じゃない」

 

「……なら、なんだ」

 

 声が、ほんの少しだけ揺れた。その揺れに気づいた瞬間、ここで誤魔化したら駄目だと思った。

 

 立ち止まり、ナデンと向き合う。視線を逸らさずに言葉を選ぶ。選んでいるようで、実はもう決まっていた。

 

「いていい、じゃなくてさ」

 

 一度、息を整える。

 

「いてほしい」

 

 口に出してから気づいた。これが自分の本音だったのだと。理由を並べる必要がないほど、自然に胸に落ちていた。

 

「ナデンがいると、安心する。分からないことを、一緒に考えられる人がいるって、心強い」

 

 ナデンの動きが完全に止まった。理解が追いつかない、というより、理解してはいけない言葉を聞いた時の反応だった。

 

「……私が……?」

 

「うん」

 

 迷いなく頷く。

 

「飛べるとか、強いとか、そういうの抜きで」

 

 長い沈黙が落ちた。彼女の肩が小さく震えているのが分かる。泣いているわけじゃない。ただ、これまで積み上げてきた“評価の基準”が、音を立てて崩れている。

 

「……おかしいな」

 

 掠れた声。

 

「……そんな言い方をされたのは……初めてだ」

 

 顔を上げたナデンの目は潤んでいたが、涙はなかった。その代わりに、戸惑いと安堵が同居している。

 

「……私は、ずっと“足りない”と言われてきた。飛べない。群れに向かない。価値が低い」

 

 言い慣れた言葉だ。自分に言い聞かせるための言葉。

 

「……でも、あんたは……足りない、と言わない」

 

「足りてる、って言ってるつもりもないよ」

 

 正直に答える。

 

「ただ……そのままで、いいんじゃないかなって」

 

 その瞬間、ナデンははっきりと息を呑んだ。理解してしまった、という顔だった。

 

「……それは……反則だ」

 

「え?」

 

「そんなふうに言われたら……」

 

 一歩、こちらに近づく。逃げ道として保っていた距離を、自分から手放す動き。

 

「……離れられなくなる」

 

 胸が、少しだけ熱くなった。好意を向けられたからじゃない。彼女が、自分の意思で誰かを選ぼうとしているのが分かったからだ。

 

「おい」

 

 イルルの低い声が割り込む。

 

「勘違いするな。こいつは私の群れだ」

 

 ナデンは落ち着いた顔でイルルを見る。

 

「……分かっている」

 

 それから、再びこちらを見る。

 

「だから、奪うつもりはない。ただ……」

 

 ほんの少し、距離を詰める。

 

「この人の傍にいたい。それだけだ」

 

 宣言でも、挑発でもなかった。ただの事実だった。

 

 イルルは舌打ちし、視線を逸らす。

 

「……増えるな、厄介なのが」

「ごめん?」

「謝るな」

 

 拒絶はなかった。

 

「……私は、飛べない龍だ」

 

「知ってる」

 

「それでも……」

 

 一拍置いて。

 

「……それでも、ここにいていいんだな」

 

 迷わず頷いた。

 

「うん。一緒に行こう」

 

 その瞬間、ナデンの表情がはっきりと変わった。怯えでも警戒でもない。決意と安堵、そして確かな好意が混ざった顔だった。

 

「……そうか」

 

 小さく息を吐く。

 

「……なら、私はもう……あんたから離れない」

 

 それは誓いではなく、選択だった。飛べない龍はこの日、自分の価値を証明する場所ではなく、自分で選んだ居場所を手に入れた。そして、その中心に立っていたのが、たまたま少し変わった人間だっただけの話だ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。