※この作品はR-18です。

フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き-   作:宇多川志木

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02 復活のアン・ドゥ・トロワ

『今、通話しても大丈夫ですか?』

 

 

もはや誰からも見放され、黙りこくっていたメッセージアプリからの突然の通知。

その内容とアイコンを見た瞬間、有村(ありむら)瑠衣(るい)の虚ろだった瞳に、生気が宿った。

 

「あっ……!!」

 

送信者の主は、K(ケー)。

どうして、今更になって。

しかし瑠衣は飛び起きて、すぐに通話をかけた。

 

 

「……もしもし、Kさん?」

『……見ていましたよ、獣さん……いや、”有村瑠衣”さん』

 

スピーカーから流れるKの声は、相変わらず感情の起伏が乏しく、それゆえに冷徹な響きを持っていた。

 

『あなたの正体が世界に暴かれ、腐敗していく様は、美しかった』

「……私のこと、見てくれていたんですね」

『ええ。荒廃した部屋で排泄物にまみれるあなたは、確かに一つの完成された絶望でした』

 

Kは一呼吸置き、続けた。

 

『――――ですが、少し物足りなくなってきました』

 

「……えっ」

 

どういう意味なのか。

Kは言葉を継いだ。

 

『今のあなたは、秩序を完全に失った薄汚い魔物です。それもまた一興ですが、私が魅せられた「有村瑠衣」の本質はそこではない。

 

 清廉潔白な聖女の皮を被りながら、その内側で獣を飼っている……その、圧倒的な対比、”コントラスト”こそが、あなたの至高の魅力なのです』

 

対比。コントラスト。

その言葉が、瑠衣の脳内でリフレインした。

 

『もう一度、あなたをフィルムに収めたい。

 

 完璧なピアニストたるあなたが、最も野蛮な行為をする、その瞬間を。

 

 ……お付き合い、いただけますか?』

 

 

「……はい。是非」

 

 

通話が切れると、瑠衣はそのまま部屋の掃除に取り掛かった。

Kは何も変わっていない。自分のことを被写体としか見ていない。

だが、何もかもが腐り落ちてしまった今、彼の変わらなさが救いのように思えた。

 

腐敗の時間は終わりだ。

再び、彼の被写体として「復活」するのだ。

 

 

***

 

 

数日後。

 

 

Kが瑠衣の自宅マンションを訪れた時、そこには急ピッチでこしらえた空間ができていた。

リビングの一角だけが狂気的なまでに掃除され、ゴミが撤去されている。

 

出迎えた瑠衣の髪は丁寧に洗われ、トリートメントで艶を取り戻し、緩やかに巻かれている。

肌の汚れは落とされ、透き通るようなナチュラルメイクが施されている。

 

身に纏っているのは、クローゼットの奥から引っ張り出した、新品同様の純白のオートクチュールドレス。

デコルテと背中が大きく開いたそのドレスは、彼女の豊満な肢体を優雅に包み込んでいた。

 

「……素晴らしい」

 

Kは瑠衣の全身をまじまじと見て、感嘆のため息を漏らした。

 

「やはり、あなたは美しい。その皮を被ってこそ、中身の怪物が引き立つ」

 

瑠衣は、淑女の微笑みを浮かべてKを出迎えた。

だが、Kには見えている。

その優雅なドレスの袖口から、わずかに覗く脇の剛毛が。

そして、歩くたびにドレスの下で擦れ合う手付かずの陰毛と、下着をつけていない秘部の存在が。

 

 

Kは無言で照明をセットし、愛機の一眼レフを構えた。

 

「始めましょう。テーマは『リサイタルの幕開け』です。

 あなたは今、満員の観衆の前に立っている。最高の笑顔で、挨拶をしなさい」

 

瑠衣は頷き、カメラに向かって優雅にお辞儀をした。

シャンデリアの光が、彼女の白い肌とドレスを照らす。

完璧な美。誰が見ても溜息をつくような、高貴なピアニスト。

 

「そのまま。笑顔を崩さずに……出しなさい」

 

Kの命令は、冷たく、鋭かった。

瑠衣は、ドレスの裾を少しも乱すことなく、直立したまま、下腹部に力を込めた。

 

「んっ……、はい……」

 

優雅な微笑みを浮かべたまま、彼女の括約筋が緩む。

慣れない体勢での排泄行為に足が震えそうになるが、必死に堪え、笑みを保つ。

誰にも見えないドレスの内側で、温かく、重い固形物が肛門から押し出される。

 

 

ボトッ、ボトボト……。

 

 

鈍い音が床に響く。

それと同時に、強烈な異臭が漂い始める。

 

だが、瑠衣は表情一つ変えない。聖女の仮面を完璧に維持している。

その乖離こそが、Kの求めた芸術だった。

 

「いいぞ……。顔は女神(ヴィーナス)、股間は水蛇(ヒュドラ)だ」

「……つまりエキドナか?」

Kのぶつぶつとした呟きとともに、シャッター音が加速する。

 

 

固形物に続き、尿が溢れ出す。

ここからが、コントラストの真骨頂だった。

純白のドレスの太もも部分に、黄色いシミがじわりと広がり始めたのだ。

 

軽やかだったシルクの裾が、排泄物の重みでズシリと下へ引かれる。高価な生地が、汚物に濡れて肌に張り付き、その下にある濃密な陰毛のシルエットを黒々と浮き上がらせる。

温かい汚泥を吸った布地は、瑠衣の太ももに、まるで第二の皮膚のようにベットリと張り付いた。

 

「ああ……その汚れこそが美しい! 白ければ白いほど、汚れは鮮烈だ!」

 

Kは這いつくばり、汚れていくドレスの裾と、そこから滴り落ちる汚物を接写した。

 

瑠衣は、足元に広がる温かい水溜まりと、太ももを伝う固形物の感触に、脳が焼き切れるほどの快楽を感じていた。

 

再びKに、最も美しい姿で、最も汚い瞬間を記録されている。

その事実が、彼女の自尊心を極限まで満たした。

 

「ふふ……、あはっ……」

 

我慢できず、聖女の笑みが崩れ、恍惚とした獣の笑みが漏れる。

Kはその瞬間を見逃さなかった。

 

ドレスは見るも無惨に茶色と黄色で汚染され、悪臭を放っている。

しかし、その汚泥の中に立つ瑠衣は、廃人として腐っていた時よりも遥かに輝き、神々しいまでの生命力を放っていた。

 

 

「……撮れましたよ、瑠衣さん。最高傑作だ」

 

全てを出し尽くした後、Kはカメラを下ろした。

瑠衣は、汚物にまみれたドレスのまま、Kの側に寄り添った。

 

「Kさん、ありがとう。やっぱり、Kさんに撮られている時が、一番気持ちいい」

「……それは、良かったです」

Kの顔からほんの少し、笑みがこぼれたように見えた。

 

「また、撮ってね。もう私、Kさんしかいないんだから」

「もちろんです。あなたのその生き様を、記録係として見届けさせていただきます」

 

二人はお互いの顔を見て、そしてどちらからともなく固い握手を交わした。

ドレスアップした異形と、狂気のカメラマンの契約更新。

破滅へと向かう二人の、新たな共犯関係(ワルツ)の始まりだった。

 

 

「それでは、この潔癖な世界に投げ込んでやりましょう。私たちの『不和の林檎』を」

 

 

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