フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き- 作:宇多川志木
『今、通話しても大丈夫ですか?』
もはや誰からも見放され、黙りこくっていたメッセージアプリからの突然の通知。
その内容とアイコンを見た瞬間、
「あっ……!!」
送信者の主は、
どうして、今更になって。
しかし瑠衣は飛び起きて、すぐに通話をかけた。
「……もしもし、Kさん?」
『……見ていましたよ、獣さん……いや、”有村瑠衣”さん』
スピーカーから流れるKの声は、相変わらず感情の起伏が乏しく、それゆえに冷徹な響きを持っていた。
『あなたの正体が世界に暴かれ、腐敗していく様は、美しかった』
「……私のこと、見てくれていたんですね」
『ええ。荒廃した部屋で排泄物にまみれるあなたは、確かに一つの完成された絶望でした』
Kは一呼吸置き、続けた。
『――――ですが、少し物足りなくなってきました』
「……えっ」
どういう意味なのか。
Kは言葉を継いだ。
『今のあなたは、秩序を完全に失った薄汚い魔物です。それもまた一興ですが、私が魅せられた「有村瑠衣」の本質はそこではない。
清廉潔白な聖女の皮を被りながら、その内側で獣を飼っている……その、圧倒的な対比、”コントラスト”こそが、あなたの至高の魅力なのです』
対比。コントラスト。
その言葉が、瑠衣の脳内でリフレインした。
『もう一度、あなたをフィルムに収めたい。
完璧なピアニストたるあなたが、最も野蛮な行為をする、その瞬間を。
……お付き合い、いただけますか?』
「……はい。是非」
通話が切れると、瑠衣はそのまま部屋の掃除に取り掛かった。
Kは何も変わっていない。自分のことを被写体としか見ていない。
だが、何もかもが腐り落ちてしまった今、彼の変わらなさが救いのように思えた。
腐敗の時間は終わりだ。
再び、彼の被写体として「復活」するのだ。
***
数日後。
Kが瑠衣の自宅マンションを訪れた時、そこには急ピッチでこしらえた空間ができていた。
リビングの一角だけが狂気的なまでに掃除され、ゴミが撤去されている。
出迎えた瑠衣の髪は丁寧に洗われ、トリートメントで艶を取り戻し、緩やかに巻かれている。
肌の汚れは落とされ、透き通るようなナチュラルメイクが施されている。
身に纏っているのは、クローゼットの奥から引っ張り出した、新品同様の純白のオートクチュールドレス。
デコルテと背中が大きく開いたそのドレスは、彼女の豊満な肢体を優雅に包み込んでいた。
「……素晴らしい」
Kは瑠衣の全身をまじまじと見て、感嘆のため息を漏らした。
「やはり、あなたは美しい。その皮を被ってこそ、中身の怪物が引き立つ」
瑠衣は、淑女の微笑みを浮かべてKを出迎えた。
だが、Kには見えている。
その優雅なドレスの袖口から、わずかに覗く脇の剛毛が。
そして、歩くたびにドレスの下で擦れ合う手付かずの陰毛と、下着をつけていない秘部の存在が。
Kは無言で照明をセットし、愛機の一眼レフを構えた。
「始めましょう。テーマは『リサイタルの幕開け』です。
あなたは今、満員の観衆の前に立っている。最高の笑顔で、挨拶をしなさい」
瑠衣は頷き、カメラに向かって優雅にお辞儀をした。
シャンデリアの光が、彼女の白い肌とドレスを照らす。
完璧な美。誰が見ても溜息をつくような、高貴なピアニスト。
「そのまま。笑顔を崩さずに……出しなさい」
Kの命令は、冷たく、鋭かった。
瑠衣は、ドレスの裾を少しも乱すことなく、直立したまま、下腹部に力を込めた。
「んっ……、はい……」
優雅な微笑みを浮かべたまま、彼女の括約筋が緩む。
慣れない体勢での排泄行為に足が震えそうになるが、必死に堪え、笑みを保つ。
誰にも見えないドレスの内側で、温かく、重い固形物が肛門から押し出される。
ボトッ、ボトボト……。
鈍い音が床に響く。
それと同時に、強烈な異臭が漂い始める。
だが、瑠衣は表情一つ変えない。聖女の仮面を完璧に維持している。
その乖離こそが、Kの求めた芸術だった。
「いいぞ……。顔は
「……つまりエキドナか?」
Kのぶつぶつとした呟きとともに、シャッター音が加速する。
固形物に続き、尿が溢れ出す。
ここからが、コントラストの真骨頂だった。
純白のドレスの太もも部分に、黄色いシミがじわりと広がり始めたのだ。
軽やかだったシルクの裾が、排泄物の重みでズシリと下へ引かれる。高価な生地が、汚物に濡れて肌に張り付き、その下にある濃密な陰毛のシルエットを黒々と浮き上がらせる。
温かい汚泥を吸った布地は、瑠衣の太ももに、まるで第二の皮膚のようにベットリと張り付いた。
「ああ……その汚れこそが美しい! 白ければ白いほど、汚れは鮮烈だ!」
Kは這いつくばり、汚れていくドレスの裾と、そこから滴り落ちる汚物を接写した。
瑠衣は、足元に広がる温かい水溜まりと、太ももを伝う固形物の感触に、脳が焼き切れるほどの快楽を感じていた。
再びKに、最も美しい姿で、最も汚い瞬間を記録されている。
その事実が、彼女の自尊心を極限まで満たした。
「ふふ……、あはっ……」
我慢できず、聖女の笑みが崩れ、恍惚とした獣の笑みが漏れる。
Kはその瞬間を見逃さなかった。
ドレスは見るも無惨に茶色と黄色で汚染され、悪臭を放っている。
しかし、その汚泥の中に立つ瑠衣は、廃人として腐っていた時よりも遥かに輝き、神々しいまでの生命力を放っていた。
「……撮れましたよ、瑠衣さん。最高傑作だ」
全てを出し尽くした後、Kはカメラを下ろした。
瑠衣は、汚物にまみれたドレスのまま、Kの側に寄り添った。
「Kさん、ありがとう。やっぱり、Kさんに撮られている時が、一番気持ちいい」
「……それは、良かったです」
Kの顔からほんの少し、笑みがこぼれたように見えた。
「また、撮ってね。もう私、Kさんしかいないんだから」
「もちろんです。あなたのその生き様を、記録係として見届けさせていただきます」
二人はお互いの顔を見て、そしてどちらからともなく固い握手を交わした。
ドレスアップした異形と、狂気のカメラマンの契約更新。
破滅へと向かう二人の、新たな
「それでは、この潔癖な世界に投げ込んでやりましょう。私たちの『不和の林檎』を」