意識が浮上する感覚と共に、水神小夜はゆっくりと瞼を開けた。
視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井。そして、鼻をつく甘ったるい芳香と、埃っぽい生活臭が混じった奇妙な匂いだった。
「……っ」
体を起こそうとして、小夜は自分の自由が利かないことに気づいた。
両手首は頭上で交差させられ、冷たい金属の手錠でベッドのフレームに繋がれている。足首も同様に拘束され、白いシーツの上で無防備なM字を開かされていた。
「目が覚めた? 私の可愛いペット」
部屋の奥にある豪奢なソファから、聞き覚えのある声が響く。
マジアベーゼ。
先ほど廃工場で、小夜が全てのプライドと純潔を捧げると誓った、絶対的なご主人様。
「ベーゼ……様……」
小夜の声は掠れていた。恐怖よりも、どこか安堵を含んだ響き。
あぁ、夢じゃなかった。私は本当に、この人に拾われたのだ。
ベーゼはワイングラス(中身は炭酸ジュースだ)を揺らしながら、ゆったりとベッドへ歩み寄ってくる。変身した姿のまま、その黒いボンテージが薄暗い部屋の中で艶かしく光っていた。
部屋の隅では、レオパルト(キウィ)がスマホをいじり、ネロアリス(こりす)が人形の服を縫っている。ここが「エノルミータ」のアジトであることは疑いようがなかった。
「気分はどう、アズール? 敵のアジトに連れ込まれ、ベッドに縛り付けられる気分は」
「……不思議と、落ち着きます。まるで……ずっと前から、こうなることが決まっていたみたいに」
小夜は潤んだ瞳でベーゼを見つめ返す。
その言葉に、ベーゼは満足げに口角を吊り上げた。
「いい心がけよ。……さて、それじゃあ『開封の儀』を始めましょうか」
ベーゼが指を鳴らす。
レオパルトたちが興味なさげに部屋を出ていき、寝室には二人きりの静寂が降りた。
「開封……?」
「ええ。貴方が本当に私のものになったのか、その中身まで確認させてもらわないとね」
ベーゼはベッドの端に腰掛けると、手にしたカメラのレンズをアズールに向けた。
「変身を解きなさい、アズール。国民的ヒロインの仮面を剥いで……貴方の『素顔』を見せてごらんなさい」
ごくり、と小夜は喉を鳴らした。
変身解除。それは魔法少女にとって、最も無防備な姿を晒すことと同義だ。
正体がバレれば、自分だけでなく周囲にも危険が及ぶ。絶対に守らなければならない最高機密。
――だが、今の小夜に「守るべきもの」など、もう何一つ残っていなかった。
「……はい、ご主人様」
小夜は素直に頷いた。
もう隠し事なんていらない。この人に全てを暴かれたい。その被虐的な欲求が、彼女の唇を動かした。
「――リリース」
小夜の肢体が、淡い光に包まれる。
ボロボロになった青いドレスが光の粒子となって解け、戦うための魔力が大気へと還っていく。
光が収束し、そこに残されたのは――。
変身時よりも深く落ち着いた色合いの、緑がかった青のロングヘア。
中学生離れした長身と、制服の上からでも分かる豊かな肢体。
そして、眼鏡などかけていない、凛とした意志の強さを感じさせる切れ長の瞳。
光が完全に消えた時、そこに座っていたのは、トレスマジアのリーダー「マジアアズール」ではなく……
「え……?」
ファインダー越しにその顔を見た瞬間、ベーゼの動きが凍りついた。
シャッターを切る音すら忘れて、彼女は呆然と口を開けていた。
「え、うそ……水神、さん……?」
ベーゼの口から漏れたのは、敵対するヒロインへの呼び名ではなく、日常で使い慣れたクラスメイトへの呼びかけだった。
「……え?」
小夜もまた、その反応に違和感を覚えた。
なぜ、悪の女幹部が私の名字を知っているのか。
訝しげに眉をひそめる小夜の前で、ベーゼはカメラを取り落とした。
そして、震える手で自らの顔を覆い――次の瞬間、爆発的な狂喜の笑い声を上げた。
「あっははははは!! 嘘でしょ!? 最高! 最高すぎるわ運命の神様!!」
ベーゼはベッドの上でのたうち回るように笑い転げた。
「あの水神小夜さんが!? クラスで一番真面目で、古風な神社の娘さんが!? 裏ではこんな、私の靴を舐めるド変態魔法少女だったなんて!!」
「クラス……? まさか……」
小夜の顔から血の気が引いていく。
その言葉の意味を理解しようとした時、笑い疲れたベーゼが、涙を拭いながらゆっくりと立ち上がった。
「あーあ、笑いすぎてお腹痛い……。こんな面白いことってあるのね」
ベーゼは、小夜の顔を覗き込むようにして、ニヤリと笑った。
「驚いているみたいね、水神さん。……いいわ、私だってフェアじゃないのは好きじゃないもの。特別に教えてあげる」
黒い霧がベーゼを包む。
悪のカリスマとしての威圧感が薄れ、等身大の少女のシルエットが浮かび上がる。
「――リリース」
霧が晴れたそこに立っていたのは。
小柄で、目つきが悪くて、クラスではいつも地味で目立たない少女。
小夜と同じ教室で、数席後ろに座っているクラスメイト。
「ごきげんよう、委員長。……学校ではいつもお世話になってるわね?」
「ひ、柊……うてな、さん……!?」
小夜は絶句した。
頭が真っ白になる。
あのおどおどした柊さんが? 教室の隅で絵を描いている彼女が?
私をここまで追い詰め、辱め、支配した「マジアベーゼ」だというの?
沈黙が部屋を支配する。
だが、それは気まずい沈黙ではなかった。
互いの秘密を共有し、暴き合った共犯者たちだけが知る、濃密で背徳的な空気。
「……あ……ぅ……」
小夜の顔が、ゆでダコのように赤く染まっていく。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
正体がバレたことだけではない。
「クラスメイト」という、日常で一番身近な他人に、あんなにも淫らな姿を見せ、靴を舐め、胸を擦り付けて求愛してしまった事実。
明日、学校で顔を合わせたら?
どんな顔をすればいい?
パニックになる小夜の顎を、うてな(ベーゼ)の指がくい、と持ち上げた。
「顔、真っ赤よ? 水神さん」
うてなの瞳は、教室で見せる自信なさげなものではなく、完全に捕食者の色をしていた。
「知ってる人に支配されるのって、どんな気分? クラスの地味な私に、神社のお嬢様な貴女が、雌犬みたいに飼われる気分は?」
意地悪な問いかけ。
小夜は唇を震わせ、そして――とろりと潤んだ瞳で、うてなを見つめ返した。
「……ぞくぞく、します……ッ♡」
その答えに、うてなはゾクリと背筋を震わせた。
「柊さんが、ご主人様……。学校では大人しい柊さんが、本当はこんなにサディスティックで、私を壊してくれる人だったなんて……」
小夜は拘束された両手をガチャガチャと鳴らし、身をよじって股間をシーツに擦り付けた。
制服のスカートが捲れ上がり、健康的で長い太ももが露わになる。
「嬉しい……嬉しいです……! 知らない誰かじゃなくて、貴女でよかった……!」
それは、本心からの歓喜だった。
学校という閉鎖空間で、秘密を共有する関係。
表では「真面目な委員長」と「地味子」。裏では「ペット」と「ご主人様」。
その落差(ギャップ)と背徳感が、真面目な小夜の性癖(心の闇)に突き刺さったのだ。
「ははっ……本当に変態ね、貴女」
うてなは呆れつつも、どうしようもない興奮を抑えきれなかった。
自分の手の中に、あの水神小夜がいる。
煮るなり焼くなりに好きにできる。
その全能感が、うてなの嗜虐心に火をつけた。
「いいわ。それなら、とことん『教育』してあげる」
うてなは指を鳴らし、再びマジアベーゼへと変身した。
そして、虚空から無数の黒い触手と、怪しげな玩具を召喚する。
「今夜は長くなるわよ。……水神小夜としての貴女を、徹底的に私の色に染め上げてあげる」
ベーゼが手に持ったのは、ピンク色に光るローターと、粘着質な液体が滴る触手。
小夜はそれを見て、ひっ、と息を呑んだが、その瞳は期待に揺れていた。
「はい……お願いします、ベーゼ様……柊さん……うてな、ちゃん……♡」
「生意気。……まずはその堅苦しい制服から脱ぎなさい。私のペットに、布なんて必要ないわ」
ベーゼの指先が動き、魔法の力で小夜の制服のボタンが弾け飛ぶ。
ブラウスが開き、スカートがずり落ちる。
下着姿になった委員長は、羞恥に涙を浮かべながらも、自ら脚を大きく広げた。
「あぁ……見て……柊さん、見てください……」
「ええ、見てあげる。……貴女の『初めて』を、私が全部暴いてあげるから」
夜はまだ始まったばかり。
エノルミータのアジト、密室のベッドの上で。
少女たちの秘め事は、粘着質な音と甘い悲鳴と共に、深淵へと堕ちていく。
それは、聖女が完全に「雌」へと生まれ変わるための、冒涜的で神聖な儀式だった。
(第2話 完)