フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き- 作:宇多川志木
鉄の扉を開くと、そこには漆黒の闇に浮かぶ、異様な「晩餐会」の席が用意されていた。
スタジオは、外界の喧騒を完全に遮断し、時間を17世紀のバロック時代へと巻き戻していた。
闇の中に浮かび上がるのは、長いマホガニーのダイニングテーブル。その上には糊の効いた純白のクロスが掛けられ、磨き上げられたアンティークの銀食器と、薄いクリスタルグラスが整然と並んでいる。
唯一の光源は、テーブルの中央に置かれた巨大な燭台。数本の蝋燭が頼りなく揺らめき、その暖色の光が、周囲の闇をより一層深く、冷たく際立たせていた。
「……すごい。こんな家具とか食器とか、よく揃えられたね」
有村瑠衣はまじまじとセットを眺めた。
「いえいえ。瑠衣さんが惜しみなく予算を投じてくれたお陰です」
暗がりでカメラのセッティングをしているK。
「じゃあ、脱ぐね」
「はい、準備お願いします」
今日は新たな写真集に向けた撮影となる。今回のテーマは「ヴァニタス」、虚しさの表現だと聞いている。
瑠衣はバスローブを脱ぎ捨て全裸となり、撮影空間へと足を踏み入れた。 空調の効いたスタジオの冷気が、彼女の裸身を撫でる。しかし彼女は、これから始まる儀式への期待で、身体の内側から熱を帯びていた。
彼女が身に纏うのは、富と権力の象徴だ。 首元には大粒のダイヤモンドとパールのネックレス。その冷ややかな重みが、鎖骨に食い込む。手首には、照明を反射してギラギラと輝く宝石のブレスレット。 髪は貴婦人のように高く結い上げられ、唇には血が滲んだような深紅のルージュが引かれている。
全裸の獣でありながら、王侯貴族のような気品。そのアンバランスさが、彼女の存在をこの世ならざるものにしていた。
(この宝石、一体いくらくらいするんだろう……)
きらびやかなネックレスを首にかけながら、瑠衣は思案する。本当に自分が提供した資金で足りたのだろうか?
「……いや、実に淫靡だ。現代に降臨した大淫婦バビロンですね」
装飾を整えた瑠衣の姿を見て、Kが呟いた。
「バビロンって、いつだったかも言ってなかった?」
「おや、そうでしたか?いやはや、すぐそういったことが口に出てしまうもので……」
瑠衣の指摘に、Kは珍しく照れたように首元に手を当てた。
「では、テーブルへ」
Kの静かな指示に従い、瑠衣はダイニングテーブルへと手をかけた。 食事をするための神聖な台座に、土足ならぬ素足で這い上がる。 膝がテーブルクロスを押し沈め、銀食器が触れ合ってカチャリと微かな音を立てた。 その背徳的な音が、瑠衣の神経を鋭敏に研ぎ澄ませていく。
「んっ……」
彼女は食器を蹴散らさないよう慎重に、しかし大胆に四つん這いになった。
漆黒で囲われた獣性が、露わになる。
「ああ……素晴らしい。求めていた挑発的なポーズだ」
Kの感嘆が漏れ、そしてフラフラと瑠衣に近寄ってきた。
「……あの、久々に、いいですか?」
「え?」
相変わらず許可を待たず、Kは密林の生い茂る腋に鼻を押し当てた。
「はぁああっ!たまらない臭い!これをカメラに収められないのが勿体ない!!」
「Kさんって本当に訳わからないですよね……」
歓喜するKを見ながら、瑠衣は呆れたように呟く。腕は組みたがらないくせに、脇の臭いは嗅ぎたいのか。
彼の屈折した価値観を理解できる者など、誰もいないだろう。
気を取り直し、撮影の準備に移る。
彼女の目の前には、何も乗っていない白磁の大皿が鎮座している。 本来であれば、極上のローストや果実が盛られるべき場所。
瑠衣はゆっくりと体の向きを変え、その純白の皿の上に、自身の臀部を配置した。
蝋燭の光が、彼女の陶磁器のように白い肌と、首元のダイヤモンドの輝きを妖しく浮かび上がらせる。 文明の象徴である食卓の上で、最も原始的な獣の姿を晒す女。
シャッター音が響き始めた。その音は、静寂を切り裂くナイフのようだった。
「美しい……。『秩序の崩壊』だ」
Kの賛辞が、瑠衣の脳髄を痺れさせる。 彼女の下腹部に、重く、熱い塊が降りてきた。食欲と排泄欲。生命の入口と出口。そのサイクルをこの場で短絡させ、いよいよ文明への破壊衝動を突きつける。
「そろそろ、良いですか」
「……うん」
「では、―――出しなさい。」
その言葉が引き金だ。 瑠衣は大皿を見下ろしながら、括約筋の力を緩めた。
「……んっ、……ふぅ……」
艶めかしい吐息と共に、秘部が開かれる。蝋燭の揺らめきが、彼女の股間から現れる異物を劇的に照らし出した。
――― ゴトッ、ヌチャ……。
重みのある音が静寂を破った。床や土の上とは違う、陶磁器の上だからこそ響く、無機質で冷酷な着弾音だった。
白磁の大皿の上に、いつもより密度の高い固形物が落下する。それはライティングの妙技によって、立ち昇る湯気までもが克明に写し出されていた。ダイヤモンドの永遠の輝きとは対照的な、体から離れた瞬間から腐敗へと向かう有機物。 その排泄物は、出来たてのステーキのような瑞々しさを放っていた。
強烈な臭気が、蝋燭の香りと混じり合う。 もちろん瑠衣は、その分身を恥じるどころか、恍惚の表情で見つめていた。首元の宝石がジャラリと鳴る。彼女はテーブルの上に排泄し、それを供物として捧げているのだ。
「そうだ……。腐りゆく果実の代わりに、貴方の命を置く。それが現代のヴァニタスだ」
Kは憑かれたようにシャッターを切り続ける。 大皿の上に山を成す汚濁。瑠衣の体内から絞り出されたばかりの「それ」は、腐りかけの果実よりも遥かに鮮烈で、圧倒的な「生」と「死」の臭いを放っていた。
そしてその横で冷たく輝く銀食器。食卓という文明の祭壇は蹂躙され、冒涜の儀式は最高潮に達した。
「ふー……ふー……」
神妙な雰囲気に煽られ、瑠衣の呼吸が荒らげた。首筋を囲む冷たいネックレスと、足元にひり出した熱い有機物とのギャップは、背徳感を高ぶらせるのに十分だった。
Kはその淫らな表情をもカメラに収めた。
全てを出し終えた瑠衣は、虚ろな瞳でKを見つめ、乱れた口紅のままニヤリと笑った。 その姿は、自らの汚物を「聖餐」として振る舞う、狂気の女神そのものだ。
(……ふふ、召し上がれ)
―――カシャッ。
音のない声が、暗室に響いた気がした。 テーブルの上には、完成された「