フォルティッシモ・パラフィリア -ピアニストの狂咲き- 作:宇多川志木
「どうぞ、中へお入りください。もうセッティングは完了しております」
「あ……はい」
撮影希望の男――
そこは奇妙な空間だった。
六畳ほどのワンルーム。壁はコンクリート打ちっぱなしで、床は白いタイル張り。家具は一切なく、部屋の中央に、業務用の大きなビニールシートが敷かれているだけだった。
そして、その周囲には、プロ仕様の照明機材と、三脚に据えられた一眼レフカメラが二台、鎮座していた。
窓は遮光カーテンで完全に閉ざされ、昼間だというのに、部屋は人工的な光に満たされていた。
「完璧な防音です。誰にも邪魔されません」
Kは、ドアに二重の鍵をかけながら、背を向けて言った。
その声のトーンが、先ほどまでの静かなものから、微かに上ずった、興奮を帯びたものへと変化している。
瑠衣は部屋の隅に荷物とサングラスを置いた。
置きながら、カメラと照明機材の存在感に目を丸くする。
「随分と本格的な機材をお持ちなんですね」
「質の良い写真を追究しているうちに、こうなってしまいましてね」
「そうなんですか……」
撮影への意識は相当高そうだ。まああんなメッセージを送ってくるような人だから、違和感はない。
瑠衣は部屋の中央に進み、ゆっくりとコートを脱ぎ捨てた。
現れたのは、薄暗い部屋で発光するかのような、純白のドレス姿。
Kの喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえた。
「……美しい。画面の向こうで見るよりも、ずっと」
Kはカメラのファインダーを覗き込みながら、夢遊病者のように呟いた。
「そのままで。その清らかなドレスのままで、お願いします」
瑠衣は、男の視線が自分の顔ではなく、ドレスの下の肉体に集中しているのを感じた。
彼女は、ゆっくりとドレスの裾を持ち上げた。
真っ白な布地がめくれ上がり、露わになる素足。
下着はつけていない。
太ももの内側に微かに生えた、柔らかな産毛。そして、へその下から股間を覆い尽くす、濃密で野性的な黒い茂み。
「おお…………!」
Kが感嘆の声を上げ、シャッターを切り始めた。
――カシャッ、カシャッ、カシャッ。
連続する乾いた音が、密室の空気を切り裂く。
フラッシュが焚かれるたびに、瑠衣の網膜に、自分の恥ずべき部分が焼き付けられていく。
「素晴らしい。手入れされていない、その原始のままの姿……現代の聖女が隠し持つ、真実の獣性だ」
Kは興奮のあまり、早口でまくし立てた。
「脇も……脇も見せてください。お願いします」
瑠衣は従順に、両腕を高く上げた。
ドレスの袖から、処理されることなく伸び放題になった腋毛が、黒々とした塊となって露わになる。汗ばんだ皮膚に張り付く毛の質感。そこから漂う、濃厚な体臭。
Kはカメラを持ったまま、這いつくばるようにして瑠衣に近づいた。
「嗅いでも……いいですか?」
許可を待たず、男は瑠衣の脇の下に顔を埋めた。
スウッ、と深く息を吸い込む音。
瑠衣の背筋に、悪寒と快感が同時に走り抜ける。
見知らぬ男に、自分の体臭を直接嗅がれるという恥辱。
だが、その恥辱が、彼女の脳内で強烈な興奮へと変換される。
「これはスパイシー……!最高の、獣の臭いだ……!」
Kは恍惚とした表情で顔を上げ、再びシャッターを切り続けた。
レンズの向こうの視線は、明らかに瑠衣を「人間」としてではなく、崇拝すべき「異形」として捉えていた。
そして、瑠衣の体内で、あの感覚が目覚め始めた。
ここに来るまで、わざとトイレを我慢していた。緊張と興奮で、腸の蠕動運動が活発になり、下腹部に重く熱い塊が降りてくる。
「……出てきそう。もう、我慢できない」
瑠衣は、潤んだ瞳でKを見下ろした。
Kは激しく頷き、ビニールシートの中央を指差した。
「ここへ。あなたの全てを、ここへ
瑠衣はドレスの裾をさらに高く捲り上げ、腰を落とした。
和式便器を使うときのような、無防備で動物的な姿勢。
真っ白なドレスが、床の汚れに触れないように注意深く、しかし大胆に広げられる。
露わになった臀部の割れ目。緊張で赤く充血した肛門と、湿った膣口が、照明の光に晒される。
Kはカメラをローアングルに構え、その一点を狙い定めた。
息を呑む音。シャッターを切る指の震え。
「んっ……くぅ……ッ!」
瑠衣は、括約筋の力を抜いた。
長い間我慢していた反動で、排泄は爆発的だった。
ブチュ、ボトボトボト……!!
湿った、重量感のある音が、タイルの床に響き渡る。
ビニールシートの上に、熱を持った茶色の塊が落下し、積み上がっていく。
強烈なアンモニアと腐敗臭が、一瞬にして密室の空気を汚染する。
「あああッ! 出た! 女神の汚濁が! なんと麗しい!」
Kは半狂乱になって叫び、シャッターを連写した。
フラッシュの閃光が、排泄の瞬間をコマ送りのように切り取っていく。
瑠衣は、排泄の快感に身を任せながら、その光景をぼんやりと見つめていた。
自分の体内から出たものが、目の前で形を成していく。
温かい。臭い。汚い。
だが、その汚物を、目の前の男は宝石でも見るような目で見つめ、記録している。
罵倒される快感とは違う。
これは、肯定される快感だ。
自分が「獣」であることを、全面的に受け入れられ、崇められるという、屈折したエクスタシー。
固形物に続き、ジョロジョロと尿がほとばしる。
黄色い液体がビニールシートの上を流れ、ドレスの裾を濡らしていく。
純白の布地が、見る見るうちに黄色く、茶色く染まっていく。
「あっ……ドレスが……」
「いい! それでいいんです! その対比こそが至高の芸術だ!」
Kはドレスの染みに向かって、一心不乱にシャッターを切った。
ひとしきり撮影したKは、瑠衣が出したばかりの排泄物に顔を近づけ、深く息を吸い込んだ。
「すぅーっ……。ああ、なんて芳しい……。これが、あなたの体内にあったもの……」
さらに、震える指で、温かい塊へと手を伸ばした。
「ああ……温かい。これが、あなたの命の温度……」
恍惚の表情で汚れた指を見つめ、歓喜の声をあげる男。
その姿を見下ろしながら、瑠衣の胸に、これまでにない安らかな感情が溢れ出した。
(受け入れられている……私の汚い部分が、全部……)
彼女は、排泄が終わった後も、そのままの姿勢で動かなかった。
尻から汚物が垂れ下がり、ドレスは尿と便で汚れている。
「……これからも、私の全部、記録してくれますか?」
瑠衣は、汚れた手で自分の股間を弄りながら、撫でるような声でKに問いかけた。
Kは顔を上気させ、汚れた手でカメラを握り直すと、激しく頷いた。
「はい! もっと! あなたの全てを! 私に記録させてください!」
密室のステージは、まだ始まったばかりだった。
SNSというデジタルな檻から抜け出し、巡り合った共犯者との連弾(フォー・ハンズ)。
そこには、罵倒も軽蔑もない。
あるのは、汚濁への狂信的な崇拝と、それを糧として肥大していく「獣」の欲望だけだった。
瑠衣は、ドレスの汚れなど気にも留めず、Kが向けるカメラのレンズに向かって、とろけるような聖母の笑みを浮かべた。