フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き- 作:宇多川志木
釈放後初の海外コンサートは、無事大盛況で幕を閉じた。アフターパーティーでシャルドネに舌鼓を打った後、
「……あーーーー終わった~」
部屋に入るなり、コートを脱ぎ散らかしてベッドに身体を預けた。やっと一人の時間だ。
一人でやることといえば、まず
瑠衣は寝転んだままスマートフォンを取り出し、ロックを解除する。
映し出されるのは、黒背景に『獣』とだけ記されたアイコン。彼女の裏のアカウントだ。
昨夜投稿した動画の通知が、滝のように流れてくる。
それは、浴室で黒のヒールを履いてM字開脚で放尿する自身の姿だった。
頭の後ろで手を組み、黒々とした腋毛も見せびらかしていた。
コメント欄を開く。
いつもの罵倒の嵐が、酔いも手伝って彼女の全身を心地よく刺激する。
『うわっ、マジで汚ねぇ』
『またやってるよこの変態』
『キモすぎ』
「……はぁ、はぁ」
瑠衣の呼吸が荒くなる。乳房がツンと張ってドレスを押し上げ、乳首が硬く尖って布地を擦る。空いている手で股間をまさぐり、愛撫する。
かつて看守たちに痴態を見られたときと同様の、生々しい反応。自分が社会の規範から外れた「異物」であり、軽蔑されるべき対象であるという確認作業。彼女にとっての精神安定剤であり、最強の催淫剤だった。
……だが、今日のタイムラインは、いつもと少し様子が違っていた。
罵倒の洪水の中に、異質なノイズが混じり始めていたのだ。
『美しい放物線……』
『女神の聖水、きっと艶やかな香りを醸すのだろう』
『あなたの放つ汚濁に、魂が浄化される思いです』
瑠衣の指が止まった。
崇拝。賛美。狂信的な肯定。
これまで彼女が受けてきた「否定」による快感とは、真逆のベクトルを持つ言葉たち。
最初は戸惑った。自分の行為は、軽蔑されるために行っているのだから。
しかし、その文字の羅列を見つめているうちに、彼女の腹の底から、奇妙な熱塊がせり上がってきた。
(肯定……されるの? この汚い私が?)
それは、看守たちに自らの痴態を見られ、侮蔑の声を浴びせられていた時とは違う感覚だった。
自ら進んで汚物を晒し、獣のように振る舞う自分を、神聖なものとして崇める視線。
歪んでいる。狂っている。
だが、その狂気は、瑠衣自身の狂気と奇妙に共鳴した。
そして、DMボックスには、さらに具体的な「要求」が届いていた。
撮影依頼。
アカウント名は「K」。プロフィール画像はない。
そのメッセージは異様なまでに丁寧で、そして文学的だった。
『突然のご連絡、失礼いたします。あなたの投稿を拝見し、雷に打たれたような衝撃を受けました。あなたが表現されているのは、現代社会が覆い隠そうとしている人間の根源的な「生」そのものです。その美しくも汚らわしいお姿を、ぜひ私のカメラで記録させていただけないでしょうか。場所は都内のレンタルルームを用意します。あなたの望むままに、部屋を汚していただいて構いません。ご検討のほど、よろしくお願いいたします』
「『美しくも汚らわしい』ね……」
瑠衣はメッセージを目で追いながら苦笑いをする。嬉しいような、恥ずかしいような。
ただ若い女性の痴態を撮りたいだけの変態、という感じではないように思えた。
見知らぬ人間と会って大丈夫なのかという理性の遮りを、崇拝者への興味が上回ってしまう。
平たく言うと、「
彼女は、震える指で返信を打ち込んだ。
『……分かりました。場所と日時を決めましょう』
送信ボタンを押した瞬間、彼女の心臓が早鐘を打った。
***
約束の午後一時。瑠衣は、人目を避けるように深めに帽子を被り、大きなサングラスをしてビルに入った。
服装は、地味なグレーのロングコート。だがその下には、コンサートでも何度か着用した、純白のドレスをそのまま着込んでいた。
エレベーターで薄暗い廊下に降り立つと、指定された部屋の前に、一人の男が立っていた。
「……お待ちしておりました。
男は深く頭を下げた。
四十代半ばだろうか。中肉中背、服装は量販店のスーツ。ボソボソした声で、どこにでもいる陰気なサラリーマンのように見えた。
だが、サングラス越しに合った視線が、彼の本性を物語っていた。
その瞳は、濁った沼のように暗く、底光りするような狂気を宿していた。
「『獣』です。……今日はよろしくお願いします」
瑠衣は生唾を飲み、会釈をした。