フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き- 作:宇多川志木
「話が違うぞ、
狭いパトカーの車内に、
「彼女は逮捕しないという約束だったはずだ! 取引の内容を忘れたとは言わせないぞ!」
「いや、ちょ、落ち着いて!シート蹴らないでくださいよアキさん!」
山本は情けなく身を縮めながら、弁解するように両手を振った。
「こっちだって逮捕する気なんかなかったんですって! むしろ丁重にお帰り願おうとしたのに……」
「嘘をつくな! ならなぜ彼女がここにいる!」
「Kさん」
隣から、静かな声がした。 興奮するKの身体に、小さな頭がもたれかかる。
「警官さんを責めないで。これは、
***
「確保ォ!!」 「動くな! 警察だ!」
怒号と共に雪崩れ込んできた警官隊は、瑠衣の脇を素通りし、一直線にステージ裏へと向かっていった。彼らの目的は「首謀者Kの確保」のみ。被害者である(とKが証言した)有村瑠衣には、目もくれなかった。
「……
瑠衣は、昨夜のKとの会話を思い出していた。彼は「警察は来ない」と言っていたはずなのに、こうして警察が、まるで図ったかのように演奏終了を待って突入し、自分を無視してKだけを確保しようとしている。彼はあの時、自分を安心させるために優しい嘘をついたのだ。
で、あれば。
彼は警察と、別の”交渉”をした、と。
全裸のまま立ち尽くしていた瑠衣の元に、山本を含む数人の警官が現れた。
「有村さんですね。……驚かせてしまってすみません。こちらの要件は終わりましたので、服を着て速やかに退出されてください」
山本は彼女に告げた。
「Kさんは……」
瑠衣は震える声で尋ねた。
「Kさんは、どうなるの……?」
「あの方は署で取り調べをする必要がありますので。さあ、お帰りください」
「でも、私もKさんと一緒に活動して……!」
「いえ、調査の結果、あの男の被害者だという判断になっておりますので」
山本が部下に目配せし、瑠衣を出口へ促そうとした、その時だった。
「そうか……。じゃあ、
瑠衣は呟き、そして。
「え?」
警官たちがギョッとして足を止める。 瑠衣はゆっくりと足を広げて、右手を自らの股間――秘部へと伸ばしていた。
ズブッ。
彼女はためらいもなく、自身の指を膣内へとねじ込んでいた。
「うわっ!? な、何をして……!」
「有村さん!?」
警官たちが恐れ慄き、後ずさる。
粘着質な水音と共に、彼女は「それ」を引きずり出した。
白濁した体液にまみれた、バッグに付けられていたはずのお守り。
彼女はずっと、この異物を腟内に宿してピアノを弾いていたのだ。
「……警官さん。この中に、
瑠衣は虚ろな瞳で山本を見つめ、体液にまみれたお守りを掲げた。糸を引いた半透明な液が、ポタポタと床に滴り落ちる。
「……そ、それは、どういう」
「――――ほら、
彼女がお守りの紐を乱暴に解くと、小さなビニールの
中には、純白の粉末。
「……ッ!!」
現場の空気が凍りついた。 それが何を意味するか、ここにいるプロたちが理解できないはずがなかった。
「……ふふ。ねえ?こんなものをナカに入れていた女を、野放しにしておくわけにはいかないよねえ?」
瑠衣の不敵な笑み。百戦錬磨の警官たちが、その奇行にたじろいでしまう。
山本は苦渋の表情で、呻くように命令を下した。
「……確保しろ。公然わいせつ、および麻薬取締法違反の疑いだ」
***
「……で、これですよ」
パトカーの中で、山本は証拠品袋に入った「白い粉」をKに見せた。
「有村さんは、あろうことか体内に隠し持っていたんです。これを」
Kはその袋を凝視する。3秒くらいだろうか。
だが、袋から目を背け、鼻で笑った。
「……馬鹿げている」
Kは声を荒らげて叫んだ。
「これはどう見ても砂糖じゃないか!!」
「……え?」
「ただの上白糖だ! 検査しなくともすぐに分かる!」
Kは必死にまくしたてた。合っているかどうかはこの際どうでも良かった。自分の「計画」を、邪魔されるわけにはいかなかった。
「いやでも、これだけ変なことをされてしまうと、警察としてはやっぱり簡易鑑定くらいはしないといけないですし……」
「砂糖だと言っているだろうが!! 今すぐ彼女を降ろせ!!」
Kは我を忘れたように喚き散らす。とても理性的な反論ではないことは承知だった。だが、世界の全てを敵に回してでも、隣の女を「解放しなければならない」。その妄執だけが、今の彼を突き動かしていた。
「Kさん」
錯乱する彼の横で、瑠衣は静かに口を開いた。
「……ッ、瑠衣さん、あなたも言ってくれ、これはただの砂糖なのだろう?」
「違うよ」
瑠衣は首を横に振った。
「砂糖でも、麻薬でも、どっちでもいい」
「……な」
「言ったよね。私、逮捕されても構わないって。ずっとKさんと一緒にこの活動をやってきたのに、自分だけ助かるなんて、それは良くないよ」
「や……やめてくれ」
Kは頭を振り乱す。瑠衣の言葉を拒絶するように。
「私は……私はあなたを庇わなければいけなかったのに……!あなたは、あるべき姿に還るはずだったのに……!」
「『あるべき姿』ってのは、よくわからないけど」
瑠衣は手錠のかけられた手で、Kの手をそっと握りしめた。
「私が望んでいるのは、Kさんと共にいること。……だから、庇ってくれる必要なんて、なかったのに」
その手から伝わる体温は、冷え切ったKの心を灼き尽くすほどに熱かった。
Kの喉の奥から、嗚咽が漏れ始めた。
「ああ……」
従順だった彫像が、主の計算も、策略も、美学さえも破壊していく。残ったのは、ただの不器用な男の、無様なほどの愛おしさだけ。
Kは顔を伏せた。
「どうして……どう、して……!!!」
「Kさん。その優しさだけは、ありがたく受け取っておくね」
優しさ。
その言葉が、Kの最後の理性を打ち砕くひと押しとなった。
「ああ……あああああああああぁああぁああぁ……!!!」
子供のように泣き崩れるKと、聖母のように微笑んで彼の手を握り続ける瑠衣。
パトカーはサイレンを鳴らし、二人を乗せて闇夜を走り抜けていった。
***
【速報】元ピアニストらを公然わいせつで逮捕 元警察キャリアも関与か
202X年 7月22日 22:45 配信
警視庁は22日夜、地下空間でわいせつな音楽イベントを開催したとして、公然わいせつの疑いで、元ピアニストの有村瑠衣(ありむら・るい)容疑者(28)と、自称カメラマンの高村晃規(たかむら・あきのり)容疑者(45)を現行犯逮捕した。
捜査関係者によると、高村容疑者は警視庁の元警視監であり、かつては組織犯罪対策の要職を務めていた人物と見られることが判明した。警察内部の事情に精通した元幹部による犯行の可能性があり、警察当局は衝撃を受けている。
また、有村容疑者はイベントのフィナーレにおいて、集まった約1000人の観客の前で全裸となりピアノを演奏したほか、所持していた白い粉末を警官に見せつけるなどの不可解な行動を取ったため、麻薬取締法違反の疑いでも緊急逮捕された。粉末の成分については現在鑑定中である。
現場は騒然となり、地下空間は原因不明の蒸気と悪臭が充満していたという。警察は、イベントに参加した観客などから事情を聴取するとともに、犯行動機や詳しい経緯を調べている。