燃え残った匂いが、ゆっくりと薄れていく。魔獣の群れは完全に沈黙し、森にはようやく元の静けさが戻っていた。緊張が解けたことで、身体の奥に溜まっていた疲労が一気に表に出てくる。ナデンは深く息を吐き、無意識のうちに拳を握っていた。さっきまで繋がっていた感覚が薄れ、自分がまた一人分の視界に戻ったことを、少しだけ惜しいと感じている自分に気づく。
「……終わったな」
イルルが肩を回しながら言う。声音は平坦だが、内側に残った苛立ちが完全には消えていないのが分かった。
「群れが崩れた後は、やっぱり早かった」
ナデンは素直にそう言った。事実だ。最後の一掃は、力の差を見せつけるようなものだった。
「当然だ。ああなったら、迷う理由がない」
「……それが、最初から出来ない状況だったから、さっきは意味があったんだ」
ナデンの言葉に、イルルの眉がわずかに動く。
「結果論だろ」
「違う」
間髪入れずに返す。
「力が強いのは事実だ。でも、あの群れは力を使うほど増幅した。あんたが最初に前に出ていたら、被害はもっと広がっていた」
空気が、ぴんと張る。
「……だから?」
イルルの声が低くなる。
「だから、今回は私の戦い方が適していた。それだけだ」
一歩も引かない言い方だった。挑発ではない。ただの事実確認だ。
「……ふん」
イルルは鼻で笑う。
「制御だの分断だの、回りくどい。結局、私が焼いた」
「最後だけだ」
「最後で十分だろ」
その瞬間、ナデンの視線が鋭くなる。
「それは、私が“核”を潰した後の話だ」
一瞬、沈黙が落ちる。二人の間に、見えない火花が散った。
僕は、二人の視線の間に立つように一歩前へ出る。
「……二人とも」
声をかけると、イルルがちらりとこちらを見る。
「何だ」
「どっちが上か、って話じゃないと思う」
言葉を選ぶ。今の空気は、少し触れただけで割れそうだった。
「イルルの力がなかったら、最後は詰めきれなかった。ナデンの制御がなかったら、最初から詰んでた」
ナデンは黙り込み、イルルは腕を組んだ。
「……だから、役割が違っただけだと思う」
それを聞いて、イルルが舌打ちする。
「……気に食わねぇ言い方だな」
「でも、間違ってない」
ナデンが静かに言う。
「私は、あの群れを一人では見切れなかった。感覚共有があったから、出来た」
一瞬、視線がこちらに向く。
「……あんたがいなければ、私は途中で判断を誤っていた」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「……別に、特別なことはしてないよ」
「それが、特別なんだ」
ナデンははっきり言った。
「力の大きさじゃなくて、見え方を共有する。そんな戦い方、群れでは誰も教えなかった」
「……群れ、ね」
イルルが呟く。
「お前の元いた場所が、どんなだったかは知らん」
「知っている必要はない」
ナデンは、イルルを真っ直ぐに見る。
「ただ、一つだけ言わせてくれ」
「何だ」
「私は、あんたみたいな竜が嫌いだった」
はっきりした言葉だった。
「力で序列を決めて、上に立つ者のやり方を正解だと言う。飛べない私は、ずっと“間違い”だった」
イルルの瞳が、細くなる。
「……だからと言って、私のやり方が間違いだとは言わせねぇ」
「言っていない」
ナデンは首を振る。
「ただ……あんたのやり方“だけ”が正解じゃない、と言っている」
しばらく、二人は睨み合った。だが、殺気はない。これは敵意ではなく、価値観のぶつかり合いだった。
「……面倒な奴だ」
先に視線を逸らしたのは、イルルだった。
「褒め言葉だ」
ナデンは小さく笑う。
「……だが」
イルルが、ぼそりと続ける。
「今日の戦いは……悪くなかった」
ナデンの目が、僅かに見開かれる。
「それは、評価と受け取っていいのか」
「好きにしろ」
そう言い残し、イルルは背を向けた。
その背中を見送りながら、ナデンは小さく息を吐く。
「……あの竜」
「怖い?」
「いいや」
首を振る。
「分かりやすい。だから、まだ話せる」
そして、こちらを見る。
「……あんたが間にいる限りはな」
その言葉に、苦笑が漏れた。
まだ噛み合わない部分が多い。だが、それぞれの役割と距離が、確かに形を持ち始めていた。力の竜と、制御の龍と、戦えない中心。その歪な組み合わせが、これから先も続いていくのだと、何となく予感していた。